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09. 08. 31

カブト虫が笑った

昔 こんな小話を 読んだ記憶がある
車の気密性能に関しての報告だったと思う
詳細は失念したが 大方 こんな内容だった


   『貴社の車の 機密性は 大丈夫だろうね?』


 日本の場合
「問題ありません 
 閉じ込めておいた猫が 朝になったら 窒息死してましたから」


 ソ連の場合
「問題ありません 
 閉じ込めておいた猫が 朝になっても 逃げ出していませんでしたから」


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建物博物館なんかで 江戸時代の民家なんぞを見ると
いろいろ ホヘーと 先人の知恵に感心する反面 
なんて 隙間だらけなんだろうと 驚くことがある


こりゃ アクタムシにとっては 
さぞかし出入りしやすかっただろうなと
いらん連想に 至ってしまう


そして ふと 妄想が暴走する


ハテ もしかしたら
昔のアクタムシの胴回りは 現代のそれよりも
もっと 分厚かったのでは なかろうか と


しかし だんだんと 人間の建築技術が進歩するにつれ
機密性が高まり 出入りできる隙間が 狭くなり
徐々に 薄っぺらいアクタムシだけが 生き残ってきたのでは なかろうか と


よーく 考えて見れば
あれほど 薄っぺらくて あの速度で動ける動物なんぞ
他には 見たことが無い


普通の昆虫のように 人間と共存しない環境に生息していれば
なにも あんなに 現代の携帯電話のように
薄っぺらくなくても 何の支障も無いハズである


いや むしろ その方が 自然ではなかろうか


ということはだ
ロシアのアクタムスキーなんぞは
現代でも きっと かぶと虫のように もっこりしているのでは・・・


嗚呼 かつて 我孫子のファーブルと呼ばれていただけのことはある
己の学説に しばし 酔いしれていたのだが
残念ながら アクタムシは 寒いとこには 生息できないのだそうだ


うーん 残念


なんてことを TOTOの上で 
うんうん 唸りながら ちょとだけ本気で考えていたら
やや 情けない後遺症が 残ってしまった


私は 大型スーパーに行くと
必ず ペットショップコーナーに 立寄る習慣がある
もちろん 猫に逢うためだ


しかし そこで 小学生が群がっている 
虫かごの中の カブト虫と目が合ってしまった瞬間・・・
う・・・ おのれ もしや 太古のアクタムシでは・・・


嗚呼 だめだ 
妄想は加速してゆく


あの 薄っぺらさ 素早さ 静けさ
どれをとっても 人間の住居環境の変化に
的確に対応しているように 思えてならなくなってしまった


カブトムシ君 すまん
そんなワケで この夏は
ちょっと 君に会うことは できなくなってしまったようだ



きっと ボルトより 速いと思う


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09. 08. 30

シャーミン化現象

ウーパールーパーなる生物が 一世を風靡していた頃
夕方のニュース番組で 幸田シャーミンは
ビッグな女性歌手の来日を こう のたまわった


「女優で歌手の シンディー・ルーパーさんが 今日 来日しました」


少年だった私は このニュースを聞いて 小躍りして喜んだ!
シンディー・ルーパーだ? ギャハハハハ!
勿論 シャーミンは しらっと すぐに訂正していたのだが


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先日 栃木は さくら市なるところへ仕事へ行った
東北道を北上してる頃 後部座席で 後輩がぼやいていた
「先輩 知ってます? 野菜が高いんですよ! ナスが1本58円もするんですよ!」


これは 遠まわしに ギャラの値上げの催促かと思ったので
『ふうん ナスなんて 栄養ないから 買わない方がいいぜよ』と
巧みに かわしてやった フフフ


しかし よく聞いてみれば 最近 後輩は
イオンの宅配サービスを利用し どうやら 
ナス 1本でも 配達してくれることを 誇示しようとしていたことが判明した


『お前! たった1本のナスを 配達させたのか!』 と 私がキレてみせたら
「あ いや 他の買物のついでに ナスも1本だけ 頼んだような気がしてきました」と
しどろもどろになり始めた クックックッ!


で 仕事を終えて インターに帰る道すがら 農産物直売所があり 
「寄ってくれなかったら ギャラを値上げする」と 騒いだので
寛大さを装いながら 実は その場に置き去りにしてやろうと 車を駐車場に止めた


しかし 直売所は 野菜好きな私にとっても 魅力的である
車を止めると 後輩の存在など忘れて 店へ歩いていった
すると そこは パラダイスだった!


素晴らしく新鮮な野菜が 素晴らしい量にもかかわらず
ありえねーくらい 安い値段で 売っていたのだ!
乾物の 椎茸 しめじ エリンギだって 対馬なみの安さである!


数時間前 後輩が 58円もすると騒いでいたナスだって
ピチピチなものが 10個くらい袋に詰められ 100円で売っている
私は 『ナスには ポリフェノールやナスニンが豊富なので・・・』
などと しどろもどろになりながら 買物カゴに つっこんだ


後輩も狂喜し レジのおじさんに
「ナスは 私の街では 1個 58円もするんです!」と
あまり嬉しさは伝わらないような感想を 熱心にトークしていた


直売所のおかげで 私は ギャラの値上げ交渉から 免れ
東北道を南下しながら 後輩は ナス談義を始めた


「先輩は ナス どうやって 食べるんですか?」
『ナスも しし唐も 生で味噌をつけて食う』
「はぁ? ナスって 生で食べられるんですか?」


フッフッフ 私は こう見えても東洋の種馬と呼ばれてきた男である
あまたいる 過去形の彼女の中に 農家出身の娘がおり
彼女は 夏になると 食べても食べても 食べきれない野菜を
ナスも含めて 生で 食べていたという話をしてくれた


