2008.10.23

インスタントな朝

毎朝 せっせと インスタント・コーヒーを 牛飲している
でかい マグカップで 大匙2杯ほど コーヒー粉を入れ
お湯を ドボドボと注ぎ 牛乳で温度調整をして 猫舌カフェの出来上がり


コーヒーなどというもの 凝りだしたらキリが無く
究極のコーヒーは やはり インスタントであった!
なんてコト 言うつもりは サラサラ無い


塗装で使うハケを 保存するのに
インスタント・コーヒーの 大瓶は とても重宝するのである
なもんで せっせと せっせと 猫舌カフェを飲まなければ ならない日々なのである


・・・・・・・・・・・・・・・


牛乳というのは ナマモノなので 賞味期限が短い
牛乳だけを飲むと 腹がハルマゲドンになるので
コーヒーの温度を下げる以外には ほとんど飲まない


で 先日 イタんだ牛乳を コーヒーに入れ
ナンプラーのような味にも 我慢して 完飲して
腹の中は 911の貿易センタービルになった


ちょっとショックだったので クリープを買った


「クリープのないコーヒーなんて」 などと謳っていた粉ミルクである
少年時代に この続きが気になって仕方なかったものだ
ちなみに 当時は クリープとクレープを混同していた


なんてコト 考えながら クリープコーヒーを
何十年ぶりかで 飲んでみた  


失敗だった


味がどうの というワケでは無い
猫舌にとって 牛乳を入れるのは 温度調整以外のナニモノでもないのだが
クリープは 温度が下がってくれないのである


せめて 「褐色の恋人」 スジャータにするべきだった


しかし 塗装に重宝しそうな どでかいクリープの瓶を 買ってしまったので
しばらくは オン・ザ・ロックな クリープコーヒーの日々が続く
どうやったら 楽しめるだろうか


メニューを考えた


アメリカン  ・・・コーヒー粉 1杯
ブレンド   ・・・コーヒー粉 2杯
エスプレッソ ・・・コーヒー粉 3杯


カフェオレ  ・・・コーヒー粉 2杯  クリープ 1杯
カプチーノ  ・・・コーヒー粉 2杯  クリープ 1杯 +ストローでブクブク


なもんで 毎朝 アジトはドトールの如く
様々な ヴァリエーションの珈琲が 楽しめ
時々 舌を火傷しながら 仕事にレッツラゴーしているのである

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2008.09.05

1992年7月26日 プライベート

今日は まったくもって 恥ずかしい話である


それは まるで 恥部まで アラワにするようで
そして 自分のレベルを 晒すようで
まったくもって 恥ずかしい 話である


あ このまま 延々と 言い訳が続きそうなので 
本題に 入ります


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


かつての古巣である オーハシのドキュメンタリーが放映された日
すなわち 1992年7月26日
自分は 浜松で 日本ピアノ調律師協会の入会試験を 受けていたのである


調律専門学校を卒業する時 自分は みっつの目標を立てた


1 独立する
2 日本ピアノ調律師協会の会員になる
3 コンサートの仕事をする


20年前の 青臭い目標であり まったくもって ピーマンである
これだけでも 十分に 恥ずかしい
音楽よりも 技術屋の表面的なスタイルだけが 目標だったのである・・・


その中の ひとつに
日本ピアノ調律師協会の 入会がある


この 日ピ(ニッピと呼ばれている)に 入会するには
学科と 実技の試験を クリアーしなければ いけない


んでもって 意外に 意外に 落ちる人もいる
なもんで 当時の自分は 結構 というか 人生の中でも 指折りの
プレッシャーや緊張と 格闘していた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


当時 自分は 調布の音楽大学の 調律事務室に 勤務していた
試験前日 浜松へ車で向かい
浜松勤労青少年寮の かつての友人の部屋に 泊めてもらった


もちろん 違法である


で 試験当日 ヤマハ・ピアノ・アカデミーという 
ヤマハの調律師養成所の学校へ行き
調律→学科→UP整調→GP整調→張弦→面接 という試験を受けていた


この試験 当時は それぞれ70点以上 取らなければ合格では なかった
なもんで ひとつでも 70点を下回れば 来年 再び 受験しなければ いけない
1万円以上の受験費と 数万の交通費は カツアゲしながら捻出したもんだ (うそ)



最初の調律実技の試験
少なくとも 2回 調律しなければ ピッチが安定しないくらい
わざと 狂わされている


1回目は 下律 といい 
響板の変形や 弦の伸縮を考え すばやく 終わらせる
そして 2回目 本当の調律に入る


ま 当時は 音大で 調律ばかり やっていただけに
まさか 調律の実技で アクシデントが起こるとは
ヒトカケラも 想定していなかった



試験終了 十分前に 天井のスピーカーから
ホワイトノイズが 聞こえてきた・・・
まもなく アナウンスが入る 雨の匂いに似た 気配


その瞬間のことは 今でも 覚えている
え? もう終わり? あと10分 残ってると思ってたのに・・・
すると アナウンサーは 平べったい声で 言った


「あと10分で 試験が終了します」


わかってらー! 時計あんだから! ビビらせるなよ!
しかし その動揺はハンパではなく 最後の10分間 頭は真っ白になり 
パニック状態で ナニも聞こえなくなっちまったのだ・・・ (マジ)


また 来年 金貯めて 受けに来るか・・・
自分は 試験合格どころか 己の精神的弱さに
完全に 人格が変形するくらい ヘコんでいた・・・・


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つまるトコロ 調律の試験では 最後まで終わらずに 終了しちまった
それでいて 何故か 合格しちまったのである・・・
なんて 強運なんだろ


ちなみに 合格通知は ヒトツキ後くらいに届いた
最初は 不合格通知だと信じこんでいたので 全ての点数を見て
あれ? 全部及第点じゃん・・・ と 訝しかった
そして 最後に ようやく 一番大きな 「合格通知書」という文字が読めた


それでも 合格は合格である
ま 最初の調律が ワリと狂わなかったのだろう (ありえねー)
あるいは 自分が ラッキーな人間だからこその 奇跡だったのか・・・


なもんで 日ピの会報には 毎回 寄稿している
なんとかして 贖罪したいという気持ちで 書いているのだ (うそ)
今更 不合格 とか言われないよう 寄稿しているのだ (うそ)


ま そんなワケで 自動車教習所卒業と 日ピの試験合格は
イカサマである・・・
誇れるのは 実力ではなく 運の強さだけである・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんな感じで 凹んでいた 1992年7月
かつての学び舎の ドキュメンタリーのことも 忘れ
ただ ひたすら 日ピの試験と 取っ組み合っていたのである


なもんで 「音 いつまでも」 は
ふたつの意味で 泣ける放送だったのである・・・
オーハシの日々 日ピ試験のショック


いやー 実に やばい人生 送ってるなー
こういう時にこそ 使う言葉だよね
「あなたと 違うんです」

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2008.09.04

1992年7月26日 オフィシャル

アジトに帰宅すると ポストには 厚めの封筒が入っていた
「来たー!」
夕立に濡れながらも そのまま パソコンを起動させる


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京都の調律師 まーちゃんが 贈ってくださったDVDである


数日前 ミクシーの 大橋ピアノのコミュで 
まーちゃんが 前から見たかった 
NHK放送 大橋ピアノの番組のビデオをゲットした というレスがあった


そして その番組を DVDに焼いて わざわざ 贈ってくださったのである


実は 自分も この番組を リアルタイムで見てはいない
しかし 親に頼んで ビデオに録っておいてもらっていたので
テレビがあった はるか昔に 何度か見たことがあった


