あの夏の415 ③ 世紀最後の日食
11.VIII .1999
テレビでは 朝から日食のニュースばかりだ
今世紀最後の 「黒い太陽」を追いかけて
各地に中継所が 設けられる
朝食を 7:30頃からとり
計画通り ランチ用のサンドイッチを作成
ケシの実と ゴマのパンに
チーズと数種類のハムを挟み
結構 ゴージャス!
その他に タネ類とコーンフレークなどの
ミルク和えが おいしくて これは日本でもやりたい!
おいしいし 体にもいいし アゴもよく鍛えられる
空港に行き また 港内自動車で スーっと手続き完了
待合室のテレビで 日食中継
フランクフルトも 少し暗くなり とても感動!
いたるところで この日食を見ようと
何万もの人々が 日食の軌道の下で
メガネをつけて感動している姿に また感動!
先生 曰く
「人は ホント 死も生も 自然の一部なのね」
ライプツィヒへは 1時間足らずで到着
航内から 先生のオナカが痛み出し
バスと タクシーで ホテルへ到着 336と335室
30分の休みの間に
サンドイッチを持って
飲み物を買いに街へ
トーマス教会の前の広場で
ビールとサンドイッチを食べる
気温は 20℃くらいで けっこう涼しい
打ち合わせに戻り
先生はピアノを見つけ
すぐに フロントと話をつけ 練習開始
ホテルのロビーの隣の部屋には
地元 ライプツィヒの名器
ブリュートナーの セミコンが置いてあった
7月に 癌の告知から 入院していた先生は
鍵盤に接する機会に とても飢えていた
ここまで来る間も 練習楽器に出会えるかを 懸念していた
私が先生と出会って 7年ほど経っていたのだが
先生が モダンピアノを弾く姿を見たのは
私にとって これが最初で最後になった
モダンピアノで 奏でられる 初期バロックの音楽は
とても 不思議な新鮮さがあった
そして 工具鞄を持っていれば もう少し
きちんと調律をしたいと思って 歯がゆく聞いていた記憶がある
オイラは ニコライ教会で
オルガンコンサートを聞いてから
ハレへ 電車で出発
持っているのは お金と 吸入だけ
言葉の不安を あえて抱えてハレへ
田舎の街を過ぎて 30分で到着
結構でかい!
駅前で ネーチャンに 「ザール川はどっちか?」と聞いたら
『あっちだ!』と言われて
信じて歩いていたら 全くの逆・・・
2時間近く 大きく迂回り
ヘンデルの像や 古い街と
教会を見ながら 駅へ戻る
まだ壊れたままの アパートメントが多く
戦争の 静かな息づかいが 感じられる
9時前に ハレ駅へ戻り
ザワークラウトと ハムと ビールで夕食
全部あわせても 500円かかってないくらい
9時半に ライプツィヒに着き
ミネラルウォーターを買って 寝る
木管のソナタなどで 結構 ヘンデルが好きだった
なので 自由時間があれば 是非 行きたかったハレ
私は 言葉が通じない旅先で
鉄道に乗るのが 好きである
スリルが スパイスとなっているのだろう
旧東ドイツの領域では
この時点でも 結構 戦争のキズ跡があって
夜 その一角を通ると ちょっとしたゴーストタウン
ネオナチでも 出てくるのではと ちょっとビビっていた
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