09. 08. 22

あの夏の415 ⑭

22. VIII .1999


旅の最終日 やはり 6時ごろ目が覚めた
頭を洗い シャワーをして 支度をする
朝食の予定は 8時半だが 電話がきて 9時に変更


昨日より 体調はいい
朝食をとって 部屋に戻り 12時まで待機


チェックアウトして 1時から市内バス観光
3:15まで とてもユニークな バスガイドさんと
6人の外国人と トヨタのハイエースで見学し 空港に着く


普通の人のところなら とても混んでいて イライラするが
車椅子カウンターでは 割合 早い


LH714の席は 先生と別々で
そして 隣のおばさんが 娘と変わって欲しいということで
前の座席に来る


その後 先生も移動・・・


映画を 3本見る
どれも つまらないものばかり
わずか 30分くらいウトウトして
眠れないまま 朝になってしまった


今日は 時間を7時間ほど 損したようだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


23.VIII .1999


飛行機の中で迎えた23日
日本時間なら 出発する前から23日
このあたりが よく分からん


時計とヒゲは 出発前と同じ
帰ってきた!


体を 少し やわらかくしなければいけない
これは 本当に 切実に思った
老化している


もうすぐ日本 あと10時間で成田
このまま 眠らず 夜までもつだろうか


先生は どうやら ファーストクラスにいたようだ
さすがだ!


出口で 車椅子と共に待ち
別ルートで すいすい手続きが終わる


暑い
現実へ 引き戻される


加久間親子が 迎えに来ていて
一緒に乗っていかないかと 言われるが
電車で 寄っていくとこがあるといい スカイライナーに乗る


見慣れた 千葉の夏
サッカーの試合に来た 十代の夏
あれから もう 13年も経つのか 
信じられない


加久間さんが 会報に書いてくれと 言ってきたが
どう書いていいものか


旅を書くのか それとも コンサートを書くのか
少し構想を ねっておいたほうが いいかも知れない


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この日記は ここで唐突に終わっている


実は 今 出張に来ている
なので 後半の資料や 
コンサートのレポートは 帰宅してから 仕上げたいと思う


長く つまらない文章を 最後まで読んでくださって
ありがとうございました

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09. 08. 21

あの夏の415 ⑬ 

21.VIII .1999


朝 眠らずにシャワーを浴びて 8時に朝食を食べに行く
先生が 遅れて登場
気をつかいながら 食事をとるのは 疲れる


そういえば 昨日 ヘスラーのピアノを見た
カタログをもらった
その話をしたら いい楽器についての話をされた


鳴る楽器とは オイラにとっては
音量が 大きいとか 簡単に音が出る というよりは
反応がいい 響いてるという意味だ


そして 楽器に甲乙をつけるのが イヤだ
楽器は 人間が造ったもので 楽器自体に 責任は無い
鳴ならくても いい状態で使われることが 楽器の幸福


そういえば 昨夜 西ドイツとソビエトの サッカーの試合をやっていた
ゲームの内容も ユニフォームも サポーターも
とても 昔のものだった
けれど 見ていて 楽しかった


西ドイツも ソビエトも 今はない
かたや 統一し かたや 分散した
なんとなく 不思議だった


朝食の後 タクシーで空港まで行った
空港に来て また車椅子に乗るのだが
先生は 車椅子から降りて 歩き回る


どう見ても 車椅子は必要ないが
先生らしい 一面である


30分遅れで ライプツィヒを出た飛行機は
20分遅れで フランクフルトに着く


フランクフルトでは なんと カバンが一番に出てきた
それだけで 何となく 嬉しかった


足の傷の血が かたまったが 分からないように
かばいながら ビッコをひく


ホテルに着いて バスタブに お湯をはって10分くらい浸った
途中で 先生から電話があり 慌てて飛び出て
昼食を 2時半からとることに決まる


風呂を出て 荷物の整理をする
針金ハンガーは 大活躍したが ここに置いていこう


昼食を御馳走になって 街へ出る
フランクフルト空港や駅は なんとなく つかめた


かなり 遠回りして マイン川を渡って ドームに来る
この前は ポール教会でオルガンが聞けたので
今日は ドームにチャレンジ!