しかし 今は もう どこかに消えていて
まさか もう一度 映像で 大橋ピアノの工場が見れるとは 思ってなかったので
早速 ビショ濡れのまま パソコンの画面に 釘付けになった


そして 今 2.0の視力も ビショ濡れである


Ohhashi

1992年7月26日 午前11時30分 NHK放送
新日本探訪 「音 いつまでも ~浜松・ピアノ町工場物語~」


この番組では 昭和33年に設立した 大橋ピアノ研究所の
2代目 大橋巌社長が 1991年10月30日に他界し
とし子夫人と 残された職人達が 
ピアノ造りに捧げる 最後の日々の ドキュメンタリーである


自分は 1991年3月23日に 大橋ピアノを退社し
その 3ヶ月後の6月 巌社長が 倒れたという報せを 聞き
半年後の10月末 巌社長の訃報を知る


日本の 最後の手作りメーカーといわれた オーハシ
その最後の最後に オーハシ・ファミリーと
年配の職人達から しごかれた世代になる


Photo


大きなサボテン 昭和30年代のまんまの オオハシの工場
毅然とされている とし子未亡人の しゃべり
大正生まれの鈴木さんの ぎこちない しゃべり
よく 可愛がってもらった 鉄工の神門さんの 愛くるしい表情


泣きました


なもんで 今は まだ うまく説明できません
でも 決意しました


オオハシでの修行時代 
自分は ピアノの製造過程を ほとんど写真に収めていました
時々 怒られながらも・・・


長くなるだろうけど やはり 当時の写真を
連載で掲載しなければ・・・


オオハシのピアノは 今も いろいろな家庭で
静かに 和らかく 歌っているハズです
その 生まれてゆく姿を 伝えていかなければ・・・


当時は ナンとも思ってませんでしたが
時間が経つと 本当に いい環境で 勉強させてもらっていたんだと
あらためて 感動し 感謝してます


そして この番組が 放送されていた日
偶然ですが 自分は 浜松にいたのです
明日へ 続きます


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2008.08.29

○から□へ

韓国へ乗り込む 頭の中は かなり異常だった


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観覧車は おろか


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ピザのカケラを 見ても


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丸いものは 全て 五度圏図にしか 見えなくなっていたのである (マジ)


・・・・・・・・・・・・・・・・


なもんで これはヤバいと思い
ソウルに到着し 文房具屋で見つけた
かねてから 欲しかったモノを 買った


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4列の ルービックキューブ!
いつも 見かける度に 欲しいなーと 思っていながら
ナカナカ 勇気が湧かなくて 買いそびれていた


で ホテルに帰って 
テキストのコトは 忘れるために 早速挑戦!
しかーし さすがルービック博士の リベンジである


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韓国では ここまでしか 達成できなかった


帰国して いろいろ挑戦してみたが
つまるところ 真ん中の4個を 先に揃えれば
3列のキューブと 同じ方法で 出来そうだと考え直し
もう一度 リベンジ!


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もう ヒトイキであるが 
いつだって ここからが 難しい
あまりに夢中になって 晩飯を 食いそびれた・・・


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たぶん 運が良かったのだろう
最初の制覇は なんとか成功
数を重ねて あらゆる局面に 対応していかねばならない


この ふたつのキューブの間には
30年近くの 隔たりがある
初めて 6面が完成した時も 嬉しかったなー


おかげで 丸いモノを見ても 
ナントモ 思わなくなったが
今度は 四角いモノを見ると
キューブにしか 見えなくなってしまった・・・

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2008.05.30

あたたかい低気圧

今日は レオンハルトが80歳になった日だ
ということは ケンタも 誕生日おめでとう! な日だ!


今日は 一人称で書くさ


まだ 小学生だった頃 我が家には小鳥がいた
アネキが選んだのが キンカチョウ
ネーネー と鳴くので 名前は ネーネちゃんだった


ある日 ネーネちゃんが 鳥かごから脱走したらしい
正確には 脱飛というのか 
こうして思うと 我が家は 何度 ペットが逃げ出したことだろうか・・・


ま いいや


で そのネーネちゃんを アネキと一緒に探しに行った
すると アネキは 団地の前にある ドデカイ欅(ケヤキ)の木の上から
ネーネちゃんの鳴声が 聴こえるという


オレは アネキに肩車してもらって 欅の最初の枝にぶる下がって
やがて スルスルと サルのように 木を登っていった
ちょうど 我が家のある3階の高さまで 登っていったトコまでは覚えている


次に 激しい痛みと 苦しさで意識が戻った時
視界には アネキと オフクロの顔があった
両手には とても体重を支えられるハズのない 細い枝を 握り締めていた


どうやら 木から落ちたらしい
たぶん オレは ニュートンより若い時分に
引力の存在を 呼吸困難になりながら 悟ってしまったらしい


その 大きなケヤキが 昨日
突然 切り断たれたらしい
そんな衝撃的な出だしで オフクロから 今朝 FAXが届いた


・・・・・・・・・・・・・・・・・


あなたの生まれた日のことを 思い出しています
前日の夕方から 陣痛があったけど
生まれたのは翌日(本日)の 夕方7:20分頃


私の体が 喘息のため弱りに 弱っていたので
お腹の中の あなたにまで 苦労かけてしまいました
・・・・危ないところでした


でもね 生まれ出た赤ちゃんは 3200gの 
美しい ほんとに きれいな 良い顔をした赤ちゃんでした


パパとママは 嬉しくて・・・
あなたを撮るために パパは新しいカメラを購入しました


産後 ママは体調が悪くて 
あなたに おっぱいをあげられなくて(出なくなってしまって) 泣いていたら
パパが 「僕が頑張って いっぱい働くから 気にしなくていいから」と
慰めてくれて また その優しさに涙が出ました


・・・・・・・・・


親戚の誰かから 昔 聞いたんだけれど
オレを産むと オフクロかオレの どちらかが死ぬかも知れないって
医者が言ったらしい でも オフクロは オレを産んでくれたんだって


今のオレ 家族の中の誰より 健康だと思う
3200gの命は 40数年経って 20倍の質量に成長してる
だから 本当に 本当に ありがと


オヤジは オフクロのこと 家族のこと 愛してたんだ
いつも無口で 天皇より偉くて モアイみたいに無表情だったくせに
オヤジは 優しい夫で 立派な父親で 本物の男だったんだ


オレが 浜松に行く時 オヤジは大切にしていたカメラをくれたんだ
それは オレが生まれる時に買ったカメラだったんだね
今 工房でホコリかぶってるけど 救出して 大事に使うよ


FAXのせいで 朝から 涙腺まで低気圧に覆われたさ


たぶん 今が一番 幸せだと思う
追いかけるモノがあって 感謝できる人が生きていてくれて
いろんな意味でギリギリで だから 頑張ることができて


「湖北村のけやきのように たくましく生きて下さい」


オフクロ 悪いけど たくましくは生きられないよ
でも 命を授けてくれて 本当にありがと 
喘息で苦しみながらも 産んでよかった と
そう思ってもらえるように 生きてみせます

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2008.05.24

只今 実験中

最近 食生活を変えている
といっても まだ 2週間ほどなのだが
どうやら 早くも その効果が出てきたようだ


小麦粉 卵類 四足動物 乳製品


これらを除去した 食品だけを食べるようにしている
つまるところ 和食な日々なワケだが
これは 意外に 難しい面も含まれている


牛や豚を食わず 魚か鶏で 動物性タンパク質を採る
鶏卵や 魚卵も 除去対象になってくる


なにより 結構大変なのが 小麦粉である


テメーで調理する分には 小麦粉を完全に排除できるが
外食では 何気ないとこにも 小麦粉は含まれている
麺類は 蕎麦でさえ 十割でなければ 小麦粉が含まれてしまう


これは アレルギー対策の食事だそうだ


杣は これらの食品アレルギーは無いのだが
体質改善には 手本となる食生活なので
飽きるまで しばらく続けてみようと 思っている


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朝は 例え5時代に出勤する時でも
鶏と野菜の 炊き込み御飯と 味噌汁を喰らい
時間があれば 朝から 焼き魚定食である


