05. 09. 03

東海道誤十三次 ⑭

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 2000/8/28(月) 石部⇒京都 約38km
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16時40分 京都三条大橋 到着
約500km 14日かかって完歩

到着して 達成感や 感動は 皆無だった
むしろ 前日 「京都まで行けるかも!」と
可能性が濃厚になった時点で 最高に奮起した

東海道五十三次の「次」とは
宿場の数だそうだ
杣は 13泊14日だったので 13次だった
それは 予定より1日 遅かった

帰りは新幹線で 2時間半 
あっという間に 東京まで 辿り着いてしまった
文明とは 凄いと あらためて思った

あれから 5年経った
東海道は いろいろ学ぶものが あった

それまで 何かをやる時に
「どこまで 出来るか」 そう思っていた
でも 本当は 「どこで 諦めてしまうか」だった

諦めなければ どこまでも行ける
500kmは 未知なものだけれど
それは 確かに「たった一歩の連続」だった

東海道を歩いている時
友人にこんなメールを送ったらしい
「東海道のバカ!」

本当の馬鹿は いつも自分なのかも知れない
でも それに気付かせてもらった 今では
「東海道 アリガト!」(鳥肌が立つくらいキザ!)

今でも 鴨川のせせらぎと ひぐらしのカノンは
少し発酵しながら 記憶の中で騒いでいる


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   今日のオマケ

   http://www.remindermailer.com/
   できることなら2000年8月28日にメールしたいんですけど、、、

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05. 09. 02

東海道誤十三次 ⑬

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2000/8/27(日) 関⇒石部 約41km
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夜中に何度も目が覚めた
朝は5時に出発 

東海道を 何故歩きたくなったか、、、

それは トラクス こと 山葉寅楠

今や 世界のヤマハとなった 旧日本楽器
その創始者が 他ならぬ 山葉寅楠だった

1887年7月15日 浜松
トラクスは初めてアメリカ製のオルガンに出会った
そして 修理の依頼を受け 
修理の傍ら その仕組みを図面にして
2ヶ月後には 日本初のオルガンを製作してしまう

そのオルガンを 東京の(現在の芸大)先生に 見せに行く
当時 鉄道は東京から小田原までしか 開通していないので
浜松から 小田原まで 寅楠は オルガンを担いで行った

トラクスは 箱根を オルガンを担いで越えた
「何故 それほどまでして、、、」
そんな彼の 情熱を 確かめたかった

杣は 当たり前のように 調律師として
日々を過ごしているが
極東の 日本に
これだけのピアノが存在し
これだけの音楽家が存在する その原点に
トラクスは 存在していた

その 「当たり前の重み」を 確かめたかった
箱根を越えて トラクスの足跡を辿りたかった
ただ それだけのことだったのだが、、、

当たり前というものは 過去が作りあげる錯覚
その瞬間には ただ 挑戦と情熱しかない

明日 京都に辿り着ける!
そうだ 京都 行こう!

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今日のオマケ

   http://www.yoshidaga.com/huge.html
   人間は 何故か 巨大なモノに憧れる、、、

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05. 09. 01

東海道誤十三次 ⑫ 

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 2000/8/26(土) 四日市⇒関 約27km
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足は 完全に復調している
もしかしたら 京都まで歩けるかもしれない、、、
初めて そんな気持ちが かすかによぎる

