カブト虫が笑った
昔 こんな小話を 読んだ記憶がある
車の気密性能に関しての報告だったと思う
詳細は失念したが 大方 こんな内容だった
『貴社の車の 機密性は 大丈夫だろうね?』
日本の場合
「問題ありません
閉じ込めておいた猫が 朝になったら 窒息死してましたから」
ソ連の場合
「問題ありません
閉じ込めておいた猫が 朝になっても 逃げ出していませんでしたから」
建物博物館なんかで 江戸時代の民家なんぞを見ると
いろいろ ホヘーと 先人の知恵に感心する反面
なんて 隙間だらけなんだろうと 驚くことがある
こりゃ アクタムシにとっては
さぞかし出入りしやすかっただろうなと
いらん連想に 至ってしまう
そして ふと 妄想が暴走する
ハテ もしかしたら
昔のアクタムシの胴回りは 現代のそれよりも
もっと 分厚かったのでは なかろうか と
しかし だんだんと 人間の建築技術が進歩するにつれ
機密性が高まり 出入りできる隙間が 狭くなり
徐々に 薄っぺらいアクタムシだけが 生き残ってきたのでは なかろうか と
よーく 考えて見れば
あれほど 薄っぺらくて あの速度で動ける動物なんぞ
他には 見たことが無い
普通の昆虫のように 人間と共存しない環境に生息していれば
なにも あんなに 現代の携帯電話のように
薄っぺらくなくても 何の支障も無いハズである
いや むしろ その方が 自然ではなかろうか
ということはだ
ロシアのアクタムスキーなんぞは
現代でも きっと かぶと虫のように もっこりしているのでは・・・
嗚呼 かつて 我孫子のファーブルと呼ばれていただけのことはある
己の学説に しばし 酔いしれていたのだが
残念ながら アクタムシは 寒いとこには 生息できないのだそうだ
うーん 残念
なんてことを TOTOの上で
うんうん 唸りながら ちょとだけ本気で考えていたら
やや 情けない後遺症が 残ってしまった
私は 大型スーパーに行くと
必ず ペットショップコーナーに 立寄る習慣がある
もちろん 猫に逢うためだ
しかし そこで 小学生が群がっている
虫かごの中の カブト虫と目が合ってしまった瞬間・・・
う・・・ おのれ もしや 太古のアクタムシでは・・・
嗚呼 だめだ
妄想は加速してゆく
あの 薄っぺらさ 素早さ 静けさ
どれをとっても 人間の住居環境の変化に
的確に対応しているように 思えてならなくなってしまった
カブトムシ君 すまん
そんなワケで この夏は
ちょっと 君に会うことは できなくなってしまったようだ
きっと ボルトより 速いと思う
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