幸い 大好物の鶏肉や キムチなどは 除去対象でないので
魚や 納豆と 共に 日々の食卓に 並べることができている


酒も 基本的には やめている
不眠症対策としては 睡眠薬もやめて
ただ ひたすら 疲労するまで運動するか 明け方まで起きたまま・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・


今日 久しぶりに ジムで 体脂肪を計った


体脂肪 8.2%  BMI 21.8


今度の誕生日までに ナンとしても
体脂肪を 一桁にしたいと 願っていたのだが
ついに 長年の憧れが 達成できた


思えば ジムに入った 4年前は 
体脂肪は 25%くらいあり
完璧な メタボで マタニティオヤジだった


いつか きっと 体脂肪を 一桁にしよう
そう決意しながらも 思うようにいかない日々だった
諦めかけていたし でも 目標は達成したかった


その宿願が 食生活の改善で
あっけなく 成就してしまったことは
嬉しい限りなのだが 今までの努力はナニ? という気分でもある


ま 体脂肪 一桁を維持するのは
容易なことでは ないだろう


でも 少し 自信がついた


いましばらく 新しい 除去食を続けてみたいと思う
これで 体質も改善され
不眠症や 喘息まで 落ち着けば なお嬉しい


そういえば 体脂肪が落ちれば 腹が割れると信じていた
一桁になれば オッパッピーになれると信じていた
がしかし 腹は いまだ 脂肪に包まれたままだ・・・


でも そんなの関係ねー


腹は割れないが
腹を割って 話せる友人ができたのだから
それで 良しとしよう

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2008.03.01

第39回 さいたま市民浦和サッカーリーグ

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今日は サッカー部の練習に行った
そして 今年のリーグ戦の パンフレットを貰った
で いろいろ びびった!


今や さいたま市という名称になってしまった 旧浦和市
その 浦和サッカーリーグだけで シニアなども含めると
100ものチームが存在するのだ!


仮に 平均20名の部員がいるとすると
2000名もの野郎どもが サッカー部に所属していることになる
驚くより 呆れる・・・ 凄すぎる!


で このリーグ戦 1部から4部までは 1ブロック 8チームが組まれており
3月から10月にかけて 7試合を戦うことになる
で ブロックで勝ったりすると トーナメントとかあるらしいが・・・ よく分からん


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杣が所属するのは FCウォーターズ
県の水道局のメンバーが 立ち上げたので ウォーターズ
なもんで メンバーは 県庁関係の人が多い・・・


FCWの名簿を見ると 何故か 最終学歴まで載っているのだが
さすが 杣以外は みな 有名どころの大学出身者ばかりである!
杣は 一人だけ 「東洋音楽専修学校」などと・・・ ショボすぎる


でも 昨年の夏から始めたサッカーは やっぱり楽しい
フットサルに比べると 卓球とテニスくらいの差があって
何より 青空の下で 喘ぎながらも 走り回るのは オジンになっても楽しい!


また チームの連中が これまた 素敵な人間ばかりで
こうした出会いというのも 本当に 人生の中で 貴重なものである!
あと何年 やれるのか分からんが 今はただ ワクワクしている


で 公式戦の初戦は 3月9日
相手は 蹴東会 ・・・ (なんだか強そうなネーミングだ)


試合に出れなくても ベンチから 声が枯れるくらい 応援するつもりだ!
出してもらえたら・・・ そうだな ま ハットトリックでも きめてやるか 
がっはっはっは!


普段 集団行動が嫌い どころか
人と食事をするのも 苦手としている杣なのだが
チームに所属して 楽しんでいるなんて ・・・自分でも奇跡のようである


そう言えば 「奇跡の人」が 初めて発した言葉も
「ウォーター」 だったような・・・

 

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2007.12.28

蘇州の響愁

あれは 2002年だったから 5年も経つのか・・・
ちょうど 今くらいの 12月の終わりの頃


とある チェンバロ工房の旅行で 上海に行った
というか 連れて行ってもらった
2泊3日だったかな?


ナカビは フリーだったので 一人で 隣町まで行った


知らない国に行くと 電車に乗って 近隣の町を訪ねたくなる
だいたい 宿泊は 観光地だから その国の 本当の姿が分からない
で 隣は 蘇州という町だった


自分で計画した旅ではなかったので
上海が どんな街なのか 隣の蘇州が どんな街なのか
なにも調べずに 行き当たりバッタリの 初めての街


蘇州の駅に降り立つと ワンボックスの観光タクシーみたいのが タムロしていて
外国では 腰ヌケになってしまう杣は いざなわれるまま
1台のタクシーに乗せられ 観光地を 引きずり回された


中国語なんか シエシエと ニーハオくらいしか 分からん
英語なんか 「これはリンゴです」という 
なんの役にも立たないフレーズくらいしか 分からん・・・


それでも 身振り手振りで メシを奢らさせられ
真昼間から 運転手と酒を飲み
静かな町並みを 大騒ぎしながら 盛り上がっていた


蘇州は かつて行った 福岡の柳川よろしく 水郷の街で
あれよ あれよ という間に 運転手と 若いガイドと
3人で お堀のような水路を 舟遊びとあいなった


彼等は 船上で 陽気に歌を唄ってくれた
それは 青空の下で まさしく 中国の響きとメロディーで
散財させられているワリには とても気持ちのいいものだった


旅は 食べ物や 風景よりも 
方言や 外国語などの その土地の響きが
一番 旅情をそそってくれる


で 何曲か歌い終わった彼等は 杣にも 日本の歌を唄えという!


杣はあせった・・・ このさい 音痴なんてことは どうでもよい
まして テメーが 音を合わせる工作員などと 身分はバレていない
しかし 日本の歌って・・・


まさか ここで 松本伊代や パフィーを唄うわけにはいくまい
ましてや 「ジャジャジャガイモ サツマイモ 浮かべて並べて食べたいなー」
などと 威勢の良い 軍艦マーチも 南京大虐殺を彷彿とさせそうで 怖い


なもんで キーミーガーアーヨーオーワー と唄いだした


このメロディーは 実に素晴らしい
日本の印象を 多分に含んだ 旋律であり
トニックも ドミナントも どこ吹く風の コード進行である!


しかし キーミーガーアー の アーの部分で 微妙に音程を間違えた
すると すかさず そこから 転調という作曲的な 即興に転じた


なおかつ チーヨーニーイイー の後 ピッチが高すぎて
いきなり 1オクターブ 下げて唄ってしまった
その後も 元に戻ったり オクターブ下がったりを 繰り返す・・・


キーミーガーアーの辺りから 彼等は手拍子を始め
勝手にテンポが 固定され 息が続かないくらい ラルゴな君が代・・・
かくして 杣の中国歌唱デビューは 散々なものだった


でも 酒の勢いもあったのだろう
ふんだんに ボラれてやった効果も あったのだろう
かろうじて 純和風なまま 即興は成功した


終わってみれば 船の周りの堀にいる中国人からも 
ヤンヤヤンヤの喝采を浴び マンザラでもない気分だった


冬の高い空 乾いている青い空
そこには いろいろな思い出があるけれど
時々 蘇州の響きを懐かしむ


あの時 杣が 美しく君が代を 歌ってしまい
連中に それが 日本の国家だとバレてしまっていたら
すかさず 簀巻きにされ 今頃は 水郷の澱の中で 白骨化していただろう


音痴というのも なかなかどうして すてたモンじゃない!