なので 当時 私も ナスを生食し始め
大量のフレッシュな ポリフェノールを摂取し
アフリカ人並みの視力を 維持してきたのだ
最も 視力は維持できたが その娘には フラれてしまったのだが


そんな 甘い感傷を ブチ壊すかの如く
後輩は おいしいナスの食べ方を 一方的にレクチャーし始めていた
なんだか まるで 私が ナスの料理を知らないかのように 思えてきたので
とっておきの 横着かつ美味い ナスの調理法を 教えてやった


『まず 生のナスの皮を剥いてだな それを レンジで加熱するんだ
 それを そばつゆの素につけて 冷蔵庫に入れて
 仕事から帰ってくると すっげー美味い 焼きなすが完成してるのだ!』


どうだ 参ったか! と 言わんばかりに 私は 鼻の穴を膨らませてみせた
もちろん 後部座席にいる後輩には 私の鼻の穴の膨張率までは
知らしめることは出来なかったのだが・・・


・・・・お待たせしました ここまでが 序文です


「でも先輩 生のナスって 皮剥くのが 大変じゃないですか?」
『ナニこいてげすか!(遠州弁) ピーローで剥けば 簡単ズラ!(遠州弁)』
「は? ピーロー? それって ピーラーのことじゃないですか?」


ん? そうだったか?


私の16分休符な間を 後輩は見逃さなかった
「ピーローって何ですか?ピーローって! ギャハハハ!」
あ 英語では ピーラーだったか フランス語では・・・ などと弁解したかったが
後輩は ノバでフランス語を勉強していたことを 突如 思い出した


『うん まあ ピーラーとも言うかな 最近では・・・
 まあ それで 皮は簡単にむけるのさ ハハハ』


しばらく 涙を流しながら 大先輩のミスを 嘲笑していたが
なんだか 釈然としない・・・
あれ ナンだっけ? ピーロー ピーロー


「あ! 思い出した! ピーローは枕のことだったっけ! ハハハ!」
素晴らしく 切り返したつもりだった
ちょっとだけ 自分って ナンて頭がいいんだろうと ウフンとなった


しかし そんな勝利気分は 32分休符の瞬間だけで 
後輩は アウフタクトで言い放った
「先輩 それは ピローです! ピーローじゃなくて ピローです!」
『あれれ? ピーロートークって 言わなかったっけ?』


くそ・・・
サルマタとサスマタの区別もつかない奴に
ここまで 侮辱されるなんて・・・


あまりの悔しさに 佐野インターで 
ラーメンを食ってる後輩を そのまま 置いてこようかと思ったが
インターで置き去りにしても こいつは すぐに帰ってくるだろうと 思い直し
いつかきっと 帰ってこれない秘境で 遺棄してやろうと誓うのであった


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


若い頃は こんな 言い間違い 皆無だったハズである
だからこそ シャーミンの 「シンディールーパー」は
嘲笑できたワケで・・・


そうか 大人になるって こういうことなのか
あの 遠い夕暮れ シャーミンも
こんな 打ちひしがれた気分だったのだろうか・・・ 


すまん シャーミン
今なら あなたの気持ちが 痛いほど よく分かる!


私は カタカナの記憶力が 異常に悪い
正直に告白すると 幸田シャーミンの名前を入力した時
何のためらいもなく 幸田シャーマンと書いていた・・・


投稿する前に気付いて 本当に良かった
そんな 今日この頃である


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09. 08. 29

ミッションC 鉄の勇気を受け継いで

初台 近江楽堂


     アリアンナの嘆き
~交錯する愛と憎しみ・漆黒の炎~


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歌 岡庭弥生
チェンバロ 矢野薫


829


圧倒的な個性の歌
重心のしっかりした 躍動のチェンバロ
そのコントラストと融合が 実に魅力的なひととき


いったい どれくらいの音域で
どれだけの キャラクターで
歌うことができるのだろうか・・・ 


インパクトが強いのに 奇をてらう匂いがしないのは
恐らく 本人の中で しっかり濾過された 音楽なのだろう
教育とか 努力だけでは 生まれてこないシュール


終演後 楽器を片付けてる時に 聞こえてきた
お客さんたちの ささやき
「いやー 今日 来れて 本当に良かったよ!」


うん 分かる
拍手が そういう音してたもん


アンコールの 「勇気ひとつを友にして
アレンジした 濱田監督にも
座布団3枚!


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09. 08. 28

魔法使いアサリーちゃん

考えてみると 
台所で 生きている食物を 調理することなんて
ほとんど ないだろう


魚だって 新鮮であっても 既に死んでいるハズだし
肉だったら 生きてる獣を 
台所に運びこむことなんて ありえない


というか トサツ現場なんか 見ちまったら
一生 肉 食えなくだろうし


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がしかし 例外もある
それが 貝である
そして 私は今 アサリに はまっている


スーパーの陳列棚にいた時
アサリは 容器の中で
元気よく ウニョウニョ ブクブク やっていた


おお! 生きている!


喜び勇んで メルセデスそっくりの軽バンを かっとばし
自宅の台所で 砂抜きの準備に とりかかった
が この時 アサリは すっかり 殻を閉ざしてしまっていた


あれれ おかしいな
死んじゃったのかな
車に 酔っちまったのかな


私は バカラそっくりの器に 沈黙したアサリを並べ
バカスカ 砂抜きしたくなる環境を整え
冷蔵庫に そっと 置いた


この時からである


私は 十分おきぐらいに 冷蔵庫を空け
フタを取り アサリの御機嫌を伺い始めた


「おーい 生きてるかい?」
「生きてるんなら 機嫌 治してくれよ! 頼むよ!」
「おーい ア・サ・リ・ちゃーん!」


普段 独り言を呟く習慣など ないと思うのだが
なんだか この部屋に 生きてるのは
私と 油虫と アサリ君くらいだから 
妙に嬉しくなって たびたび 話しかけ始めたのである


