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09. 08. 10

あの夏の415 ① 旅立ち

ここに 一冊の小さな 白いノートがある
A6のサイズなので ノートというよりは
手帳や メモ帳といったほうが ふさわしいかも知れない


この手帳には 10年前の 8月10日から23日にわたる
2週間の日々が 汚い字で 詰め込まれている
それは 故・鍋島元子先生に同行した ドイツの旅の日々である


この旅に同行することになった いきさつなどは
おいおい 連載の中で 挿入していきたい


ひとつだけ 前提として記述しておかなければいけないだろう


それは 先生にとって 文字通り 
生涯最後のリサイタルになることを 覚悟しての旅だったということ
癌を告知され 抗癌剤の治療の合間の 旅だったということ


そして 前もって 断っておかなければいけないが
関係者の方々には この日記が あまりに赤裸々で
気分を害する表現が 多々 出てくると思われる


しかし あえて あの旅の 等身大の時間の連続を
そのまま解凍して ここに記しておきたい
どうか 御理解していただきたい


以下 斜体字は 日記の文章であり
それ以外は 現在の私による注釈である
では 長い長い2週間を 振り返ってみたいと思う


P


10.VIII..1999


7時過ぎに 成田空港駅に 京成で到着
幸い 雨も上がり 
眠い頭と だるい体で階段を昇る


レストハウスには どう行けば良いかと思いながらも
作務衣に雪駄のイデタチでは 質問もしにくい


1階まで上がると 出口があるらしく エスカレーターを上がっていく
B1階で 保険がかけられるということで 2週間の保険に入る
9千円は 大きかった


1階に出ると 車整理のガードマンらしき人に
レストハウスの場所を尋ね 歩いていく
レストハウスには5分くらいで着き 
フロントで 先生に到着を伝える電話をしてもらう


7:25から40分までロビーで待ち
213号室へ迎えに行く


荷物は二つ どちらもキャスターがついているそうだ
7:40のバスを落とし 8:00のバスに乗り込む
最後部座席で 買い物などの打ち合わせをする


第2ターミナルビルへ到着する
バスを降り 荷物を転がしながら
3階のチェックインカウンターへ行き Aテーブルへ行く


野中さんの案内により 9時まで 車椅子を待つ
その間に 買い物をして 遠藤周作の「父」と 仁丹を買う


特殊な車で 飛行機ギリギリまで運んでもらい
9:40には 機内に到着 イロイロとあり・・・
10:55 テイクオフ 浮いた・・・


8月のルフトハンザは 満席だった
しかし 先生は 私は病人だから
3人分のシートを使って 横になりたいと スチュワーデスに申し出る


ドイツ人のスチュワーデスには ドイツ語で
日本人には 日本語で 豪快に抗議をしている
ルフトハンザの医師の診断書もあると抗議するのだが
満席だから どうしようもなく・・・


私は この旅の最初の後悔は この時だった
なんだか 先が思いやられる気分だった


病人ではあるのだが 先生は 機内で一番 激昂していた 
もちろん 機内アナウンスより 大きく高いボリュームで
萎縮したスチュワーデスに向かって ルフトハンザを罵っていた・・・


ランチは サラダ ババロア ターキーとチャーハン M・ウォーター
映画を3本見る 1本目はSFもの 2本目はラテンダンサーもの
3本目は えでぃ・マーフィーの ちょっぴり いい話


赤ワインに ビール2本 かぜ薬を1回投与
眠りたいが いまいち 眠れず


夕食を食べ まもなく予定通り フランクフルトへ着く
黄色い リリーフカーのようなもので 
空港内の渋滞を スルスルと抜けていく


恥ずかしい・・・ なんせオイラは 健康だもんね
そして ホテルのシャトルバスに乗り ホテルへ着く


フランクフルト空港で乗った リリーフカーのようなものには
私と先生だけでなく 他にも数人の
病人と 障害を持った方々が 同乗していた


しかし 先生は2回ほど 車を止めさせ
自分の買い物の為に スタスタと歩きだし
待たせていた同乗者に 笑顔で挨拶をしながら 帰ってきた・・・


私は 先生が勝手に買い物に行ってる間
同乗者に 言葉も分からないが ペコペコと謝っていた
私が この旅で2度目の後悔をしたのは この時だった


さて フランクフルトには 15時に到着したのだが
まだ 日付は8月10日
フランクフルトでの記録は ②へ続く

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