リュックの中には 電子温度計を入れていた
その日の最高気温を 記録に残していた
最高気温は 前日の41度、、、暑いわけだ

亀山がローソクの産地だと 初めて知った
8月に稲刈りをしていて 驚いた
三重県は この旅で 一番 人間が温かかった

関に到着するが 宿が どこも満杯
歴史的な町並みが残る 情緒のある街
夏休み最後の週末 宿は どこにも空きが無かった

この旅 初めての野宿
道の駅の ベンチをベッドに見立てる
8月なのに 寒くて 新聞紙と
ゴミ袋用のビニールを 体中に巻きつけた

少し ミジメな気分になって
京都が 少し遠く思えた
でも 少し ワクワクもした

明日は鈴鹿峠
ツーリングのアンちゃん達と
道の駅で 野宿した

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   今日のオマケ

   http://hanihoh.com/love/
   いやー 怖いですね。 結構 当たってますね、、、閑人の結果↓
   http://hanihoh.com/love/result.cgi?checkname=%96%BC%96%B3%82%B5&encodedcheckname=&username=%96%5E+%8A%D5%90l&year100=19&year10=6&year=8&mon=5&day=30&sex=0&7c135=1x-nzx-gxnz&11r0189=3xizxszxszxgz&12r25789=2x-izzx-pzxizx-rzxpz&13r1248=1x-nzxyzx-kzx-nz&14r058=3xyzx-yzxpz&16c157=1xszxszxsz&18r05678=5x-igx-izx-szxzx-gz&34r39=1x-izzxsz&35r3589=2x-nzx-gzxszx-gz&36r07=2x-szx-gz&37r245=2x-gzxrzx-gz&38r68=2x-szx-sz&39r01=1xszx-nz&40r34=2x-pzx-nz&41r478=2x-nzxszxsz&42r34=2xyzxyz&43r4=2x-rz&19r1368=2xigxgxsgxig&20r1368=1x-yzxrzxizzxsz&21r1368=1xnzx-nzx-yzx-nz&22r1368=3xzxzxzxz&23r1368=5x-nzxizxpzxpz&24r0128=5xpzx-pzxzx-pz&25r267=6xzxzxz&26c2589=1xgzxgzxhzxhz&27c2568=1x-gzx-gzxhzx-izz

   ナンじゃこれ↑

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05. 08. 31

東海道誤十三次 ⑪

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  2000/8/25(金) 宮⇒四日市 約40km
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江戸時代の東海道は
宮から 桑名まで
舟を利用する 海路だった

現代では 幾つもの橋が かかっているので
歩いて三重県に 入ることができる

江戸から京都には
1601年に 東海道と 中仙道が 
整備された

東海道の利点は 
海岸沿いを行くので 峠越えが少なくてすむ

ただ 海が近いということは 川幅も広い
当時 大きな川に橋などかかってなく
大勢の男達が 旅人を
肩や 台に乗せて 川の中を歩いて渡っていた

だから 嵐などで 水量が増した時には
何日も 川の手前で 待たされることがあったらしい

それに比べて中仙道は 山道が続くが 川幅は狭いので
天候に左右されることなく 歩き続けることができた
時間の正確さでは 中仙道の方が 有利だったそうだ

現代とは 大きく異なった 当時の事情を
いろいろ空想しながら
長かった愛知県を抜け 三重県に入った


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   今日のオマケ

   http://www.excite.co.jp/News/bit/00091122891076.html
   杣は低気圧と新月に弱い男です 飛行機の中で死んでました

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05. 08. 24

東海道誤十三次 ⑩

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 2000/8/24(木) 岡崎⇒宮(名古屋) 約33km
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ペースを落としたことが 幸いしたのか
足の具合は 序々に回復してきた
それに合わせるかのように 自信も取り戻しはじめる

歩いている時 よく携帯ラヂオを聞いていた
地域が変わるたびに 放送局も変わり
それに応じて 周波数をチューニングし直す

夏の高校野球も すでに終わってしまった
智辯和歌山が 東海大浦安に圧勝して 優勝した
翌日からは 子供電話相談が 延々と続く

そういえば かのトラクスも 
和歌山出身だったことを 思い出す
そんな些細な情報にさえ 因縁をこじつける

2日で行く予定だった距離を
3日かけてしまったが
また 歩き続けることを 決意した

名古屋の熱田に 宿をとる
おつりの中に 初めて見る 五百円玉があった
それも 今でも 大切にとってある

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   今日のオマケ

   http://www.kanken.or.jp/henkan/happyou.html
   「榧乃と入力しているのに 加屋野 と表示されるのは、、、なぜ?」

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05. 08. 23

東海道誤十三次 ⑨

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 2000/8/23(水) 吉田⇒岡崎 約28km
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この日の起床は 今までで一番遅い 5時
宿を 6時過ぎに 出発
まだ歩き続けるか 迷ったままの出発

