05. 11. 24

ねずみの恩返し ⑤

アンドレアスは ねずみに
ピアノが弾けないのに おじいさんのために
約束をしてしまって 悩んでいる次第を 話しました


『調律師さん それなら我々に お任せ下さい!
実は あれから子供が90匹も生まれてますし
その曲なら オイラもここで聴いてますので!』


と言った途端 90匹の子ねずみ達が サササーっと
鍵盤やペダルの下に もぐりこみました
180個の瞳が お父さんねずみの指揮棒を 見つめています

そして お父さんねずみが 指揮棒を振り下ろした瞬間
子ねずみ達は 一斉に 鍵盤を押し上げたりしながら
見事にショパンのワルツを 弾き始めたのです!


トーマスおじいさんは 隣の部屋で
静かに鳴り始めた演奏に 耳を傾けていました

あの日のように 色あせたクルミ材の椅子に 深く座りながら
瞳を閉じて もの哀しいワルツを じっと聴いています

左手に しっかりと握られたパイプから
消えていくために生まれた 紫煙が
とめどなく 変化しながら 虚空へ昇っていきます


優しさと 悲しみが 幾重にも刻まれた頬には
閉ざされた瞳から 流れ出た 思い出たちが
ゆっくりと すべり落ちていきました


(ねずみの恩返し 完)

| | Comments (12)

05. 11. 23

ねずみの恩返し ④


それから 1年が過ぎて 
再び トーマスおじいさんの家に
ピアノを調律しに 行く日がきました


トーマスおじいさんは あの日のように
大きな扉を ギギーっと開けて 迎えてくれましたが
なんだか とても淋しそうな顔をしています

アンドレアスは わざと 明るく聞きました
「あのピアノ お孫さんの カール君には
喜んでいただけましたか?」


『ああ 去年は 本当にありがとう 助かったよ
でも カールは 病気で死んでしまったのじゃよ…
そうだ 実は頼みがあるのじゃが 聞いてもらえるだろうか』

アンドレアスは その頼みの内容を聞いて
途方に暮れてしまいました


その頼みとは 調律が終わったら
カール君が最後に弾いた ショパンのワルツ7番を
是非とも 弾いて欲しい というものだったのです


アンドレアスは ピアノが弾けない調律師でした
でも トーマスおじいさんが あまりに可愛そうだったので
ついつい 「わかりました」と 返事をしてしまいました

アンドレアスは ぐったりと 重たい気持ちで
調律を終わらせ 最後に鍵盤を外して 
掃除にとりかかりました


すると そこには 去年のねずみがいました
『調律師さん 去年は助けてくださって 本当にありがとう!
あれれ? とても元気がありませんが どうなさったのですか?』

| | Comments (0)

05. 11. 22

ねずみの恩返し ③

アンドレアスは ねずみに言いました

「ピアノの部品を 食べたりしないと
約束できるかい?」


ねずみは 奥さんねずみをかばいながら
『ハイ 絶対に食べたりしません』
と 震えながらも きっぱりと言いました

アンドレアスは ねずみ達が 可愛そうになり
「分かった でもトーマスおじいさんには 内緒だよ」
と 小さく微笑んで ウインクしました

そして 上着のポケットから 
ちょっと ひからびたチーズを出し
ねずみの前に そっと置いてやりました


それから アンドレアスは
何事も無かったかのように
ピアノを 元の状態に戻しました


「トーマスおじいさん 終わりましたよ
いろいろ 傷んでいましたけれど
もう大丈夫です 安心して下さい」

,
何も知らない おじいさんは
孫のカールが来ることが たいそう嬉しいらしく
コーヒーと ケーキを出してくれました

そして アンドレアスを 送る時も
『ありがとう 本当に ありがとう』
と お礼を言ってくれました

| | Comments (0)

05. 11. 21

ねずみの恩返し ②

『突然 調律をお願いしたりして 本当に 申し訳ないのう
実は明日 孫のカールが 我が家に遊びに来ることになって
おばあさんが死んでから ピアノは放ってあったもんで
ちょいと 診てもらいたいと 思ったんじゃ』


アンドレアスは 温かいキノコのシチューと
黒いパンを 御馳走になってから 
隣の部屋にあったピアノの調律に とりかかりました

その アップライトピアノは
随分長い間 調律していないとみえて
だいぶ 音も狂い 傷んでいたました


調律をして タッチの調整をして
最後に 内部の掃除をしようと
鍵盤を はずし始めました

すると 鍵盤の下に 2匹のねずみが
怯えるように うずくまっています
小さな不安な瞳で アンドレアスを見上げています


アンドレアスは わざと 怖い顔をして
「こんなところで 悪さをするねずみは
ひっつかまえて 殺してしまうぞ!」と
ちょっぴり 意地悪に 脅かしてみました


『調律師さん どうか見逃して下さい
実は 妻のお腹の中には 赤ちゃんがいて
ここから 動けないのです
絶対にイタズラはしないと 誓いますので
今度だけは 見逃して下さい』

ねずみは ブルブルと震えながら そう言いました

| | Comments (0)

05. 11. 20

ねずみの恩返し ①

重くて長い ドイツの冬


すっかり陽が暮れた頃 アンドレアスは 
仕事を終えて 雪が残る 狭い路地を通り
ようやく 家に帰ってきました

扉を開けようと 冷えきったノブに
手をかけようとした時
1枚の手紙が はさんであることに 気づきました


「アンドレアスさん
申し訳ありませんが 今夜中に
我が家のピアノを 調律して もらえないでしょうか?
お待ち申し上げております・・・トーマス・ハッターマン」

アンドレアスは ちょっぴり思案しましたが
面倒くさそうに 今来た道を 戻り始めました
どこからともなく 夕餉の匂いと 湯気が漂ってきます

ひっそりと静まった アリア教会の脇を抜けて
石畳の 細い坂道を 登りきったところに
トーマスさんの家は 佇んでいました


「こんばんは! 調律に参りました!」
大きな扉が 静寂を濁すように
ギギーっと軋みながら 開くと
暖炉の灯りを背にして 老人が立っていました


口髭まで 見事に真っ白な トーマスおじいさんは
人懐こい笑みを たたえながら
アンドレアスを 優しく 迎え入れてくれました

| | Comments (0)

05. 11. 19

ねずみの恩返し 序

ノストラダムスの大予言か
はたまた グランドクロスで
地球が 滅びるかも・・・

と 密かにビビっていた 1999年の夏
杣は 仕事で ドイツのミュールハウゼン
という街に 滞在していた

ミュールハウゼンという 小さな街は
ドイツの ちょうどマンナカに位置しており
「ドイツのオヘソ」 と呼ばれている

その街の ラットハウス という会場で
ある チェンバリストの ラストリサイタルが
開かれたのだが、、、(これは また 別の機会に譲ろう)


その 城壁に囲まれた 古い町並みを歩いて
杣は 「ここだ!」と閃いた

実は 長年あたためていた 
「ねずみの恩返し」という話の
舞台に使う街を 探していたのである

そのイメージに 適した街に遭遇して
杣は ようやく この物語を書き上げることができた


この話は 日本ピアノ調律師協会の
会報113号(2001年1月号)に 寄稿したものを
ブログように アレンジし直したものである

それでは 全五話の 物語を 始めようか…

| | Comments (0)