ギターを 抱えれば
自然に 「アサリ君ごめんねー」 なんていう即興曲を歌い
ほとんど 食材というより ペットのような感覚に陥ってしまったのだ


歌い終わって 冷蔵庫に逢いに行こうと 立ち上がると
開け放たれた窓の下から 中学生くらいの
女学生達のささやきが 聞こえてきた


『アサリちゃーん だって!』
『ハハハハ!』


やばい


女学生の声が こんなに聞こえてくるということはだ
私の名曲 「魔法使いアサリーちゃん」の 歌声は
近所中に 響き渡っていたことだろう・・・


嗚呼 しばらく ゴミを出しに行くのが 恥ずかしくなってきた・・・


そんなふうに 情がうつったせいか
味噌汁のアサリは やたら 美味かった
やはり 愛情は 空腹と同じくらいの 調味料である


今朝 冷蔵庫を 開けた時
アサリーズは すっかり心を開いてくれたらしく
ニョキっと 両足を投げ出して ブクブク ウニョウニョ 動いていた


あははは 復活した!
キリストだって 三日もかかるのに
私の愛とささやきは 一晩で 復活させる力を持っているらしい フフフ
いっそ 教祖になろうか


さらにだ


今日の昼飯は 門前仲町で 深川丼を食べ
なおかつ 晩餉には 深川メシを炊いてみた
味噌汁も 勿論 アサリである


今夜も 冷蔵庫の中で 新たに買ってきた
私のアサリ君達は 私の歌を聴き 
やがて ブクブク ピュッピュッ してくれることだろう


そんなワケで 私は アサリに夢中である

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09. 08. 27

タクシーに乗って (下)

21時に飛行機は 成田に到着した
人気が無いのに いつも行列している 入国審査を経て
間の悪い 列車の乗り継ぎを繰り返し
最寄駅に着く頃は すでに 0時近くになっていた


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最寄駅から タクシーに乗ろうと思って
ふと 思い出してしまった
そうだ 財布には 1万円札しか入っていない


私は 理由もなく
タクシーの運転手に 万札を支払うのは 迷惑な行為だと思いながら
それでも タクシーの前に立つと 自動ドアが開いた


「すいません 1万円札しかないのですが よろしいですか?」
私は 恐縮していると 不思議な敬語を使う癖がある
『ああ 大丈夫だよ』


そして トランクを開けてくれて 20キロのスーツケースを入れた
一人でも出来たのだが わざわざ 手伝ってくれて
私は ますます恐縮して ちょっと 申し訳ないモード全開になってしまった


細かい札もなく しかも 積み込みまで 手伝わしてしまった
彼は ここまでも そして まだ これからの時間も
ハンドルを握り続けるのだろう・・・ あぁ すまない あぁ すまない


自動ドアが閉まると 車内は ひっそりと冷房が聞いていた
しかし 運転手は 車を出す気配がない
ハテ・・・


『お客さん どこまで?』
ああ そうだ 目的地を言っていなかったのだ
あぁ はずかしい あぁ はずかしい


「家まで」


・・・


『家って どこまで行けばいいの?』


・・・


私は 最初 この言葉の意味が 分からなかったのだが
3秒ほどして とてつもない発言をしていたことに気付き 赤面した


「あ すいません 花ノ木幼稚園前まで 宜しくお願い致します」


私は 終始無言で モジモジしながら 到着を待った
申し訳なさと 恥ずかしさで 「お釣りは結構です」 などと言いたかったが
なんといっても 1万円札である・・・ 


Uターンして 駅に戻るタクシーのテールランプを
私は 深夜の街に ゴロゴロと迷惑な音を発しながら スーツケースを引き
心の中で 何度も詫びながら 見つめていた


今度 タクシーに乗る時には
120円くらいのガムでも コンビニで買って
二度と 万札で恐縮することがないようにしようと 心に誓った


この日 乗った ふたつのタクシーで
私は まさに 天国と地獄を 味わってしまった

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09. 08. 26

タクシーに乗って (上)

6月に発行された 新しい札 5万ウォン札
今回の旅で ついに遭遇できた!
嬉しかった!


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最終日に ホテルから空港まで タクシーに乗った
街中で タクシーは すぐに捕まるのだが
運転手が どんな人なのかは 乗ってみるまで分からない


韓国のタクシーは 自動でドアが開かないから
ドアを開けて 運転手の顔を見ながら
「インチョン空港まで 行けますか?」 と 尋ねた


振り向いた 運転手は 60代くらいの ダンディな紳士
声も 低く やわらかくて 韓国語も 聞き取り易かった
これは 最後に素敵な人に出会えた そう思った


例えるなら あの志木在住の 天才チェンバロ製作家
Mrシバタのような 渋いジェントルマンである


20キロのスーツケースを トランクに入れて 出発
混雑した市内から 漢江を渡り 高速に乗って 西へ
いろいろな思い出を反芻しながら 車窓を ぼんやり眺めていた


すると 高速に沿って 列車が走っている
あれ? インチョン空港って 鉄道 無かったよな・・・
それで シバタに聞いてみた


すると 「最近できたのだけれど
まだまだ リムジンバスや タクシーに比べて不便な点が多く 
お客は それほど乗っていない」 と話してくれた


嗚呼 なんて 聞き取り易い韓国語だろうか!
渋いバリトンながら 輪郭は鮮明な発音 
今回 言葉が聞き取れなくなっていて 落ち込んでいたが
最後の最後に 本当に救われる人に出会えた!