幸い まだ 開いている
着席すると なにやら始まる雰囲気
鐘が けたたましく鳴る ちょうど6時になるところだ


この後 延々と この儀式のレポートが
3ページに渡って 記されているが・・・
もちろん 割愛


ドームを出ると ポール教会や
その他の教会を見ながら
コンサートがあるか否か 探した
残念ながら ないようだ


結構 歩いて 8時過ぎに インドカレーを食べた
ドイツで インド料理を食べる 日本人って
かっちょえー!


量が多くて 死にかけるが
全部 食う
おのこしはいけません主義なのだ


駅の売店で ビールと水を買い 地下鉄に乗る
空港で シャトルバスを 30分以上待った


帰ってきて のどが渇くが 腹いっぱいの状態
なかなか 寝付けない


そして 頭の中は 楽器造りのことで いっぱいになる
あそこは こんなふうにしてやれば
造り易く 強度もいいとか・・・


2時過ぎまで 起きていたと思う
やっと少し ウツラウツラとして 
汗をいっぱいかいて 何度も起きる


ツインのベッドなので
ぜいたくに 隣のベッドで 寝なおす

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09. 08. 20

あの夏の415 ⑫ さよならミューズハウゼン

20.VIII .1999


ベッドから 落ちかけて 目が覚めた
まだ 朝の5時過ぎだ
やっと眠れたと思って まだ 2時間くらいしか経っていない


旅支度をすませて 9時半に食事に行く
食べ終えて リュックを階段の下に置いて
ブラジウス教会に行く
チェロとオルガンが リハーサルをしている


教会の この安らぐ ホッとできるのは 何故か
この 大きな容積が 適度に孤独を高めてくれるのかも知れない
そばに 人はいなくて 
しかし 何かの中に 守られている安心感