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2007.11.26

ガソリン

ガソリンスタンドで お釣りをもらう時
「え? これだけ?」 と ビビってしまう
ああ 本当に 値上がりしてんだ・・・ あらためて実感


・・・・・・・・・・・・・・・・


杣が 初めて自動車に ガソリンを入れた時の話をしよう


あえて 「自動車に」と注釈を加えるのは
優秀な生徒として 教習所を卒業する以前から
杣は 原付免許を持っており MTXなる モトクロスなバイクに乗っていた


なもんで バイクにガソリンを入れたことなら 数え切れないほどあり
正確な価格は忘れたが まあ たいした金額にはならず
いつも 持ち合わせの小遣いで 給油は可能だった


「新しい車を買うから 今の車がいらなくなった 欲しければ取りに来れたし」
浜松修行での2年目に 我孫子の実家から かくなる連絡を受け
連休の時に 悦びいさんで 帰省した


そして 東名をかっ飛ばし 浜松に帰り
あー オレの車だ! と 市内をウロチョロしてみた
いやー やっぱ 車はいーね!


しかし フト ガソリンが無くなってきていることに気づいた
エンプティーランプが 点灯している
嗚呼 どっかで ガソリン補給しなきゃ


でも ちょっと待て
車って どれくらい ガソリンが入るんだ?
慌てて財布を出してみると なけなしの 最後の1万円のみ・・・


もし 「マンタン!」と言って 1万円以上 ガソリン代を請求されたら どうしよう・・・


そうだ! マンタンじゃなくて
1万円分だけ 入れてもらえばいいんだ!
ああ オレって天才!


なもんで 街中の 老夫婦二人がやっている
しなびた ガソリンスタンドに 初めての給油に入った
オバチャンが 笑顔で近づいてくる


「すいません ガソリン 1万円分 お願いします」
『は?」
「あ いえ あの 今 1万円しかないので・・・」


オバチャンは 給油を始め 一度 事務所に引上げていった
事務所には オジチャンと 客らしき オッサンがいる
オバチャンが 杣の話をしたらしく 3人が こちらを一斉に見つめた


なんだか ニヤニヤしてやがる
車を運転するヤツは 1万円なんて せこいこと 言わないのかな
でも オレ 貧乏だし 仕方ないよな・・・


そして 給油が終わって オバチャンが笑いながら 料金を請求してきた


もちろん マンタンでも 5千円くらいだったと思う


ホっとしたのと同時に すっげー恥ずかしかった
浜松にいながら 習志野ナンバーの 杣の車は
逃げるように ガソリンスタンドを後にした


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2007.09.12

そんな大人の肝試し ③

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ビルの高さでいえば たかだか 18階くらいのものだろう
しかし なかなか どうして ・・・高い!
それまで ハシャいでいたが この瞬間だけは やや失禁・・・


ま 介護用 大人のオムツもしていたので
周囲には 芳香を撒き散らさずに 済んだようだ
高齢化社会も マンザラではない!


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かつて 赤い鳥が歌っていた 「翼をください」
翼を背中に宿したら それを はためかせるためには
どれくらいの 筋力が 必要になるのだろう・・・


そんな思惑とは 別に
体は 確実に 加速していく
引力とは こんなに 強い力だったのか・・・


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幽体離脱という 超常現象があるというが
成仏できない魂には 怨恨や 未練があるのではなく
ただ わずかな体重が 残ってしまっただけなのでは ないだろうか・・・


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まあ どうやら肝は 正常に作用しているらしい・・・ メデタシ メデタシ!


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2007.09.11

そんな大人の肝試し ②

ここには レントゲンも MRIも 無い
が 記録は鮮明に 撮られてしまう
撮影は キュートでラブリーな メアリー(仮称)


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白衣の天使では無いのだが 
キケンを省みない ワイルドなガール! 
うーん アマゾネスから スカウトされそうだ!


しかし 撮影するのは 肝臓ではないらしい
手にした 写真機の やたら望遠なレンズが
いささか 気にならなくもない・・・


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ハッキリ言って 大仰で 重装な装備であるが
大人の肝試しは こうでなくてはならない!


この時点で オショウスイをチビったりしたら 
疑われるは 切迫性尿失禁ではなく
「肝」 つまり 肝臓なのであり ついでながら 「度胸」である


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見下ろせば 川面まで 距離にして 40メートル
地球によって なんの努力も無しに 等加速度運動を経て
最高 100キロ近くなるという・・・ マジかよ?


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ちなみに ケムリとバカは 高いトコが好きだ


(つづく)


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2007.09.10

そんな大人の肝試し ①

日々 尋常でない量の アルコール摂取に 余念の無い杣だが
それでも 時々 テメーの肝臓は 大丈夫なのかと
少々 不安になることも なくもない


なんせ 相手は 沈黙の臓器なワケだから
気づいた時には 手遅れ・・・ なんてことも
十分に ありえないこともない


なもんで 肝臓のチェック
すなわち 肝試しに 行ってきた


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肝試しと言っても オバケ屋敷やら
心霊スポットで 行うのではない
もちろん 大嫌いな病院など 行く気もしない


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それでも 体重だけは 測量される
体重における 肝臓の大きさやらを 測定しなければいけないのか・・・
だが 不可解なコトに 服と装備をしたまま 体重計に乗せられた


こんなんで テメーの 肝臓の状態が 分かるのだろうか・・・
少々 不安になってきた


挙句の果てに 責任追及を 一切しない 誓約書まで 書かされる


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かくして 肝試しの準備は チャクチャクとすすんでいく


(つづく)


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2007.08.16

猛暑の中の ささやかな成長

日々の中の ささやかな 悦びは 人を豊かにし 
個々の 心の充足は 世界平和の細胞となりえる


ささやかであっても 進歩とか 成長なるものが 顕著な場合
それは 過ぎ去った時間の 結晶であり
時間が 血となり 肉となった 証でもある


時に それが オノレの進歩なのか
はたまた 体制の変革なのか その双方であるのか
勘違いしていても 嬉しくて 幸せになるコトがある


まあ こうした 大げさな書き出しで 始める時には
本文は ショボイ・・・


・・・・・・・・・・・・・・


最近 テメーが 著しく成長したと 実感できるコトがあった
大人になると そうした満足とは 疎遠になりがちであるだけに
はなはだ 嬉しい!


ただ テメーが 成長したのか
あるいは ムコーが 変わったのか
やや 自信が無いのだが 結果は良好であり はなはだ嬉しい!


