あの夏の415 ⑪ そして 翌日
6:45に起き 洗濯をして シャワーを浴び
7時半頃 宿を出て 歯医者に送る
歯医者の後 8:10にタクシーが来て
駅まで行き 朝岡さんを送る
帰りに教会に寄り 水とヨーグルトを買い
朝食を 先生と 支配人ととる
その後 自由時間で ブラジウス教会の
オルガンを聴き 博物館を見て
その他 二つの教会と マリア教会を見て
部屋に戻り パンを食べる
先生の付き合いで 友人を送った後
3時半まで自由になり また街を歩く
3時半に戻るが 4時頃起きてきて
6時近くまで 買い物に付き合う
薬局に行き 薬を買って あとは自由
スパを冷やかしに行く
21・22歳の頃 浜松で ドイツワインについて
学んでおいて よかった
こっちじゃ シュペートレーゼが500円
アウスレーゼのフランケンものでも 千円しない!
日本の 5分の1くらいだ! ブンダバー!
トシオに電話し
クリストフォリの置いてある場所を 確認したが
いまいち分からず 慌てて切る
国際電話は 高い…
その後 ミュールハウゼンの葉書に 侘びを書いて
トシオに送る
少し休んで 夕食をとりに
昨夜の打ち上げケラーに行く
メニューが 分からない
とにかく 黒ビールと 魚料理を頼む
出てきた料理は 冷たいソースのかかった
ニシンか何かの スモークだ… チョーショック!
温かい料理を 期待していたから とにかく悲しかった
会計は 何と22マルク!
最大の出費で 最高に哀しい気分になった
トシオは こんなとこに 5年もいたんだね
つくづく 偉いと思ったよ
勿論 キッチンが付いてれば 食に関しては
かなり 救われるけどね
こっちの人は 声がでかい うるさい
そんなヤツラと 5年もいたなんて
やっぱり トシオは 偉いよ
気候は耐えられると思うが
人間が 駄目だ
勿論 日本人でも
あんまり関りたくなくなってるから
さほど 変わらないのだけれどね
宿に帰って またビールを飲んで
ラベルを剥がして
テレビを見ながら寝ようとした
なかなか 眠れなくなってきた
ついに ここ2,3日あたりから 眠れなくなっている
これは やばい
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