雄大で いばっているかのような 様々な装飾は 信仰か権威か
けれども ふっと そうした人工的なものが それを超えて
自然物に感じる瞬間がある


その時 心地良い


狭い部屋が とても好きだが
この 圧倒的な広い空間も 心地良い


静寂と沈黙が凝固した 密度の高い空気は
ひんやりと 意識を明瞭にさせ
ゴテゴテした司会は ふっと自然のルールを 逸してはいないかのように
やわらかく見える


ミュールハウゼンの旅は ここで 折り返しとなる
日本人のいない街 ドイツのオヘソ
ヨーロッパの田舎 しかし 人の住む地


さよなら ブラジウス さよなら ミュールハウゼン


11時に戻るが 先生は インフォに行ってしまっていない
荷物を置いて インフォに行くが いない
土産物屋にもいない


結局 30分後に現れ その後も 30分 待ちぼうけ
1時間以上も ペンシオンの前で座っていた
あー まぬけ


1:10まで 約1時間 最後の自由時間
古物屋で いい灯台があったが 18マルクだったので
じっと我慢の子


ベトナムのアジア料理屋台で やきそばを食べ
1時に宿に戻る


するとタクシーが来ていて 荷物を積み終わったところ
約束は1時だと 言い出して・・・ ぐっと我慢


1:27のゴータ行きに急遽乗り
あとは ライプツィヒ 終点なので ゆっくりできる


ライプツィヒに着き タクシーでホテルまで行き チェックイン
少し休んで 別々に市街へ
結構 歩いて ニコライ教会でオルガンを聞いた


スーパーで ワインと 水と ヨーグルトを買った
ギネスのあるレストランで ギネスを飲んだ
泡のきめ細かさが ブンダバーだった


魚が美味かった 今日は アタリだったので 良かった
宿に帰って ワインを飲んだり 横になったりしたが
眠れなかった


8時の朝食に 起きれるか心配だったが
結局 眠れずに朝が来た


なんとなく 結局 時差なく
体が動いてる気がする


足の裏が切れて 出血しだして痛む
体調もよくない 
しかし あと1日である

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09. 08. 19

あの夏の415 ⑪ そして 翌日

6:45に起き 洗濯をして シャワーを浴び
7時半頃 宿を出て 歯医者に送る

歯医者の後 8:10にタクシーが来て
駅まで行き 朝岡さんを送る
帰りに教会に寄り 水とヨーグルトを買い
朝食を 先生と 支配人ととる

その後 自由時間で ブラジウス教会の
オルガンを聴き 博物館を見て
その他 二つの教会と マリア教会を見て
部屋に戻り パンを食べる

先生の付き合いで 友人を送った後
3時半まで自由になり また街を歩く

3時半に戻るが 4時頃起きてきて
6時近くまで 買い物に付き合う
薬局に行き 薬を買って あとは自由

スパを冷やかしに行く
21・22歳の頃 浜松で ドイツワインについて
学んでおいて よかった

こっちじゃ シュペートレーゼが500円
アウスレーゼのフランケンものでも 千円しない!
日本の 5分の1くらいだ! ブンダバー!

トシオに電話し 
クリストフォリの置いてある場所を 確認したが
いまいち分からず 慌てて切る
国際電話は 高い…

その後 ミュールハウゼンの葉書に 侘びを書いて
トシオに送る

少し休んで 夕食をとりに 
昨夜の打ち上げケラーに行く
メニューが 分からない

とにかく 黒ビールと 魚料理を頼む
出てきた料理は 冷たいソースのかかった
ニシンか何かの スモークだ… チョーショック!

温かい料理を 期待していたから とにかく悲しかった
会計は 何と22マルク!
最大の出費で 最高に哀しい気分になった

トシオは こんなとこに 5年もいたんだね
つくづく 偉いと思ったよ
勿論 キッチンが付いてれば 食に関しては
かなり 救われるけどね

こっちの人は 声がでかい うるさい
そんなヤツラと 5年もいたなんて
やっぱり トシオは 偉いよ 

気候は耐えられると思うが
人間が 駄目だ

勿論 日本人でも 
あんまり関りたくなくなってるから
さほど 変わらないのだけれどね

宿に帰って またビールを飲んで
ラベルを剥がして 
テレビを見ながら寝ようとした

なかなか 眠れなくなってきた
ついに ここ2,3日あたりから 眠れなくなっている
これは やばい

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09. 08. 18

あの夏の415 ⑩ ラストリサイタル

6時半頃起きる
7時から朝食なので しばらくボーっとしてる
筋トレをする気も起きない
疲れているが 本番だ!

朝食を食べ シャワーを浴び 洗濯をして
ヨーグルトを食べ 宿を出る

ラットハウスには 9時前に入り 
ライトを点けてもらい ヴォイシングとスタガリング
そして 調律をする

朝岡さんに 歯医者を探して来たということで
先生は 朝から 落ち着きがない

リハが始まって マインホルト氏も来る
小柄で気弱そうな人だが いい人だ

午前中のリハは 途中から まったく集中力を欠き
レジスターがどうの 響きはどうのと 落ち着かない
疲れるからと ランチを薦め ペンシオンに帰す

まだ本番まで 8時間近くある
気だけ焦って疲れている

ヴェルクマイスターの ヴァリエーションの
1/5を試している 悪くないと思う
バッハがあるので こうしてみた
今のとこOK

ただ 1本唸りが多く 分からない
ピンは回し易い 
メカニックも とても良く出来ていて 心配は無い

あと半日で本番だが どれだけの人が集まり
どんなコンディションになり
どんな演奏をするのか 何も分からない

3時過ぎに先生到着
入れ替わりに 昼食の為 ペンシオンに帰る
カロリーメイト 柿の種 それからヨーグルト
これで食料は 基本的に尽きる

食後 ホールに行き 再び宿に戻る
7時から調律で 8時から本番

10年近く お世話になった先生の
もしかしたら ラストコンサート
ベストが尽くせますように! いいコンサートになりますように!