それは コンビニの オニギリの開包である


実は 今年の春先まで オニギリの袋に
海苔を残さずに 開けることができなかった・・・


どうやっても 袋の両端の 海苔の残留を回避できず
その 二等辺三角形の ふたつの海苔は
内角の和は 180度であり 相似形であった・・・


生まれて始めて 海苔を残さずに オニギリを食えたのは
茅ヶ崎の仕事の時であり そこには アドバイザーが居た
彼の忠告通り 魂を込めて袋を開けると 海苔とライスは完全なる密着をみた


テメーの開き方と アドバイザーの説明と
どこが どう違うのかすら 分からないくらい
ささいなコトだったと思うが とにかく 海苔は しかるべき運命を辿った


実は オニギリだけでは無い
コンビニの 納豆巻きでも 幾度も失敗をし
一度なんかは 美白の納豆ライスが 地球に突進していったコトがある・・・


あの時は 辛かった
拾い上げて 塵を払って 食えるトコだけ食おうと ちぎってみたら
納豆が糸を引き 分断への抵抗 反乱 そして手の中で グチャグチャと殉職した


取り残された 海苔の内角の和は 360度 
納豆まみれの手で 海苔だけを パリパリ食べた あの寂寥感
テメーの失態を 業者への怨念に転嫁し 矜持を辛うじて維持したものだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


テメーの観察力と 記憶力が 確かなら
コンビニによって オニギリの袋のシステムは
異なっていると思うのだが いかがなものだろうか


それが 最近になって ほぼ9割以上の確率で
海苔を残さずに 袋が開包できるということはだ
世界のイチローよりも高い打率であり はなはだ嬉しい


これが 知らぬ間に テメーの技術が上がったと 信じているのだが
もしかしたら たまたま 開けやすいオニギリばかり
購入しているだけ とも 言えぬことは無い


はたまた 海苔の強度が 強化され
ひきちぎれにくくなった というコトも 考えられる
温暖化による 海苔の変異という可能性も 否定しがたい


いずれにしろ ささやかではあるが
僅かな食料も 無駄にせず
あるべき姿のオニギリを ホオバれる瞬間とは 真に幸せである


海苔は パリっと 香ばしい音を立て 
ライスは モチっと ふっくら 触感のコントラストを演出し
やがて はにかみながら メンタイコが味蕾と まぐわう・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


って 暑さのせいでしょうか・・・
いくら書き続けても オチが出てこないんで
本日は こんなトコで 勘弁してやろう!


ってか 熱中症で 人間って 亡くなるんですね?
今日 初めて知りました・・・
昼寝とかしてたら やばかったかも・・・ 仕事してて良かった!

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2007.07.26

恐愁所 Ⅲ

さて 初日のハプニングを 奪回すべく
杣は 順調に 実技を重ね ステップアップしていった
既に 原付バイクに乗っていた杣は ハンクラなど 余裕のヨっちゃんだった


が しかし


学科が 何故か やばかった!


どう やばいのかというと テストに合格できないのである!
もう少し 正確に云えば テストの問題との相性が
すこぶる どころか 全く悪く 理解できなかったのである!


そんな アホにも 平等に月日は 流れ
順調に 仮免の試験に 突入する


仮免の 筆記試験を 3回ほど 落ちた頃
教官に呼ばれ 再び 個人面談を 受けた


『君ね 期限は2月だから これ以上 試験を落ち続けると
 卒業が間に合わないから 
 今回は 特別に 合格にしてあげる・・・』


杣は どうやら このころから Mr.ラッキーの兆しがあった!


てなワケで 学科試験は 不合格のまま 路上教習に進んだ
そして 実技は 相変わらず 一時間も 落とすことなく
最後の 卒業試験を 迎える!


もちろん 実技は 一発合格
なんつったって アフリカ人なみの 視力と
サッカーで鍛えた 反射神経 抜群の 両足を 有しているのである!


しかし 案の定 学科試験だけ 合格しなかった・・・
時は既に 1月半ば・・・ 卒業できなければ 
再び 最初から 教習所に 入りなおさねば ならない・・・


5回くらい 試験を落ちた頃 ミタビ 教官から個人面談の誘いを 受けた
もちろん 2Eであろうが 喜んで 馳せ参じた!


『君ね 何度やっても ダメみたいだから もう 合格にしてあげる
 ただね こんなことは 教習所始まって以来 初めての処置だし
 絶対 口外しては いけないよ! いいね 分かったね!』


杣は どうやら この瞬間から Mr.ラッキーを 自負し始めたようだ!


話によると 実技試験で 合格しない人は まあ よくいるらしいんだが
学科が 一度も合格できないアホは 未だかつて存在したことないらしく
呆れて 同情してくれ 特別待遇をしてやる とのことだった!


この時 袖の下に どれだけ包まされたかは 言えない・・・ (うそうそ!)


***************************


てなワケで 杣は 学科試験を 一度も合格しないで
まんまと 教習所を卒業しちまった
そして こうして 教官との密約も 破戒しちまった


なもんで 免許なんぞを 剥奪されて
再び 教習所に行かなければ いけない事態は
なにがなんでも 避けなければならない!


これまで 警察に どれだけ包んできたかは 言えない・・・ (うそうそ)


****************************


ちなみに 免許センターで 学科試験を受けたのは
大橋ピアノへの弟子入りで 浜松に行く 1日前・・・
もう トラウマになっていて ギリギリまで 行く気がしなくて・・・


でも 浜松に行けば はるばる静岡市まで 試験を受けに行かなければならず
それなら ということで 千葉の免許センターに 早朝 向かったものです


で 駅前で オロオロしていると
「免許センターに行くんなら 今日 出題される問題 教えてあげる」
と ダフ屋か ポン引きみたいな オッサンに ついて行きました


おかげで 試験の問題の意味が 理解できなくても
答えだけは 分かっていたので 一発で合格!
杣は どうやら この時には 立派なMr.ラッキーに 羽化したようでした!


しかし 今だに 不可解なのは
教習所の 試験問題って ナンで あんなに ややこしい日本語にするんだろう・・・
素直に答えても 考えすぎても 正解にならないんだよね


実際の 路上の現場では 緊急事態であっても
いちいち あの ワケ分からん日本語に 変換することなく
ハンドルやら ブレーキで 対応してるんだから・・・


さて 今日もジンロを飲んで 仕事に行きますか!


 

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2007.07.25

恐愁所 Ⅱ

教習所の 最初の1ヶ月は 学科だけしか 受けられなかった
ようやく 車に乗れたのは 10月に入ってからだ・・・
で いよいよ 初乗車の日が やってきた!


所沢は 小手指というトコにある 調律学校で 放課後
杣は 同級生と 水曜の非常勤 ハタ先生に
「今日 いよいよ 教習所で 車に乗れるんスよ」 と吹聴していた!


すると ハタ先生は ニヤリとして のたまわった
『杣君 それは おめでとう! 何事も最初が肝心だから 
 今日は とっておきの 秘訣を授けてしんぜよう!』


『まず エンジンをかけたら よーーーく エンジンを フカしてだね
 エンジン内の ススを しっかり 払うコト
 これだけで 教官は 関心して 君の点数は うなぎのぼり 間違いなし!』


ほー そういうものか・・・


なんせ 2Eの性格で 
おまけに 学科では アリエネー失態を繰り返していた杣は
教官のハンコが 死活問題にまで発展していた時期の 玉音である!


そこにいた すでに免許を取得していた 同級生は
(男顔負けの女で 今は小淵沢に住んでおり 日ピの班が同じヤツ!)
「そうそう ブイブイふかした方が ススは よく落ちるからな!」 と援護する!


****************************


さて 学校の帰り道 教習所に着き 待ちに待った 初乗車!
緊張しながらも ワクワクして あてがわれた車に 乗り込む!
教官は 能面のような 無表情な オッサン


でも 待ってろよ! すぐに その能面を 笑顔に変えてやるからな!
モナリザがいいかい? エビスさまがいいかい?
なんつったって こっちったー 秘訣を忍ばせてんだからよ フフフ


『じゃ まず シートの角度を合わせて ミラーを調整してください』
「ハイ」
杣は 素直にシートの角度を矯正すべく 座席の脇のレバーを押し上げた!


あれ?