説明は 続く
「それでも タクシーやバスに比べると 運賃が一番安いから
いずれは たくさん利用者が増えるだろう」 と


ふうん


『でも 韓国の交通費は 日本に比べると とても安いので 感謝です』
「日本は そんなに 高いのか?」
『ええ 交通費だけでなく 物価は全て 韓国より高いのでウンザリです』


その時 ふっと 思った
シバタの笑顔を見たいと
そして 今回の旅で ふたつめのギャグを言おうと 思い立った


『あ でも たったひとつだけ 韓国より安いものがあります』
シバタは ちょっと興味をひかれた顔で
「それは 何かね?」 と尋ねた


さあ ウケてくれるだろうか
なんてたって シバタである!
渋いダンディーな ジェントルマンである・・・


『僕の給料です』


・・・


「フッフッフッフ」


シバタは やわらかな顔で 低く笑ってくれた!
やった! ウケたぞ!
そして 談笑をしながら 空港に到着した


私は タクシー代を払う時
初めて 5万ウォン札を手渡した
彼は優雅な仕草で それを受け取ってくれた


私は これから 5万ウォン札を見るたびに
彼の笑顔を 思い出すことだろう

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09. 08. 25

2009 夏の陣

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今回の出張は 数年ぶりで
成田空港からの出発
だから 仁川空港も すごく久しぶりだった


月曜日


いつもの 東大門のレジデンスに到着して
PCを繋ごうとしたら・・・
繋がらなくて ビビンバ!


火曜日


コンサートに使うモノを合わせて 3台の楽器のメンテ
帰りに テクノマートに行って
ランケーブルと USB穴に連結する機械を購入


水曜日


新幹線に乗って 大田へ出張
22本もの弦を張ったりしながら 3台の楽器を復活
ソウルでKリーグ観戦したかったけれど まんまと無理


木曜日


教会にある モダンピアノのメンテ というより 修理
ソフトペダルが まったく機能しない状態を 木工で復活
初めて 地下鉄8号線に乗れて ささやかな達成感


金曜日


2台の楽器のメンテ
調律師教会の 元会長から電話が来て 急遽 宴会発生
コムジャンオ 御馳走になりました


土曜日


音大の2台の楽器のメンテ
数年ぶりに 留学から帰ったチェンバリストとの邂逅
ヤン先輩 ユン先輩と 急遽 刺身宴会


日曜日


2台の楽器で コンサート
あれほど 照明を消すなと言ったのに まんまと無視
ちゃんと 言葉 勉強しないと・・・


月曜日


3台の楽器のメンテ
帰りに 会長の店にいったら 壊れたクラヴィコードに遭遇
気がついたら 4時間もかけて 勝手に修理してた


・・・・・・・・・・・・


日々 テレビでは 金大中元大統領の国葬関連のニュース
深夜には 外国のサッカー 見放題!
でも 浦和レッズは連敗中だとかで 激しくがっかり


太陽を浴びる時間が 少なかったから ちょっと白くなった
途中から 食欲がなくなったから ちょっと痩せた
ツメがのびてきて なんとなく 鬱陶しい


今回は 出発する成田空港で ホームシックだった
言葉が いつもより 聞き取れなくなっていた
でも がんばれて よかった


さ 最後のフリータイムだ!
ケンタの コソミを買いにいこう!

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09. 08. 24

ふぅん

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韓国で 猫の写真を撮るのは ちょっと難しい
結構 不吉な動物として 嫌われているし
食べられないから 食肉用として 飼われてないし


お店の前にいた 5匹の子猫は
お店の前にいた オジサンの言葉に 忠実だった


子猫だって 韓国語が分かるらしい


すべての仕事が 終わった
いろいろ 怒られた
いろいろ 頑張った


反省は たくさん あるけれど
後悔は ひとつもない
外国は どんなに近くても 外国だ

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09. 08. 23

ミッションC 温度差

ソウル セジョン文化会館 チェンバーホール


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チェンバロ イ・ジョンシル


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ミーントーンで調律した 初期フレンチの1段
ヴァロッティで調律した フレミッシュの2段
異なる特色を持つ 二つの楽器を使って 興味ぶかいリサイタル


バロックを歌う ファサード
前半は その誕生
後半は その物語


王宮の正面に見える 様々な構築物に
それぞれ解説を付け 選曲したプログラム


・・・・・・・・・・・・・・・


ホールの舞台係との コミュニケーションは
コンサートを より良いコンディションにする為にも
とても 大切なんだけどさ


やっぱり 言葉 ちゃんと勉強して
意味とか 価値を きちんと説明できないとね
日本人ってだけで 距離とられることも 多々あるし

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09. 08. 22

あの夏の415 ⑭

22. VIII .1999


旅の最終日 やはり 6時ごろ目が覚めた
頭を洗い シャワーをして 支度をする
朝食の予定は 8時半だが 電話がきて 9時に変更


昨日より 体調はいい
朝食をとって 部屋に戻り 12時まで待機


チェックアウトして 1時から市内バス観光
3:15まで とてもユニークな バスガイドさんと
6人の外国人と トヨタのハイエースで見学し 空港に着く


普通の人のところなら とても混んでいて イライラするが
車椅子カウンターでは 割合 早い


LH714の席は 先生と別々で
そして 隣のおばさんが 娘と変わって欲しいということで
前の座席に来る


その後 先生も移動・・・


映画を 3本見る
どれも つまらないものばかり
わずか 30分くらいウトウトして
眠れないまま 朝になってしまった


今日は 時間を7時間ほど 損したようだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


23.VIII .1999


飛行機の中で迎えた23日
日本時間なら 出発する前から23日
このあたりが よく分からん


時計とヒゲは 出発前と同じ
帰ってきた!


体を 少し やわらかくしなければいけない
これは 本当に 切実に思った
老化している


もうすぐ日本 あと10時間で成田
このまま 眠らず 夜までもつだろうか


先生は どうやら ファーストクラスにいたようだ
さすがだ!