夕方6時でも 日本の3時くらいの明るさ
遠くで人の声が聞こえる 静かだ

まだ 幼かった頃 昼寝から目が覚めて
隣の団地との間に響いた 黄昏の静けさ
あれはもう 20数年前

いつも 当時は大変で なのに
振り返れば 幸せだったと思う
あの頃のオイラは幸せだった 
そして 今も 幸せだ

不安はある けれど希望もある
やりたくないことがある
けれど やりたいことがある

トルコで大地震が 起きたそうだ
神戸を思い出す

死は点ながらも 確実に存在する
一瞬にして その点に吸い込まれていく いつの日か

あと40分で調律が始まる
調律が終わると 何かが終わる
この旅の とても重要な位置を占めてきた
何かが終わる

そして 何かが始まる

本番の30分前に 酒を飲むのは 初めてだ
それも アルコール度数40%の 強いアロマ酒
何か書きたいのだが 何も書けない自分がいる

ヒゲは だいぶ伸びた この旅の時間の長さ
さて 海外で初の(最後の?)調律
シャワーを浴びた いざ 宿を出る!


今夜は 先生の最後のリサイタルから 10周年
コンサートの様子は この連載の最後に 記します

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09. 08. 17

あの夏の415 ⑨ 


朝 起きて 朝食に行くと
日本人の男の子が 話かけてきた
2浪した大学生だそうだが
収容所のボランティアと 収容所巡りをしているらしい

戦争のこと 生きる方向を持てていること
そんな話で 盛り上がった

頭のいい人なんだと思う
余裕があって 力まず 日本が恋しいと
淋しさも見せながら 朝食を終えた

9時に宿を出て 途中でカトリック教会の中で
しばらく空気に 埋もれる

10分前にペンシオンに着き
カバンを持って オーナーの車で
銀行に寄って 駅まで行く

10:53の列車で ミュールハウゼンまで行く
12:23に着いて タクシーで宿まで行く
宿は1泊が53マルクだから 約4千円以内

少し休んで 先生のパンをいただいて ホールへ行く
弾けるかどうか 確認をして ホールへ入ってみると
なんと イタリアンが届いている!

GG-f3の大型のイタリアン

ピッチが下がっているので 
恐る恐る2回に分けて 
415Hzまで上げる

リハーサルが始まり 街を歩きながら
5:22に駅に着く 朝岡さんを迎えに行った
5時ごろについてしまったが ホームでしばらく待つ

タクシーで宿に戻り 水を欲しいというので 買いに行く
7時まで調整して 宿で夕食を 御馳走になる
黒ビールと レバーとポテト 

9時過ぎに部屋へ行き ヨーグルトを食べる
サッカーを見ながら寝る
1時頃目が覚めて 3時過ぎまで起きている

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09. 08. 16

あの夏の415 ⑧ ワイマール最終日

16.VIII .1999


6:40頃 目が覚めて 7時に朝食を食べ
洗濯をして 朝のシャワーを浴び
8:30に ユースホステルを出る


9時ごろから 1/6でボムさんのミートケをチューニング
終わると 近くの部屋を見る


シンメル ブリュートナー フッペル
オウガストホルスター チンメルマン グロトリアン
実に様々なピアノがある


中でも フッペルのピアノは よかった!
シンメルは 調整不足もあるが とにかく弾きにくいし
ボディーの反応も悪い
調律は どれも いい感じで狂っている


チェンバロの部屋で ぶどうをもらった
その前に 挨拶に先生が出ている間
学生が来て 先生へのメモを書いた


チョコを ちょこっと食べた
ぶどうを食べてから 30分 外へ行く
この間の ブラスバンドがいた


結構 腹は減ったが
今日は 出費0の目標なので我慢する


2時から 録音をする
最後のコンサートに向けての リハーサル


3時に録音を終え SOHMERで
ヒラメを御馳走してもらう
ビールとワインと 食後に アロマなんとか という酒をもらった


魚が出てきた時 先生が 「これは冷たい」と言って
作り直させたからであろう


ペンシオンまで送り 帰ってから 買物に行った
さっきの アロマ酒と ビールと ヨーグルトを買った


ここまで 自分で 当時に つっこみたくなった
チョコやブドウを食べて 「腹が減った」とは これいかに?
出費0の目標なのに 酒やヨーグルトを買ったのは これいかに?


Photo_4


周作を読んでいたら
いつの間にか寝ていた
雨の音で目が覚め
洗濯ものをどかし 天窓を閉めた


眠いのに 寝た感じがしないの日が続く
寝ても 体が疲れている
精神的な疲労が 癒されていない
筋トレも 二日ほどさぼっている


とても いやな夢を見た
秩父温泉に行く夢だ
何故 秩父温泉なのか 分からない
(秩父温泉なんて あるのか?)


