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10. 12. 22

MMX FP

数えてみたら 8台もあったんだ


今年 調律をした フォルテ・ピアノ
芸大に グラーフが入ったり
ケンタが ブロードウッドを造ったり


モダン・ピアノや チェンバロだと
数えてないんだけれど
1年で これだけのフォルテ・ピアノと出逢えるなんて!


ずっと 当たり前だと思っていたことも
その ひとつひとつが 奇跡のような偶然で
それらに携わってきた方々に 感謝と敬意が溢れるんだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・


僕のような人間が 調律屋をやっていること
高校を出て 専門学校に入って
独立して 調律をやっていること


昔は 自分の努力だけだと思ってた
それは とても 狭い領域とタイミングであって
今は これって 凄いことなんだって 思ってるんだ


韓国に行ってね


チェンバロは たくさんあるのに
専門の調律師はいないし
まして 製作家もいないんだよね かの国は


だから 国立大学のチェンバロだって
初めて行った頃は 弦が切れ放しだったり
ボロボロの状態で レッスンやコンサートをしていて


その時 初めて 日本の楽器業界を 振り返ったんだ


19世紀の終りに 山葉寅楠が オルガンやピアノに興味を持たなかったら
こんな 極東の小さな島国で ピアノは普及しなかっただろうし
そうすれば 西洋音楽なんて こんなに溢れていなかったと思う


だから 僕のような 金も才もコネも無い凡人が
調律なんて仕事を 生業にすることも 出来なかったんだなーって


でも ヤマハのおかげで 最初の奇跡が起きたんだ


12月になると しみじみ思い出す パールハーバー
原爆投下より 僕にとっては
ニイタカヤマノボレや トラトラトラの方が 重い記念日


敗戦の後も 日本は 立ち直らせてもらえた
だから 音楽という領域も 充実できたんだ
これが ふたつめの奇跡だと思ってる


そして 古楽器に至っては 最後の奇跡
海外でチェンバロなどを勉強してきた 音楽家が帰国した頃
日本で 同時期に楽器製作家が 自然発生的に誕生したんだ


それらを ずっと 当たり前だと思ってた
でも アジアの小国という点では同じ 隣国韓国を見ると
これらは 本当に奇跡的なことなんだなって 知ったんだ


今や 欧米に次ぐ チェンバロ製作家がいる日本
若手の製作家も 続いて誕生して
素晴らしい楽器を 生み出してくれている


音楽ってさ 音楽家だけでは 成立しないんだよね
聴衆も必要だし 楽器を直したり 造ったりする人も必要だし
だから すごく恵まれた国で 恵まれたタイミングで 仕事させてもらってるんだ


そして 今年は
もっと希少な フォルテピアノを8台も・・・
奇跡は 奇跡と思えなくなる時 本当の奇跡になるのかも


だから
きっと
来年は


フォルテピアノを造ろうかな


この道を開拓してくださった 先人達へ
感謝を伝えるためには
もっと 頑張らないと いけないんだろうな

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