出口で 車椅子と共に待ち
別ルートで すいすい手続きが終わる


暑い
現実へ 引き戻される


加久間親子が 迎えに来ていて
一緒に乗っていかないかと 言われるが
電車で 寄っていくとこがあるといい スカイライナーに乗る


見慣れた 千葉の夏
サッカーの試合に来た 十代の夏
あれから もう 13年も経つのか 
信じられない


加久間さんが 会報に書いてくれと 言ってきたが
どう書いていいものか


旅を書くのか それとも コンサートを書くのか
少し構想を ねっておいたほうが いいかも知れない


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この日記は ここで唐突に終わっている


実は 今 出張に来ている
なので 後半の資料や 
コンサートのレポートは 帰宅してから 仕上げたいと思う


長く つまらない文章を 最後まで読んでくださって
ありがとうございました

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09. 08. 21

あの夏の415 ⑬ 

21.VIII .1999


朝 眠らずにシャワーを浴びて 8時に朝食を食べに行く
先生が 遅れて登場
気をつかいながら 食事をとるのは 疲れる


そういえば 昨日 ヘスラーのピアノを見た
カタログをもらった
その話をしたら いい楽器についての話をされた


鳴る楽器とは オイラにとっては
音量が 大きいとか 簡単に音が出る というよりは
反応がいい 響いてるという意味だ


そして 楽器に甲乙をつけるのが イヤだ
楽器は 人間が造ったもので 楽器自体に 責任は無い
鳴ならくても いい状態で使われることが 楽器の幸福


そういえば 昨夜 西ドイツとソビエトの サッカーの試合をやっていた
ゲームの内容も ユニフォームも サポーターも
とても 昔のものだった
けれど 見ていて 楽しかった


西ドイツも ソビエトも 今はない
かたや 統一し かたや 分散した
なんとなく 不思議だった


朝食の後 タクシーで空港まで行った
空港に来て また車椅子に乗るのだが
先生は 車椅子から降りて 歩き回る


どう見ても 車椅子は必要ないが
先生らしい 一面である


30分遅れで ライプツィヒを出た飛行機は
20分遅れで フランクフルトに着く


フランクフルトでは なんと カバンが一番に出てきた
それだけで 何となく 嬉しかった


足の傷の血が かたまったが 分からないように
かばいながら ビッコをひく


ホテルに着いて バスタブに お湯をはって10分くらい浸った
途中で 先生から電話があり 慌てて飛び出て
昼食を 2時半からとることに決まる


風呂を出て 荷物の整理をする
針金ハンガーは 大活躍したが ここに置いていこう


昼食を御馳走になって 街へ出る
フランクフルト空港や駅は なんとなく つかめた


かなり 遠回りして マイン川を渡って ドームに来る
この前は ポール教会でオルガンが聞けたので
今日は ドームにチャレンジ!


幸い まだ 開いている
着席すると なにやら始まる雰囲気
鐘が けたたましく鳴る ちょうど6時になるところだ


この後 延々と この儀式のレポートが
3ページに渡って 記されているが・・・
もちろん 割愛


ドームを出ると ポール教会や
その他の教会を見ながら
コンサートがあるか否か 探した
残念ながら ないようだ


結構 歩いて 8時過ぎに インドカレーを食べた
ドイツで インド料理を食べる 日本人って
かっちょえー!


量が多くて 死にかけるが
全部 食う
おのこしはいけません主義なのだ


駅の売店で ビールと水を買い 地下鉄に乗る
空港で シャトルバスを 30分以上待った


帰ってきて のどが渇くが 腹いっぱいの状態
なかなか 寝付けない


そして 頭の中は 楽器造りのことで いっぱいになる
あそこは こんなふうにしてやれば
造り易く 強度もいいとか・・・


2時過ぎまで 起きていたと思う
やっと少し ウツラウツラとして 
汗をいっぱいかいて 何度も起きる


ツインのベッドなので
ぜいたくに 隣のベッドで 寝なおす

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業務 ド マショー じゃなかった 業務連絡

番組の途中ですが 
お知らせです!


Fellow530 なるチームで
新しいブログ 立ち上げました


よろしければ
こちらも 遊びにいらして下さい!


日用動画劇場


いやー 動画って 本当に いいものですね!
それでは皆さん さよなら さよなら さよなら!


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09. 08. 20

あの夏の415 ⑫ さよならミューズハウゼン

20.VIII .1999


ベッドから 落ちかけて 目が覚めた
まだ 朝の5時過ぎだ
やっと眠れたと思って まだ 2時間くらいしか経っていない


旅支度をすませて 9時半に食事に行く
食べ終えて リュックを階段の下に置いて
ブラジウス教会に行く
チェロとオルガンが リハーサルをしている


教会の この安らぐ ホッとできるのは 何故か
この 大きな容積が 適度に孤独を高めてくれるのかも知れない
そばに 人はいなくて 
しかし 何かの中に 守られている安心感