ぐったりした
人を好きになるのか 縛りたいだけなのか
もう わからない


この夢に関しては 全く記憶が無い
確かなことは この頃から
筋トレを 平気でさぼる人間だったということだ


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09. 08. 15

あの夏の415 ⑦ バッハの生まれた街

15.VIII .1999


朝食は やたら混んでいた
遠藤周作を読んで 先生へ電話をした
やっと静まった憤りが 復活する内容だった


「今日 自分は 具合が悪くなってしまった
 それは あなたの発言に 傷ついたからだ
 もっと 大変ですね と ねぎらってもらいたかった


 今回の旅は 特別なもので
 旅費も出してあげてるのに 
 宿代だって なんなら 後で支払ってもいいのよ・・・」


何かあると 誰かの責任にし
自分は正しく その上 恩を着せようとする


今日 具合悪くなったのは
昨日 エルフルトなんかに行って 
疲れたからじゃないのか?


昨日 オイラが要求したのは
一人で 遊びたかったからではなく
頭を冷やせば 元に戻れるから
元に戻れるうちに 頭を冷やしたかったのだ


この日記は ここに書いてあるのは
へなちゃこな文章も そのまま載せてあるが
全ての内容ではない


この後 私は かなり辛辣な意見を書いてあり
とてもじゃないが ここには 書けない
それくらい 参っていたのだと思う


結局 この日は 1日フリーとなり
私は アイゼナッハへと 
一人で 向かうことになる


Photo_2


アイゼナハ行きの切符を買う
10:06発の列車に乗る
今日 日本は 終戦記念日だ


バッハハウスで 2つのオルガン クラヴィコード スピネットの演奏を聴いた
部屋の響きが こんなものかと思えただけでも よかった


クラヴィコードは とてもよく鳴っていた
中庭が とても綺麗だった
絵葉書を買った


アイゼナハは バッハの生まれた街
この旅で立ち寄る ライプツィヒ ワイマール ミュールハウゼンも
バッハと所縁のある街ばかりである


Photo_3


そこから ヴァルトブルグ城まで歩いていった
長い上り坂で 汗をかくが 森林のさわやかな冷気が
ホテリを いやしてくれた


城に着くまで 40分くらい登ったと思う
先生への葉書を買った


見渡すドイツの山は 
底の方で共鳴できるものを感じた
帰りはバスに乗った


ルターハウスと ゲオルグ教会へ寄ろうと思った
ハンブルクから来た 初老の婦人が丁寧に
バスの時間を 教えてくれた


ゲオルグ教会は バッハが洗礼を受けたとこ
テレマンが 楽長をやっていたことなどが 書いてあった


とにかく今日は寒い オイラでも寒い
雨が降ってきたのと 腹を温める為
スープを飲んだ


ルターハウスの帰り また雨が降ってきた
駅までの道すがら ひとつの教会に入った
何故か バロックの録音が流れていて
一人の婦人が 座って聞いていた


ずぶ濡れになり 駅に着き 
トイレに行き 列車に乗った


ワイマール駅で 先生に電話をして
ワインやビールを買って 夕食にした
隣で 5マルクのチキンサンドを買った


遠藤周作の「父親」の 2度目を読み始めた
子供ができたら アイゼンナハのヴァルトブルグ城で
ロバに乗せたいと思った


子供は欲しいが きっとオイラは
一生 父親にはなれないだろう


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09. 08. 14

あの夏の415 ⑥ ベルベデーレのヨーヨーマ

14.VIII .1999


朝 ペンシオンへ行くと カツラの相談を受けた
オイラは 本音で まだ平気だと思ったので
そう言った


先生は 抗癌剤の副作用で 
髪が抜け始めていることを
かなり 気にし始めていた


でも 私から見れば 違和感は無かったので
まだ 大丈夫だと思うと 伝えたのだけれど
あなたは 注意力が足りないとか 配慮が足りないと 怒られた・・・


それから タクシーで ベルベデーレへ行った
ヨーヨーマが マスタークラスをしていた
生ヨーヨーマ!