何度 押し上げても シートの角度どころか 前後も変わらない・・・
欠陥車か? 
高い金払ってんだからさ もっと 壊れてない車に 乗せてくれよ・・・


すると 能面教官は ムッツリとした 達磨教官に 変身し
助手席から ドアを開けて 出て行ってしまった・・・
マジかよ・・・ やっぱ2Eは 嫌われてんのかな・・・


しかし ミラーの中の教官は 車の後部に回ると
トランクを バタ!っと閉めて 再び助手席に 戻ってきてくれた!
『君 今のレバーは トランクのだから ・・・さ シートを合わせて下さい』


どうやら 知ったかをして 違うレバーを 何度も いじってしまっていたようだ・・・
ま 大丈夫! こちらは 秘訣があるから!
その 達磨になっちまった 能面を 菩薩の笑顔にしてやるさ! フフ


てなワケで なんとか シートベルトも締め
エンジンをかける
ブルブルブル ・・・お! かかったぞ!


杣は 達磨を 横目で チラと伺い アクセルを めいっぱい フカしてみた!


ススが スッキリ落ちて 教官をニヤリとさせるために ブイブイ フカしてみた!


すると どうしたことだろう!
ムッツリ達磨になった 能面教官は
今度は ハンニャのような顔に激変し いきなり ドナリやがった!


『不必要に エンジンは フカさない!』


「は? いや・・・ あの エンジンのススを・・・」


今なら 分かる! でも 当時は 先生やら 同級生を 信じていた!
がしかし どうやら 2E以上に 性格の悪い連中に 囲まれていた・・・
(20年以上経った今でも 忘れてなーからな! テメーら!)


そんな こんなで 教習所の日々は 過ぎて行く・・・
滞りながら 過ぎて行く・・・
そして 杣は 教習所始まって以来の アリエネー失態をしてしまう・・・


あ これ ノンフィクションなので・・・ (つづく)

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2007.07.24

恐愁所 Ⅰ

杣は 例え 免停になったとしても 
決して 免許取消しには なれない・・・


それは 若かりし日の 教習所で 思い知らされた
オノレの 情けない能力を 
再び 噛締めなければならないからだ・・・


****************************


杣は 調律の専門学校に 千葉の我孫子から
埼玉の所沢まで 実に 2時間半もかけて 通学していた
なもんで 教習所は その間の 西武線沿いの場所を探していた


当時 同じクラスにいた カワイ娘ちゃんの情報によれば
「とても親切で 優しく教えてくれる 教習所があるわヨ!」 てなことで
対人恐怖症の 杣青年は その言葉を信じ 手続きをすすめた


その 教習所の名前は あえて 出さない


というのも この連載を 読み進めていけば 分かるが
もしかしたら これは 犯罪に匹敵するかも知れない過去であり
これが 原因で 今更 免許剥奪の証拠を さらすワケには いかないからである


****************************


当時の 教習所は 半年間しか通えないシステムだった
なもんで 9月に入学した杣は 2月までには 卒業しなければならず
まあ 就職までには 十分 余裕があると思っていた


最初に ドライバーの適正検査 なるものを やらされる
まあ 性格診断テストみたいなもので
杣は このテのモノは かなり正直に返答する


かつて 高校時代にも どんな就職が向いているか調べるために
性格診断を やらされた記憶があるが
「とてつもない 悪いヤツ」 という結果が出てしまった・・・ まぁ 当っている


なもんで この教習所の 性格診断も 正直に書いた


翌日 講義が終わって 杣と もう一人の男性が 残るように言われた
で そこで あろーことか 説教をくらったのである!
教習所 入学 二日目の ワクワクした時期にである!


もう一人の男性は すぐに 「帰ってよし」となり
教室には 教官と 杣の 二人きり
教官は言った 「君の性格は ドライバーの資格が ないんだよね」


診断結果は 1と2 そして それぞれ A~Eに分かれており
一番 運転への適正があるヤツは 1A
最も危険で 愚鈍で 運転させてはいけないヤツが 2E 


で 杣は 2E の性格だった・・・


すぐキレやすい とか 譲り合う精神を もたなければいけない だとか
30分以上も 説教をされた
つーか すでに20年近くかけて 形成された性格が 直るハズもない


そんなふうに まるで「人間失格」 に似た 烙印を押されて
教習所生活が 始まったのである・・・
ちなみに 今でも 杣の性格は 2Eのままである・・・


(つづく)

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2007.07.17

鬼門

関越道で 北に向かう時
今でも ヒヤリとする場所がある
花園インターの 少し手前・・・


***********************************


一度目は パンクだった


テポドンの前の スバルの軽バン「ポンタ」に 乗っていた頃
杣は 軽自動車でも 高速道路は
必ず 追い越し車線で ブイブイ 走っていた


その日は 何故か 予定より かなり早目に 出発したくなり
何故か 一番左の車線を トロトロと 走っていた
そして 突然 パンクした・・・


ま 路肩で タイヤを交換して 
何故か 予定通りの時間に 秩父に到着し
コンサートは ナニゴトも無く 無事に終了できた


**************************************


2回目は エンジンが焼きついた


この時も 「ポンタ」に 乗っていた
というか これが ポンタにとって 最後のドライブであり
殉職の旅になってしまった


その日も 何故か 予定より かなり早目に 出発したくなり
何故か 一番左の車線を トロトロと 走っていた
そして 突然 エンジンが停止した


もう ウンとも スンとも ワンとも ニャンとも 言わない・・・
どうしたんだ ポンタ! 立て 立つんだ ポンタ!


ま 路肩で ジャフを呼び 牽引されて行くのだが
この時は 更なる問題があった


2台の楽器を積んでおり これを なんとしても
秩父での 録音に間に合わせなければいけない・・・


結果 早朝に叩き起こされたケンタが 車で駆けつけてくれ
楽器を 積み替えて コト無きを得た


しかし ポンタは インター近くの自動車修理屋で
そのまま廃車となり 短い生涯を 終えてしまった・・・
なもんで 数ヶ月後 新車「テポドン」購入に至るのだが・・・


Img_4651


この ふたつのアクシデントは 関越道の ほぼ同じ場所で 起こっている
そして 2回とも 普段より 大幅に早い時間に 出発している
なもんで 何故か 会場には 予定通りに 到着できちまっている


虫の知らせというか ポンタの知らせというか・・・


杣は 自ら 「Mr.ラッキー」と称して はばからないのだが
こういう経験を 重ねて ますます その思いを強くしているようだ


がしかし 磨り減ったタイヤで 高速を走っていたのも
オイル交換をしないで 灼熱の高速を走っていたのも
杣自身の責任であり 自業自得なのであるが・・・ Mr.ラッキーなのである!


というワケで 今日も 関越の鬼門を 走る・・・
今回は 台風やら 地震の後だから
早目に 出発することにしよう


いや待て 早目に出発した時に限って トラブルが起こっているから
ゆっくり出発したほうが 縁起はいいのか・・・


 

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2007.07.13

ケン は ケン でも・・・

任侠モノを 立て続けに読んで 床屋に行くものではない


頭の中は すっかり ハードボイルド


Img_4639


「いらっしゃい 今日は どんなふうになさいますか?」
『あゝ 高倉健と同じにしてくれ!』

「えっ? よろしいんですか?」
『かまわない ザックリやってくれ!』


「なんか 心境の変化でも あったんですか?」
『あゝ 恋を失くした ただ それだけのことさ』

「またまた 御冗談を!」
『サツに追われてるとでも 言ったほうが よかったかな?』


かくして 散髪は終了した


がしかし 鏡に映っていたのは 高倉健ではなく
ケン は ケン でも
志村ケンだった・・・


工房に帰ると 後輩が 作業をしていた
そして 涙を出しながら 笑い こう言った
「先輩 ケンなおこ みたいですよ!」


ケン は ケン でも・・・


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が 正直な話・・・ 一番似ているのは バートだったりする・・・ 嗚呼・・・

  


