あの夏の415 ⑦ バッハの生まれた街
15.VIII .1999
朝食は やたら混んでいた
遠藤周作を読んで 先生へ電話をした
やっと静まった憤りが 復活する内容だった
「今日 自分は 具合が悪くなってしまった
それは あなたの発言に 傷ついたからだ
もっと 大変ですね と ねぎらってもらいたかった
今回の旅は 特別なもので
旅費も出してあげてるのに
宿代だって なんなら 後で支払ってもいいのよ・・・」
何かあると 誰かの責任にし
自分は正しく その上 恩を着せようとする
今日 具合悪くなったのは
昨日 エルフルトなんかに行って
疲れたからじゃないのか?
昨日 オイラが要求したのは
一人で 遊びたかったからではなく
頭を冷やせば 元に戻れるから
元に戻れるうちに 頭を冷やしたかったのだ
この日記は ここに書いてあるのは
へなちゃこな文章も そのまま載せてあるが
全ての内容ではない
この後 私は かなり辛辣な意見を書いてあり
とてもじゃないが ここには 書けない
それくらい 参っていたのだと思う
結局 この日は 1日フリーとなり
私は アイゼナッハへと
一人で 向かうことになる
アイゼナハ行きの切符を買う
10:06発の列車に乗る
今日 日本は 終戦記念日だ
バッハハウスで 2つのオルガン クラヴィコード スピネットの演奏を聴いた
部屋の響きが こんなものかと思えただけでも よかった
クラヴィコードは とてもよく鳴っていた
中庭が とても綺麗だった
絵葉書を買った
アイゼナハは バッハの生まれた街
この旅で立ち寄る ライプツィヒ ワイマール ミュールハウゼンも
バッハと所縁のある街ばかりである
そこから ヴァルトブルグ城まで歩いていった
長い上り坂で 汗をかくが 森林のさわやかな冷気が
ホテリを いやしてくれた
城に着くまで 40分くらい登ったと思う
先生への葉書を買った
見渡すドイツの山は
底の方で共鳴できるものを感じた
帰りはバスに乗った
ルターハウスと ゲオルグ教会へ寄ろうと思った
ハンブルクから来た 初老の婦人が丁寧に
バスの時間を 教えてくれた
ゲオルグ教会は バッハが洗礼を受けたとこ
テレマンが 楽長をやっていたことなどが 書いてあった
とにかく今日は寒い オイラでも寒い
雨が降ってきたのと 腹を温める為
スープを飲んだ
ルターハウスの帰り また雨が降ってきた
駅までの道すがら ひとつの教会に入った
何故か バロックの録音が流れていて
一人の婦人が 座って聞いていた
ずぶ濡れになり 駅に着き
トイレに行き 列車に乗った
ワイマール駅で 先生に電話をして
ワインやビールを買って 夕食にした
隣で 5マルクのチキンサンドを買った
遠藤周作の「父親」の 2度目を読み始めた
子供ができたら アイゼンナハのヴァルトブルグ城で
ロバに乗せたいと思った
子供は欲しいが きっとオイラは
一生 父親にはなれないだろう
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