また ボム氏のミートケだった
調律ハンマーを 持って来ていないので
借りに行ってくれて しばらくして 女の人が戻ってきた


それから コピーをとらせてくれと 言ってから
雲行きが 怪しくなってきた
また口論が始まったので 外へ出て
ヨーヨーマのレッスンを 聞いていた


しばらくしてから 先生が 荷物を全部持ってきた
断られたことが 分かった
表へ出て ここの係りの中傷が 始まった


そして こうなったのも 
チューニングハンマーを 持って来なかった
オイラの責任になる 


いつも こうだ
自分の思い通りにならないと 
何かに 原因をなすりつける


この日は 学校での練習が出来ないので
ベルベデーレというとこで 行われている
サマーセミナーを 観光に行こうと 言われていた


私は 朝の電話で 調律工具が必要か 確認した
すると 今日は練習が出来ないから 必要ないと 答えていた
しかし 運よく チェンバロがあったので 練習できそうになったのである
それなのに いつの間にか こういう事態になっていく


係りの人が怒ったのは 調律ハンマーの有無でなく
先生が 楽譜のコピーを とらせて欲しい ということに対してであって
それが 何故 私の責任にしなければいけないのか 全く辛い


ベルベデーレから ゲーテ広場に戻って
この後 どうするか聞かれたから
「一人にさせて下さい」と言った


先生は 様々な理由で 拒絶した
お互いに 相手の気持ちなど 分からないのだと思い
エルフルトへ行った


エルフルトは 雨で タクシーで街内を回った
大きなドームと 教会の中を見た
空気の濃い密度と その中を 安っぽくないのだが
軽やかな響きが ゆっくりと減衰していく


クレーマー橋を渡り 駅に帰って
ワイマールで別れた


Photo


その後 ワイマールの 赤い城や
教会での オルガンコンサートを聞きながら
宿の近くで オムレツとビールを飲んだ


雨が降ってきたので 
部屋で 遠藤周作を読んだ
リアルだった


ワイマールの隣の エルフルトへ 先生と一緒に観光に行った
気丈はしっかりしているが 先生は病人である
ちょっと寒い雨の中 体調は大丈夫か 結構 心配だった
その為だろうか この街の記憶は ほとんど皆無である

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09. 08. 13

あの夏の415 ⑤ アチョー!

13.VIII .1999


目が覚めたのは6時
筋トレして シャワーを浴びて
朝の散歩


駅で電話 ・・・成らず
しかし 帰りに ユースホステル発見!
駅前だから無理だと思ったが 何と4泊OK


朝食は パン2つ ぶどう バナナ


朝 郵便局により メールは4マルクだそうだ
先生のペンシオンに着き
タクシーで 音楽学校へ


ボム氏のミートケを調律 これも ピンが硬い
調律している時は ウームという楽器だったが
弾いているのを聞くと パワーは無理がない感じ
ベースがしっかりしている


Photo


1階(日本では2階)の練習室を 
借りている学生が来て 先生と話し込む
6万円を預かり 銀行へ両替の お使いを頼まれる


その前に ノイペルトのフレンチを調律する
ノイペルトはモダンピンで 比較的 調律しやすい
高音まで無理なく発音して 悪くない感じ


11時頃 調律を終えて 街を抜け 
駅まで20-30分くらいの 道のりを行く
駅で 時刻表をもらう


先生の両替をしなければ ならないので
また 街に戻り 銀行を探す 
無い 開いてない 断られる・・・WHY?


途中 Tr Hr Tu Tb の ブラスバンドの演奏を聴く
生き生きして playしてる音楽だ


ドイツバンクを見つけ 両替
そして 1回 外へ出て
今度は 自分の両替 5万円がドイツマルクへ


ユースホステルは たぶん 相部屋なので
慎重さが 求められる


屋台の ソーセージパンを 2.5マルクで昼食をとり 
音楽学校へ
先生は留守


戻ってきたと思ったら 何故 電話を入れない?とか
探しに街に行ってきたとか 怒っている 
約束は3時だし こっちは2時に戻っているし
その間は 先生の用事のために 数時間も歩いているのにだ