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2007.06.28

カブから サブへ

杣は 少年時代から イタズラ好きで
そのオカゲで じゃないか そのセイで
親は 何度も 足しげく 学校に呼び出されていた


親族らは 姉貴を サリーちゃん ん? アッコちゃんか?
とにかく 秘密だか 魔法の少女扱いをし
その弟を イタズラ小僧の「カブ」と称して はばからなかった


今では ゲイ扱いされ フットサルの連中に 
「サブちゃん」などと 呼ばれているのだが (三郎だと思えば 嬉しい)
少年時代は 「カブちゃん」と 呼ばれていたのだ


さて 同じような経験を されてる方も いるかと思うのだが・・・


親戚の おばちゃん やら おじちゃん というものは
頻繁に会わないせいか 記憶を 粗な時間で 繋いでいるせいか
なぜか 少年時代のニックネームを そのまま使用しやがる


なもんで イイ年をした オッサンになっても
会うときには 必ず 最初に こう のたまう
「あら カブちゃん 大きくなったわねー」


あのー カブちゃんて呼び方 そろそろ 卒業させて欲しいんスけど・・・
そのー 前回会った時から 身長は変わってないんスけど・・・
そんな いつまでも でかくなっていったら ゴリアテに なっちまうんスけど・・・


なーんてコトは 小心な杣が 言えるワケないので
清く正しい 少年時代の面影を 壊さぬよう配慮し
『おかげさまで 元気にしております』 などと 余所行きの声を出す


んんん 違う こんなコト書くハズじゃなかったのだ


そんなワケで 三つ子の魂百まで (というか ふたご座なんスけど)
昔とったキネヅカ (墓地で チャンバラごっこして 骨塚しか 掘ってないんスけど)
という言葉通り 今でも 現役の イタズリストなのである


しかし 年をとると ハナクソ程度の モラル心が イタズラソウルを縛りつけ
やりたくても やれないコトが増え ストレスが溜まってきてしまう
そして 年齢と臆病が 比例しやがって 勇気が枯渇してきちまったぜ・・・


Img_1416


例えば こういう駐車場に どうどうと テポドンを停めてみたい!
例えば 調律を終えて 演奏者の椅子に ガビョウを 置いてきたい!
例えば 調律を終えて 鍵盤の上に オモチャのゴキブリを 置いてきたい!


イッヒッヒ

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2007.04.19

触感の領域

レジで お釣りを渡される時
そのオネーさんは 杣の手の下に 左手を添えて
つり銭が 落ちないように 配慮してくれた


瞬間 手と手が 触れ合う
瞬間 体温と 人間のニクキュウを 感じる
そして それが 瞬間であれば あるほど ビビる!


それは 異性の体に触れた トキメキではない
ただ 普段 あまりに 人と触れ合うことが無いせいか
人間の硬度と体温に 驚愕してしまうのだ


あらためて 日常生活で
自分の 触感の領域が 狭いことを 再認識したりする
最後に アケミと手をつないだのは いつのコトだったろうか・・・


なーんていうのは ウソである


先日 レンジで 解凍しすぎた 鶏肉のカタマリを つかみあげ
その 体温に近い肉の感触に 思わず
「死んだばかりの人間って こんな感じなのかなー」 と思ってしまった・・・


オマケに 一緒に炒めるハズの運命にあった
切り刻まれた ニンニクを見て
「ニンニクって 人肉 って書くのかなー」 などと 妄想が連鎖する!


で テメーの 爆発的な空想力に 食欲が 一気に消滅してしまい
解凍されたばかりの 鶏肉君は 
再び 冷凍庫 1週間の刑に 処せられてしまった


そんでもって レジの オネーさんの手に触れた瞬間
あの 生まれたての死体の妄想が 再現 再臨 報復してきやがって
ゾっとしちまった ってのが 本音である


もちろん 購入した官能小説が
「悪魔の飽食」 なーんてタイトルであったこととは
ナンの関係もない!

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2007.04.09

三寒四温

お客さんの家に行くと
寒い季節は 温かい飲物を 頂戴し
暑い季節は 冷たい飲物を いただく


ありがたいことだ


がしかし お客さんの親切に対し
杣の対応は 甚だ 無礼である
決して 悪気は無いのだが・・・


まず とてつもない猫舌である


これは 精神力が弱いのだと 自分に言い聞かせ
熱いものを 熱いうちに 涙を流しながら 食べて
世間様に 顔向けできるよう 立派な 猫舌脱却を試みたこともあった


が 結果は 口の中の皮という皮が ただれ
しばらく ナニも食べれない・・・ という状態に陥った
なので 猫舌は どうやら 根性とは 関係ないようだ


一方 冷た過ぎるものも 苦手である


子供の頃 カキ氷などを食べると
すぐに頭が痛くなり うずくまってしまった・・・
この現象は いまだに 不可解である


子供の頃は 冷たいモノは オナカでなく
頭に行き だから 頭が痛くなると 本気で信じていた
甘いものは別腹 ならぬ 冷たいものは別腹説である・・・


だが 理科の授業で 
熱いものは 上に行き 冷たいものは 下に行くと 習った
そして 食べたものは 決して頭部には行かないとも 習った


少年は 混乱の極みに陥る


なもんで 理由は いまだにワカランが
冷たいものは 今でも 前頭葉を直撃し 悶絶する
これも 根性では どうすることもできないらしい


暑さ 寒さにも 適応力が無く
熱さ 冷たさにも 脆弱な自分は
ときどき 変温動物なのでは と 本気で考えることも なくもない・・・


もっとも 饒舌に オヤジギャグを 熱くとばし
周囲を 氷点下に冷却しても 一向に 御機嫌でいられるのだから
精神は 恒温動物であることに 間違いは無いらしい・・・

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2007.04.03

楽器君の忍耐力

厄年なんてモノは ハナから信じていないから
厄年が 何歳にやってくるのかも
正確には 把握していない



やはり 年相応の 体の変調は やってくるようだ


昨年の ギックリ腰デビュー事件に続き
今年始めの 嘔吐事件2回 
過剰アレルギー反応懊悩事件 


そして エイプリルフールには ミッションにも関わらず
前日からの吐き気と ゲーリーによる
急速体温低下事件に 巻き込まれてしまった・・・


Img_0925


世の中は やたら 暖かい日だったようだが
杣は 舞台裏で 楽器用の毛布を着込みながらも
寒くて 寒くて 震えていた・・・


震えながら 初めて知ったコトがある
楽器君には こんな薄着しか させてやってなかったんだ・・・
真冬の移動は さぞかし 寒かっただろうなー


真夏の車の中でも 真冬の車の中でも 
よく耐えてくれてるんだなー
楽器君 偉いよ 君は!


楽器君に 厄年なんて ないと思うけど
どんなトラブルが起きても 治してやれるように
オジサンも 精進するからね・・・ これからも がんばっちくれぃ・・・


ま 楽器君の方が 長生きしてもらえると信じてるから
たくさん たくさん 音楽を奏でてもらって
充実した楽器生を 全うしてくれぃ・・・

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2007.03.27

フォークなダンスでレッツラヒーバー

「マイマイマイマイ マイム セッセッセ!」


果たして これは何語の歌詞なのだろう・・・
なーんて疑問すら 抱きようのなかった少年時代
学校で よく フォークダンスなるものを 踊らされた


それが 体育の時間だったのか 運動会だったのか
今となっては 記憶が定かではない


ただ 不思議とメロディーの記憶は鮮明なので
けっこう 強制的に 何度も踊らされていたのだろう
ネクラホモ・ミキサーなんて 今でも 最後まで歌える


・・・・・・・・・・・・・・・


フォークダンスの “嘆きの定番” といえば
「好きな人と 手をつなげるトコまで あと一人! 
 というとこで 音楽が終わってしまうんだよなー!」 


自慢じゃないが (という時は 大抵 自慢であるのだが)
杣少年は この 「あと一人残念ストップ」 の経験が無い
わっはっは!