雄大で いばっているかのような 様々な装飾は 信仰か権威か
けれども ふっと そうした人工的なものが それを超えて
自然物に感じる瞬間がある


その時 心地良い


狭い部屋が とても好きだが
この 圧倒的な広い空間も 心地良い


静寂と沈黙が凝固した 密度の高い空気は
ひんやりと 意識を明瞭にさせ
ゴテゴテした司会は ふっと自然のルールを 逸してはいないかのように
やわらかく見える


ミュールハウゼンの旅は ここで 折り返しとなる
日本人のいない街 ドイツのオヘソ
ヨーロッパの田舎 しかし 人の住む地


さよなら ブラジウス さよなら ミュールハウゼン


11時に戻るが 先生は インフォに行ってしまっていない
荷物を置いて インフォに行くが いない
土産物屋にもいない


結局 30分後に現れ その後も 30分 待ちぼうけ
1時間以上も ペンシオンの前で座っていた
あー まぬけ


1:10まで 約1時間 最後の自由時間
古物屋で いい灯台があったが 18マルクだったので
じっと我慢の子


ベトナムのアジア料理屋台で やきそばを食べ
1時に宿に戻る


するとタクシーが来ていて 荷物を積み終わったところ
約束は1時だと 言い出して・・・ ぐっと我慢


1:27のゴータ行きに急遽乗り
あとは ライプツィヒ 終点なので ゆっくりできる


ライプツィヒに着き タクシーでホテルまで行き チェックイン
少し休んで 別々に市街へ
結構 歩いて ニコライ教会でオルガンを聞いた


スーパーで ワインと 水と ヨーグルトを買った
ギネスのあるレストランで ギネスを飲んだ
泡のきめ細かさが ブンダバーだった


魚が美味かった 今日は アタリだったので 良かった
宿に帰って ワインを飲んだり 横になったりしたが
眠れなかった


8時の朝食に 起きれるか心配だったが
結局 眠れずに朝が来た


なんとなく 結局 時差なく
体が動いてる気がする


足の裏が切れて 出血しだして痛む
体調もよくない 
しかし あと1日である

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09. 08. 19

あの夏の415 ⑪ そして 翌日

6:45に起き 洗濯をして シャワーを浴び
7時半頃 宿を出て 歯医者に送る

歯医者の後 8:10にタクシーが来て
駅まで行き 朝岡さんを送る
帰りに教会に寄り 水とヨーグルトを買い
朝食を 先生と 支配人ととる

その後 自由時間で ブラジウス教会の
オルガンを聴き 博物館を見て
その他 二つの教会と マリア教会を見て
部屋に戻り パンを食べる

先生の付き合いで 友人を送った後
3時半まで自由になり また街を歩く

3時半に戻るが 4時頃起きてきて
6時近くまで 買い物に付き合う
薬局に行き 薬を買って あとは自由

スパを冷やかしに行く
21・22歳の頃 浜松で ドイツワインについて
学んでおいて よかった

こっちじゃ シュペートレーゼが500円
アウスレーゼのフランケンものでも 千円しない!
日本の 5分の1くらいだ! ブンダバー!

トシオに電話し 
クリストフォリの置いてある場所を 確認したが
いまいち分からず 慌てて切る
国際電話は 高い…

その後 ミュールハウゼンの葉書に 侘びを書いて
トシオに送る

少し休んで 夕食をとりに 
昨夜の打ち上げケラーに行く
メニューが 分からない

とにかく 黒ビールと 魚料理を頼む
出てきた料理は 冷たいソースのかかった
ニシンか何かの スモークだ… チョーショック!

温かい料理を 期待していたから とにかく悲しかった
会計は 何と22マルク!
最大の出費で 最高に哀しい気分になった

トシオは こんなとこに 5年もいたんだね
つくづく 偉いと思ったよ
勿論 キッチンが付いてれば 食に関しては
かなり 救われるけどね

こっちの人は 声がでかい うるさい
そんなヤツラと 5年もいたなんて
やっぱり トシオは 偉いよ 

気候は耐えられると思うが
人間が 駄目だ

勿論 日本人でも 
あんまり関りたくなくなってるから
さほど 変わらないのだけれどね

宿に帰って またビールを飲んで
ラベルを剥がして 
テレビを見ながら寝ようとした

なかなか 眠れなくなってきた
ついに ここ2,3日あたりから 眠れなくなっている
これは やばい

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09. 08. 18

あの夏の415 ⑩ ラストリサイタル

6時半頃起きる
7時から朝食なので しばらくボーっとしてる
筋トレをする気も起きない
疲れているが 本番だ!

朝食を食べ シャワーを浴び 洗濯をして
ヨーグルトを食べ 宿を出る

ラットハウスには 9時前に入り 
ライトを点けてもらい ヴォイシングとスタガリング
そして 調律をする

朝岡さんに 歯医者を探して来たということで
先生は 朝から 落ち着きがない

リハが始まって マインホルト氏も来る
小柄で気弱そうな人だが いい人だ

午前中のリハは 途中から まったく集中力を欠き
レジスターがどうの 響きはどうのと 落ち着かない
疲れるからと ランチを薦め ペンシオンに帰す

まだ本番まで 8時間近くある
気だけ焦って疲れている

ヴェルクマイスターの ヴァリエーションの
1/5を試している 悪くないと思う
バッハがあるので こうしてみた
今のとこOK

ただ 1本唸りが多く 分からない
ピンは回し易い 
メカニックも とても良く出来ていて 心配は無い

あと半日で本番だが どれだけの人が集まり
どんなコンディションになり
どんな演奏をするのか 何も分からない

3時過ぎに先生到着
入れ替わりに 昼食の為 ペンシオンに帰る
カロリーメイト 柿の種 それからヨーグルト
これで食料は 基本的に尽きる

食後 ホールに行き 再び宿に戻る
7時から調律で 8時から本番

10年近く お世話になった先生の
もしかしたら ラストコンサート
ベストが尽くせますように! いいコンサートになりますように!

夕方6時でも 日本の3時くらいの明るさ
遠くで人の声が聞こえる 静かだ

まだ 幼かった頃 昼寝から目が覚めて
隣の団地との間に響いた 黄昏の静けさ
あれはもう 20数年前

いつも 当時は大変で なのに
振り返れば 幸せだったと思う
あの頃のオイラは幸せだった 
そして 今も 幸せだ

不安はある けれど希望もある
やりたくないことがある
けれど やりたいことがある

トルコで大地震が 起きたそうだ
神戸を思い出す

死は点ながらも 確実に存在する
一瞬にして その点に吸い込まれていく いつの日か

あと40分で調律が始まる
調律が終わると 何かが終わる
この旅の とても重要な位置を占めてきた
何かが終わる

そして 何かが始まる

本番の30分前に 酒を飲むのは 初めてだ
それも アルコール度数40%の 強いアロマ酒
何か書きたいのだが 何も書けない自分がいる

ヒゲは だいぶ伸びた この旅の時間の長さ
さて 海外で初の(最後の?)調律
シャワーを浴びた いざ 宿を出る!


