あの夏の415 ④ 世紀最後の奇跡
12.VIII .1999
朝 起きて 9時まで 2時間も待ったのに
先生から電話 なし・・・
おかしいと思って 電話をしたら なんとまだ 7時だった・・・
日本時間にしてある時計を 読み間違えたらしい
朝食をとって ランチサンドウィッチを作っていたら
なんと 有料で 7.5マルク!
ちぇ これじゃ 現地で買った方がいいや と思った
その後 自由時間は無く
電話帳で Martin Schwabeさんを調べたのだが
載っていなかった
本番で弾く予定のチェンバロの 製作者に
連絡をとって 楽器を練習したがっていたが
肝心の連絡先が分からず 私は電話帳とにらめっこさせられた
練習楽器は とにかく 現地調達するしかないらしく
このあとも 楽器を借りる為に いろいろと起こる
その後 チェンバロを探させられる
メンデルスゾーンハウスへ行って
親切なスタッフに案内され ボスと会見
チェンバロはあるが ミュージアムにあるので
リハーサルには 使えないとのこと
それで コンセルヴァトワールを紹介してもらい
部屋へ戻り 荷造りをして フロントへ行く
荷物をホテルへ預け タクシーで音楽学校へ
自慢ではないが 誤解されるのもナンなので 書いておくが
私は ドイツ語はおろか 英語も からきし話せない
ノバで2年間 7Cのクラスで 無駄な浪費をした過去がある
それなのに 館長に 身振り手振り落書きを添えて
こちらの意思を 伝えて (恐らく伝わった)
音楽学校を紹介してもらえたというのは 20世紀最後の 私の奇跡であろう
202室で バトルして (先生と学校の係りの人が)
しばらくして 出てきた
待っている間 先生は すごい 憤慨!
この時 先生は
自分が 日本の有名な コンセルヴァトワールの教授で
楽器を練習に貸してくれなかったら 日本に帰って
あなたの学校のことを 皆に言ってやると 脅したと 激しく話してくれた・・・
私は この辺りになって
既に 何度目の後悔なのか カウントする気力も失っていた
しかし OKが出ると ちゃんと 「ダンケシェーン!」
ウーム
443室には クリンクハマーの1段
GG-e3の 8’×8’のチェンバロがあった
プラスチック・ジャック
調律は すごく やりにくい
ということは すごく 狂い易い
練習が終わると 2時にベンツのタクシーで
ホテルに荷物を取り 駅へ
切符を買って ワイマールへ
ワイマールへ着くと タクシーでシューベルト・ペンシオンへ
まだ オイラの宿が決まってないのに
長電話が 始まる
もう 途中で出てきて
ペンシオン・サビナで 1泊だけOK
その後 街中へ呼び出され 見学
見学途中で 解散
その後 どこのホテルも ユースホステルも NG
明日からの宿の都合つかず
ピザとビールの4マルクの夕食
今思えば 不思議なのだが
この旅では フランクフルトと ライプツィヒ以外では
私の宿舎は 自分で探し 自腹を切る というものだった
食費を いちいち記載しているのは
とにかく 金が無く
宿舎の金を 確保しながらの日々だったからだ
最悪 野宿も覚悟しながらの旅だった
でも なんで そんなことになっていたのだろう・・・
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