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10. 05. 23

誰が故に鐘は鳴る

先日 とあるオルガニストの自宅へ 調律に行った時
ヨーロッパのオルガンの写真と共に 
カリヨンの写真を 見せてもらった


カリヨンとは 城や教会の 塔に備えられた鐘のことだが
音程の異なった鐘を レバーを操作して鳴らすものだそうだ
確か 鍵盤のルーツとして 学校で習ったこともある


さて このカリオン 演奏に際して 何が難しいかというと・・・
練習が 出来ないことだそうだ


そりゃ そうだわな
街中に響き渡る 鐘なんだから
ちょっと 練習しようもんなら・・・ 町中に ガランゴロン!


ついでに 思い出したが 「世界の調律」なる本で
サウンド・スケープなる分野について 読んだことがある


かつて 鐘が響き渡ったエリアは
街の騒音という 音の汚染で
大きく 変革してきた という


Madridsophiaguernica


新しい試み というのは
僅かな可能性と 大きな限界の中で 模索されることが多い


だから 試みたものの やはり失敗だった
ということは 成功した数より 膨大になる


それでも チャレンジャーは 挑む


まあ 結果がどうであれ
チャレンジャーは 本気で 挑戦しているのだから
本人は 満足だろう


いつの時代でも そのチャレンジに付き合わされる人々がいる
そして 付合人は 最後まで無名で
けっこう 理不尽な思いと 葛藤と 怒りと 諦観に 苛まれていることだろう


グールドの録音で ハンマーの2度打ちが 激しいものがある
あれなんぞは 調律師は 不承不承 グールドの要求に応えたものの
スピーカーから聴こえる 調整不良音を どんな気持ちで聞いたことだろう


全く 気の毒である


音楽も スポーツも ある意味
本番なぞは チャレンジの連続だと思う


そして そのチャレンジが成功した時には
その裏で ホッとして 安堵して 涙している
影の付合人が たくさん いることだろう


チャレンジャーと その付合人の 大きな負担の差は
チャレンジャーは それでも 練習が出来ることである
しかし それを支える人々は 練習することが出来ないのである


全く 気の毒である


チャレンジャー以上に
チャレンジャーを支えている 全ての魂に
心から 敬意と 賛辞を 贈りたくなるものである

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