今 思えば 
もしかしたら 先生は 薬の影響があったのかも知れない


感情の起伏が 激しく
イワレの無いことで 勝手に怒られることが 続いていた
約束した時間の記憶も 勝手に 変えられることが 多々あった


健康な時から 感情の起伏は 激しい方だったので
当時は 先生の性格だと思って この後も 衝突していくのだが
もしかしたら 薬の副作用が 感情と記憶に 
なにがしかの 影響を及ぼしていたのかも知れない


2:54の電車に乗り ミュールハウゼンへ 4:23到着
4時半に ミュージアムが閉まるそうなので
とにかく ベンツのタクシーに 飛ばしてもらって セーフ!


ミュージアムの 目の前には 
バッハが 初めて オルガニストとして働いた ブラジスト教会!
そして コンサートをするホールも 14世紀のもの


歴史が 威張らず ごく 当たり前のように 積み重なって
沈殿して ひっそりと 息をしている
街ごと ひっそりと 息をしている


その密度の濃い静寂の中で
とても 深い宇宙というか 自然というか 
営みを感じた


泊まるペンシオンに 案内してもらい
夕食を ごちそうになった
初めての 温かい料理だ!


ロールキャベツに ジャガイモ
ジャガイモが美味い!
そして 野菜の酢漬け


8時半に ワイマールに着くそうだが
ユースホステルは 大丈夫だろうか
不安の中で 列車に乗る


どうやら 旅 四日目にして
初めて 温かい料理を食べたそうだから
食生活が かなり 貧しかったようだ


分かりにくいのだが
この旅のコンサートは 18日の1回だけである
その為に 2週間をかける旅なのである


この日 一度 ワイマールから ミュールハウゼンに来ているが
もう一度 ワイマールに帰って 数日を過ごす
恐らく 会場の下見のために 来たのだろう


ユースホステルに着くと
なんと 一泊しか予約されていない
朝 4泊と言った! と言うと 4泊できた


部屋番号は 415


4階の一番奥のロフト
ベッド テーブル イス 小さなクローゼットと 水道のみ
マジ?と思ったが 結構 この狭さが 心地良い


トイレとシャワーは 1フロアーに1個だけ
とりあえず シャワーを浴びて トイレを済ませ
洗濯をして 日本から持ってきた 針金ハンガーで 乾かす
朝のプラムをかじり しばらくしてから 外へ出る


部屋には天窓がある!
天窓から 外をのぞくと 
もう ハイジとか そういう世界!
屋根のヘリから ヨーロッパの町並みが見える!


この旅では 先生の荷物があるので
私は リュックに 作務衣を2セット 下着も2セット
そして 最低限の調律道具と 薬と 針金ハンガーと
1冊の遠藤周作 そして この日記帳だけ 入れて来た


作務衣に 雪駄の姿で ワイマールを歩いていると
ドイツ人から 「お前は スペイン人か?」と 何度か声をかけられた
私が 『いや 日本人だ』というと 「それじゃ 空手を見せてくれ」と言う


私は 空手など 知らない
しかし せっかく ドイツ人とコミュニケーションなので
あいわかった と オモムロに瞳を閉じた


もちろん ジャッキー・チェーンの映画で見た
なんだか 怪しい 拳法の 空真似である
よく 小学生がやってる アレである


しかし 目をつむり 手を前で合わせ 
静かに深く呼吸をして 空気を変えると
ドイツ人たちも 笑顔が消え 真剣なマナザシになった


いつの間にか 人だかりが出来て
私は ハァーなどと 声を出しながら
似非ジャッキーを 数分 舞い続けた


終わって 手を合わせ 深く お辞儀をすると
盛大な拍手に包まれ 私は ようやく笑顔に戻った
恐らく 私の生涯の中で あれだけの拍手に包まれることは 2度と無いだろう


とはいいつつ 内心 ヒヤヒヤしていたことを 告白しよう
もし 本当に 空手をやっている人や 日本人がいようものなら
私の空手が 偽者だと すぐに見分けられただろうし
下手すれば 嘘つき日本人として そのまま ガス室に送られたかも知れないのである


まあ 作務衣という服装に 助けられたことは 間違いない

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