今夜は 先生の最後のリサイタルから 10周年
コンサートの様子は この連載の最後に 記します

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09. 08. 17

あの夏の415 ⑨ 


朝 起きて 朝食に行くと
日本人の男の子が 話かけてきた
2浪した大学生だそうだが
収容所のボランティアと 収容所巡りをしているらしい

戦争のこと 生きる方向を持てていること
そんな話で 盛り上がった

頭のいい人なんだと思う
余裕があって 力まず 日本が恋しいと
淋しさも見せながら 朝食を終えた

9時に宿を出て 途中でカトリック教会の中で
しばらく空気に 埋もれる

10分前にペンシオンに着き
カバンを持って オーナーの車で
銀行に寄って 駅まで行く

10:53の列車で ミュールハウゼンまで行く
12:23に着いて タクシーで宿まで行く
宿は1泊が53マルクだから 約4千円以内

少し休んで 先生のパンをいただいて ホールへ行く
弾けるかどうか 確認をして ホールへ入ってみると
なんと イタリアンが届いている!

GG-f3の大型のイタリアン

ピッチが下がっているので 
恐る恐る2回に分けて 
415Hzまで上げる

リハーサルが始まり 街を歩きながら
5:22に駅に着く 朝岡さんを迎えに行った
5時ごろについてしまったが ホームでしばらく待つ

タクシーで宿に戻り 水を欲しいというので 買いに行く
7時まで調整して 宿で夕食を 御馳走になる
黒ビールと レバーとポテト 

9時過ぎに部屋へ行き ヨーグルトを食べる
サッカーを見ながら寝る
1時頃目が覚めて 3時過ぎまで起きている

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09. 08. 16

あの夏の415 ⑧ ワイマール最終日

16.VIII .1999


6:40頃 目が覚めて 7時に朝食を食べ
洗濯をして 朝のシャワーを浴び
8:30に ユースホステルを出る


9時ごろから 1/6でボムさんのミートケをチューニング
終わると 近くの部屋を見る


シンメル ブリュートナー フッペル
オウガストホルスター チンメルマン グロトリアン
実に様々なピアノがある


中でも フッペルのピアノは よかった!
シンメルは 調整不足もあるが とにかく弾きにくいし
ボディーの反応も悪い
調律は どれも いい感じで狂っている


チェンバロの部屋で ぶどうをもらった
その前に 挨拶に先生が出ている間
学生が来て 先生へのメモを書いた


チョコを ちょこっと食べた
ぶどうを食べてから 30分 外へ行く
この間の ブラスバンドがいた


結構 腹は減ったが
今日は 出費0の目標なので我慢する


2時から 録音をする
最後のコンサートに向けての リハーサル


3時に録音を終え SOHMERで
ヒラメを御馳走してもらう
ビールとワインと 食後に アロマなんとか という酒をもらった


魚が出てきた時 先生が 「これは冷たい」と言って
作り直させたからであろう


ペンシオンまで送り 帰ってから 買物に行った
さっきの アロマ酒と ビールと ヨーグルトを買った


ここまで 自分で 当時に つっこみたくなった
チョコやブドウを食べて 「腹が減った」とは これいかに?
出費0の目標なのに 酒やヨーグルトを買ったのは これいかに?


Photo_4


周作を読んでいたら
いつの間にか寝ていた
雨の音で目が覚め
洗濯ものをどかし 天窓を閉めた


眠いのに 寝た感じがしないの日が続く
寝ても 体が疲れている
精神的な疲労が 癒されていない
筋トレも 二日ほどさぼっている


とても いやな夢を見た
秩父温泉に行く夢だ
何故 秩父温泉なのか 分からない
(秩父温泉なんて あるのか?)


ぐったりした
人を好きになるのか 縛りたいだけなのか
もう わからない


この夢に関しては 全く記憶が無い
確かなことは この頃から
筋トレを 平気でさぼる人間だったということだ


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09. 08. 15

あの夏の415 ⑦ バッハの生まれた街

15.VIII .1999


朝食は やたら混んでいた
遠藤周作を読んで 先生へ電話をした
やっと静まった憤りが 復活する内容だった


「今日 自分は 具合が悪くなってしまった
 それは あなたの発言に 傷ついたからだ
 もっと 大変ですね と ねぎらってもらいたかった


 今回の旅は 特別なもので
 旅費も出してあげてるのに 
 宿代だって なんなら 後で支払ってもいいのよ・・・」


何かあると 誰かの責任にし
自分は正しく その上 恩を着せようとする


今日 具合悪くなったのは
昨日 エルフルトなんかに行って 
疲れたからじゃないのか?