先天的にラッキーな星の下に生まれ
別名を 「ミスター ラッキー」と 自称している杣は
フォークダンスでも その才能を イカンなく発揮していた


好きな人と 手をつないで フォークダンスを踊る極意とは!


実に簡単である
実に明瞭である
が 実に陳腐で 薄情でもある


好きな人が たくさん居たのである・・・


クラス替えをしても 新しい学校に行っても
好きな人に苦労した経験は 皆無である
すぐに 複数の女生徒に恋をし 1年中 春爛漫だった!


なので 当然 ガールフレンドは 複数形であり
Sの位置を間違えて ガールズフレンドになったりもしたが
所有格に甘んじるコトも 無くも無かった


そもそも 杣は 毛も多いが
気も多い (キモーイと読まないように!)
毛は太くて長いが 気は小さくて短い・・・


って ここまで書いて
アホらしくなってきたので
今日は これくらいにしといてやろう!


・・・・・・・・・・・・


あ 調べたら マイウーマイウー マイムマイムは
イスラエルの フォークダンスらしい!
さすがは イスラエルだ!


というのも イスラエルの国歌
世界の国歌の中で 2番目に 名曲である!
(といっても 知ってる国歌は 4曲だけだが・・・)


ちなみに ネクラホモ・ミクシーは
アメリカの曲らしい・・・ やっぱりなー

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2007.01.19

真夜中の 牛への畏敬

牡蠣だの ノロだの ゲロポンだの
はたまた 賞味期限切れだの 不二家だの
暴言を重ねたバチが あたった・・・


おとといの晩 いきなり 嘔吐した
ハンパな量ではない! (どのくらいが ハンパなのか 分からんが)
そのまま 血でも 吐くかと思った!


血なんか 見てしまったら 最後だ!
あの 鮮血を見ただけで 失神する
情けない 工作員なのである!


アジトのハバカリで 失神しようものなら
そのまま 凍死し 孤独死のまま
ブログだけが更新され 気がついた時には 腐乱してただろう・・・


いっそ 赤い色が 判別できないようにと
モノクロの眼を 手に入れんがため
草食動物のように ベジタリアンを志したコトも あったほどだ!


しかし ノドというか 食道というのは
まことに 不可解である


食べる時は あれほど 快感を伴い
胃へ スムースに流れていくのに
何故に 逆流すると こんなに苦しまなくてはいけないのか!


少しは アマゾン川を 見習え! ってなモンだ!


そう考えると 牛は偉大なイキモノである!
まったく 尊敬に値する!


幾つも 胃があるのは どうでも良いが
胃に入ったものを もう一度 口に戻し
モグモグできるのである! 反省しない癖に 反芻しやがる!


人間であっても 杣のように 反省しない輩もいるが
反芻は もっと 不可能だ!
あの 酸味の伴った 異様なマーボー豆腐状態のものを モグモグは出来ない!


ま TOTOと ニラメッコし
オノレの 突然変異マーボーを見ながら
牛を尊敬している余裕があるのだから 大事には至らなかったのだが・・・


そんな 体調最悪の状態で 
昨日 仕事をし 夜はフットサルまでやってきたのだが
体が かるいかるい! 自分が プラティニかと思ったぜ!


そうだよな 晩御飯 抜いたのと同じだもんな・・・


それならば 毎晩 ノドチンコ突いて
サンラーマーボを TOTOに プレゼントしてやろうかと
真剣に ネオダイエットに 励もうかと ホクソ笑んでいたのだが・・・


体重計に乗ってみたら・・・ 減ってないじゃん!
太ってんじゃん!
こうして ヤケ食いし 日々 立派な霜降りになっていくのであった・・・


・・・・・・・・・・・・・・・

追記: 愛宕町私設ライブラリの 熱烈なるリクエストにより 
     マコトにイカンながら サンラーマーボを 御紹介しんぜよう
     トクと ご覧あそばせ! (クレームは 愛宕町へ!)


Gerogerogeroppi


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2006.12.30

伽耶の国への憧憬

杣の一族は 山口県に本家がある
日本国内で 上位4万にも 入らぬ 特殊な苗字であるが
山口県の 電話帳には いくつも見つけるコトができる


山口と言えば そう 長州であり
会津出身の人には ナンダカ 後ろめたさを感じるほど
戊辰戦争の傷を 今だに ヒキズッテいる 殊勝な長州人である


さて 山口は 朝鮮半島に かなり近く 位置している
そこから発展した 杣の妄想に しばし お付き合いいただこう


・・・・・・・・・・・・・・・・・


朝鮮半島には かつて 伽耶(カヤ) という国があった
日本に仏教が伝わる ちょっと前の 西暦532年に
新羅によって 滅ぼされた 鉄の王国である


で その時 伽耶の国民は 多数 日本に逃れてきた
そう 九州北部や 山口あたりに・・・


つまり 漢字こそ 異なるものの
杣の祖先は この 伽耶の国から来たと 考えるのは
さほど 強引な論理ではないコトが お分かりだろう


Kayagum


韓国映画 「8月のクリスマス」を 初めて見た時
その中の  韓国語の響きに ビビビが走ったのは
恐らく 自分の中の 朝鮮のDNAが反応したと 信じきっている


韓国には 「伽耶琴」という 楽器が 今でも使用されている
ハン・ソッキュ主演の映画 「銀杏の寝台」にも 伽耶琴が出てくる


その他にも いまだに
伽耶山や 伽耶という地名は残っており
伽耶の名残は 随所に見られる
 

Kayasan


来年の5月の終わり
韓国は 大邱(テグ) という都市で
世界の調律師が集合する イベントが開催される


その時 大邱の近くにある 伽耶山を
是非 登ってみたいと思っている


更なる ビビビがあるのか
あるいは ただ息が切れて ゼーゼーするだけなのか 
今は まだ 分からない


Kaya


自分のルーツに 思いを馳せるなんざ
よくよく 年をとったもんだなーと
ちょっぴり ニガクて クスグッたい気分になる

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2006.12.12

馬鹿は風邪をひかない ⑤

新たな 人体実験は
そのまま 最後の人体実験に なってしまいました
かように申しましても 別に 死んだわけでは ございません


リンゴの次に 試した実験が 功を奏し
1年間 飲み続けて 遂に 風邪をひかなかったのであります


普通なら そのまま 飲み続けることでございませう
そこは 杣 
実験の結果が分かってしまったら もう面白くないのであります


1年間 飲み続けて 自分の体質に合っていることが
判明してしまうと プッツリと 飲むのをやめてしまったのです


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しかし 飲まなくとも 風邪をひかない状態で
数年が 経過してしまいますと
逆に不安になってくるものであります


あの 風邪をひかなかった1年は
偶然ではなかったのだろうか・・・
今もって 飲まずとも 風邪には見舞われないではないか・・・


そうなってくると いてもたっても 居られず
風邪をひきそうな ギリギリのコトを
密やかに 人体実験と称して 開始するのであります


そんでもって 風邪をひきそうになると
慌てて アメリカの 風邪薬というディフェンダーを飲み
風邪の間際で 食い止める という繰り返し・・・


Hanajiru


アメリカから帰国して 1年間 飲み続けたのは
「まずーい もう一杯!」 の青汁でありました
当然 杣の味覚の領域の中では 「うまい!」に 入るシロモノであります


出張などで 冷凍の青汁を 携帯できない時には
粉末の青汁で代用し
とにかく 1年間 1日も欠かさず 飲み続けたワケでございます


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さて 表題の