この日の東海道は 名鉄本線沿いを通る
もう いつ諦めても すぐに電車に乗れる
そんな安心感が 次の一歩をかろうじて促す

もうひとつ 背中を押してくれるものがあった
それは メールやFAXによる応援である
毎日 何人もの友人から 暖かい言葉をもらっていた

この旅では 微妙なハイテクが活躍していた
携帯電話は勿論のこと
携帯からFAXを受け取れる モバイルも持参していた

自宅にかかってくる 電話やFAXは 携帯に転送され
旅先で 仕事の依頼などの確認ができるのだ
そして ガンバレ というエールも 飛び込んでくる

更に 街道で出会った 
名も知らぬ 多くの方々からも 
たくさんの 励ましの言葉をいただいた

自分自身には 完全に敗北していたのだが
最後には こうした周りからのエネルギーによって
今日だけでも 歩いてみよう という気持ちになれた

予定は 大幅に狂ってしまったが
なんとか 岡崎まで辿りつく
今日1日 歩いて よかったと思った

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   今日のオマケ

   http://portal.nifty.com/koneta05/01/24/02/
   「食べてみたいような、、、痛いような、、、」

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05. 08. 22

東海道誤十三次 ⑧

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2000/8/22(火) 舞阪⇒吉田(豊橋) 約25km
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東海道の半分を歩いたことで 安心したのか
二人旅をして はしゃぎすぎたのか
恐らく いずれにしろ 前日はハリキリ過ぎたようだ

足の裏の マメの皮が全て剥けて 出血
更に 足のムクレが ひどくなり過ぎて
朝から ほとんど歩けない状態になっていた

真剣に もうダメかも知れない
本気で リタイアの決断を下すしかない
そんな思いだけで 足をひきずりながら歩く

歩き通したところで 一体 何になるのだろうか
リタイアしたところで 何が悪いのだろうか
自分の弱さへの敗北を 希薄させる言い訳だけが 湧いて出る

ただ 新居を過ぎてから 鉄道から逸れてしまい(トホホ)
とりあえず 新幹線の止まる 豊橋までは
自力で歩いて行こうと 諦めざるを得なかった

靴の両端に ハサミで穴を開け 
ムクレタ足が 少しでも楽になるように 小指を出す
そんなことを試みながら だましだまし 歩いてみた

当初の目標は 赤坂宿(愛知県音羽町)だったが
10kmほど手前の 豊橋で宿をとる
妥協した悔しさを 誤魔化すかのように
翌朝一番の新幹線で もう帰ろうと 自棄になっていた

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    今日のオマケ

    http://www002.upp.so-net.ne.jp/hit/cccc.html
    閑人は うしろゆびさされ度 62 % でした

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05. 08. 21

東海道誤十三次 ⑦

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 2000/8/21(月) 掛川⇒舞阪 約43km
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東海道の ど真ん中 袋井を通過
もう 半分 というより
まだ 半分 といった気分

この日は 途中から 二人旅になった
かつての教え子 ユースケが
わざわざ 仕事を休んで 一緒に歩いてくれた

天竜川を渡り 浜松市に入る
杣にとって浜松は 懐かしい町でもある
かつてピアノ製作の修行で 2年ほど住んでいた

今では 後輩達が 浜松にやってきて
同じように 修行をしている
そして かのトラクスも ここから出発した

浜松駅で ユースケとウナギを食べた
出来ることなら 「なかや」 という店で食べたかったが
東海道沿いには無いので 諦めた

ユースケと別れて 再び 一人で歩く
二人旅というのも 意外に 新鮮なものだ
何となく ヤジキタ気分に 浸った

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   今日のオマケ

   http://wibo.m78.com/clip/img/63383.jpg
   「分からなくても 悔しく無いことが 少し 悔しい」

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05. 08. 20

東海道誤十三次 ⑥

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 2000/8/20(日) 焼津⇒掛川 約33km
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記録によると 律儀にも
毎朝4時に起床し 5時代に宿を出発している
ほとんど習慣化されてきたのか この日も 5時45分に出発

早朝の出発は 午前中 かなり快足なのだが
昼食を食べて 午後 時間は やたらと ゆっくりすすむ

東海道を歩くために 2度ほど リハーサルをした
1度目は 4月26日 川越街道を歩いた
日本橋から 川越まで 約40km
1日40km歩くと どれだけ疲れるか知りたかった
マラソン選手なら 2時間あまりで 辿りつける距離だが
杣は 8時間もかかってしまった 足はバカになった (足も)

2度目は 6月9-11日の三日間 甲州街道を歩いた
日本橋から 甲府まで 約150km
連日 長距離を歩くと どうなるのか知りたかった
特に二日目 八王子から大月までの行程だったが
峠越えの約50km トボトボと 15時間半も歩き続けた

恐らく このリハーサルが無ければ
箱根までも 辿りつくことは 出来なかったと思う
足の痛み  長い午後  ペース配分、、、 多くのことを学んだ
やはり リハは 大切なものだ、、、  覚悟だけはできる

掛川には 16時20分到着
宿の近くの居酒屋で 面白い出逢いがあった
自転車で 日本一周した 青年
話がはずんで ビールを一本 御馳走してくれた
本心では 一本と言わず あと2.3本くらい、、、

なんてことは言えない 小心者 (小心者でなくても 言えませんから)
仕方なく 自腹で 焼酎を1本飲み干し (だから それが 当たり前ですから) 
ヘベレケになって 宿に戻った (飲みすぎでしょ!)

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   本日のオマケ

   http://www9.plala.or.jp/pandanotasogare/dvd.html
   「さあ みなさんも オーポンして クローニしよう!」
   (提供:なおなおぽんの部屋 http://www.ne.jp/asahi/naonaopon/room/)

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05. 08. 19

東海道誤十三次 ⑤

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 2000/8/19(土) 由比⇒焼津 約38km
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さて 東海道に詳しい方や 実際に歩いた方は
本日の目的地  「焼津」 という地名を見て
「ハテ 昔の東海道に 焼津は無いはずだ、、、」と
思われるかも知れない

そう 旧東海道では ここは山側のコース
丸子(静岡市)岡部(志太郡岡部町)を通るのだ

がしかし 杣は あえて 海側のコースを取っている
これには 勿論 理由がある

今回の遠足では どこでリタイアするか分からないし
確実に 予定日に 目的地まで辿り付く自信が無かったので
宿は 予約無しの 行き当たりバッタリで 決めていた

そこで重要なのは    「宿がある」    ということだ

旧東海道の岡部には 鉄道が通っていない
鉄道の駅近辺というのは 大抵 宿がある

そう 岡部は 確かに観光地かも知れない が
観光旅館があったとしても
当日の飛び込み客や 一人での宿泊は 難しいことが多々ある
それで 海側のルートを選択せざるを得なかったのだ

で 海側のルートを通ってみて 
何故 当時(江戸時代) 海側のルートをとらずに
わざわざ 峠越えの 山側の道しか無かったのか よく分かった

焼津に入る手前に 「大崩海岸」という所がある
ここは その名の通り 海まで山のガケが 突き出しており
現代の技術をしても 以前に作られた道路が 大崩していたほどの難所である

今は 海にせり出すかたちで 新たな道が 作られている
そして 狭いトンネルを抜けて ようやく焼津に入れる (何度も轢かれかけた)
東名高速道路では「日本坂トンネル」の場所にあたる (あの長ーいトンネル)
江戸時代の工事技術では とても道を作ることなど 不可能だったろう

この東海道の回想録は「東海道誤十三次」と題してある
そう ここで少しだけ ルートを変更したため
「誤った東海道」という意味で この名称にしたのだ
(「十三次」の意味は 後述するとしよう)

この日 もうひとつエピソードがある
焼津といえば 刺身 (なんつっても 漁港ですから)
で 駅前のスーパーで 刺身の盛り合わせなんかを買ってきちゃって
宿で食べようとして あけてみる、、、 いざ!!、、、(えっ???)
しょっ 醤油が  なっ 無いんですけど 、、、、(ガーン!)
今から もう一歩たりとも 歩きたくなんかない!(イヤイヤ ! 絶対イヤ!)
かと言って 宿の人に醤油を借りる 勇気も無い!(天下の小心者!)
今夜は 味無しの刺身か、、、(トホホ)

しかし 名案が浮かんだ
杣は 熱中症を避ける目的で 
確実な水分補給のため 「塩」を携帯していたのである
その塩で 刺身を食べてみると、、、うまかった(ホッ)

ちょっと 今回は長くなってしまった (ミアネヨ)
この日 焼津到着は なんと19時半
今までで 一番長い遠足になってしまった、、、

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   今日のオマケ

   http://www.asahi.com/business/update/0818/084.html
   「いよいよ こんな時代がやってきたんですね
   地球から見える月は いつも同じ面なんだそうです
   もし 110億円あったら 見たことの無い 裏側に行ってみたいですな
   片道料金なら、、、55億円?、、、んなの無いか、、、  明日は満月!」

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