昨日 オイラが要求したのは
一人で 遊びたかったからではなく
頭を冷やせば 元に戻れるから
元に戻れるうちに 頭を冷やしたかったのだ


この日記は ここに書いてあるのは
へなちゃこな文章も そのまま載せてあるが
全ての内容ではない


この後 私は かなり辛辣な意見を書いてあり
とてもじゃないが ここには 書けない
それくらい 参っていたのだと思う


結局 この日は 1日フリーとなり
私は アイゼナッハへと 
一人で 向かうことになる


Photo_2


アイゼナハ行きの切符を買う
10:06発の列車に乗る
今日 日本は 終戦記念日だ


バッハハウスで 2つのオルガン クラヴィコード スピネットの演奏を聴いた
部屋の響きが こんなものかと思えただけでも よかった


クラヴィコードは とてもよく鳴っていた
中庭が とても綺麗だった
絵葉書を買った


アイゼナハは バッハの生まれた街
この旅で立ち寄る ライプツィヒ ワイマール ミュールハウゼンも
バッハと所縁のある街ばかりである


Photo_3


そこから ヴァルトブルグ城まで歩いていった
長い上り坂で 汗をかくが 森林のさわやかな冷気が
ホテリを いやしてくれた


城に着くまで 40分くらい登ったと思う
先生への葉書を買った


見渡すドイツの山は 
底の方で共鳴できるものを感じた
帰りはバスに乗った


ルターハウスと ゲオルグ教会へ寄ろうと思った
ハンブルクから来た 初老の婦人が丁寧に
バスの時間を 教えてくれた


ゲオルグ教会は バッハが洗礼を受けたとこ
テレマンが 楽長をやっていたことなどが 書いてあった


とにかく今日は寒い オイラでも寒い
雨が降ってきたのと 腹を温める為
スープを飲んだ


ルターハウスの帰り また雨が降ってきた
駅までの道すがら ひとつの教会に入った
何故か バロックの録音が流れていて
一人の婦人が 座って聞いていた


ずぶ濡れになり 駅に着き 
トイレに行き 列車に乗った


ワイマール駅で 先生に電話をして
ワインやビールを買って 夕食にした
隣で 5マルクのチキンサンドを買った


遠藤周作の「父親」の 2度目を読み始めた
子供ができたら アイゼンナハのヴァルトブルグ城で
ロバに乗せたいと思った


子供は欲しいが きっとオイラは
一生 父親にはなれないだろう


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09. 08. 14

そんな真夏のバースデー

今日は 来る出張に備えて
弦の補充に 近所にある ケンタ工房に お邪魔した
もちろん 文明堂の手土産を 忘れるワケにはいかない


ちなみに このブログを書いてる時に
ケンタが スカイプで邪魔をしてきた
なんだか モゴモゴ 変な音をさせながら


「お前 なんか 食ってる?」
『ええ 今日もらった カリントウを食べてますけど』
「まじ? こんな時間に? まさか お前 この後 晩飯 食わないんだろうな?」
『食べるに決まってるじゃないですか! ガハハハ!』


ケンタは 不思議な生活をしている
メシの前に 甘いものを食べて 血糖値を上げるらしく
大福やら 今日のように 文明堂のカリントウなんぞを 食うらしい


夜11時くらいに 『あ ゴハンが出来たので 御機嫌よう!』 などと言って
勝手に会話を中断し 夜食を食っているらしいのである
そして 午前1時から ポワロを観るのが 最近のタシナミだとノタマう


それでも ちっとも太らないから 
全く 不思議な体質である
というか 今現在 生涯最高の体重に困惑してる 私から見ると
羨ましい限りである!

Img_1205


ケンタは 昨年の夏から ブロードウッドの 
5オクターブ半のピアノの製作に とりかかっている
そういえば その取材に 去年 二人で 浜松に行ったのだ


ドイツから 弦と調律ピンが届かないので
今は 先に塗装の工程に入るそうである


しかし 彼の作業は 本当に丁寧である!
ピアノは 生地をそのまま生かすので
根気のいる木工作業を 30度以上ある工房で 日々 頑張っている


お互い 年内には 新しい楽器が 完成することだろう!
もっとも 私の方は 4年めにかかろうとしているので
もはや これ以上 遅れるわけには いかないのだが


近所に こうした尊敬できる友人がいるということは
本当に 感謝である
もっとも 手土産が もう少し 安くすめば なお ありがたいのだが


そんなワケで このブログは 誕生日を迎えた
日本でいえば4歳 韓国では5歳
5年目も よろしく頼むぜ おい!

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あの夏の415 ⑥ ベルベデーレのヨーヨーマ

14.VIII .1999


朝 ペンシオンへ行くと カツラの相談を受けた
オイラは 本音で まだ平気だと思ったので
そう言った


先生は 抗癌剤の副作用で 
髪が抜け始めていることを
かなり 気にし始めていた


でも 私から見れば 違和感は無かったので
まだ 大丈夫だと思うと 伝えたのだけれど
あなたは 注意力が足りないとか 配慮が足りないと 怒られた・・・


それから タクシーで ベルベデーレへ行った
ヨーヨーマが マスタークラスをしていた
生ヨーヨーマ!


また ボム氏のミートケだった
調律ハンマーを 持って来ていないので
借りに行ってくれて しばらくして 女の人が戻ってきた


それから コピーをとらせてくれと 言ってから
雲行きが 怪しくなってきた
また口論が始まったので 外へ出て
ヨーヨーマのレッスンを 聞いていた


しばらくしてから 先生が 荷物を全部持ってきた
断られたことが 分かった
表へ出て ここの係りの中傷が 始まった


そして こうなったのも 
チューニングハンマーを 持って来なかった
オイラの責任になる 


いつも こうだ
自分の思い通りにならないと 
何かに 原因をなすりつける


この日は 学校での練習が出来ないので
ベルベデーレというとこで 行われている
サマーセミナーを 観光に行こうと 言われていた


私は 朝の電話で 調律工具が必要か 確認した
すると 今日は練習が出来ないから 必要ないと 答えていた
しかし 運よく チェンバロがあったので 練習できそうになったのである
それなのに いつの間にか こういう事態になっていく


係りの人が怒ったのは 調律ハンマーの有無でなく
先生が 楽譜のコピーを とらせて欲しい ということに対してであって
それが 何故 私の責任にしなければいけないのか 全く辛い


ベルベデーレから ゲーテ広場に戻って
この後 どうするか聞かれたから
「一人にさせて下さい」と言った


先生は 様々な理由で 拒絶した
お互いに 相手の気持ちなど 分からないのだと思い
エルフルトへ行った


エルフルトは 雨で タクシーで街内を回った
大きなドームと 教会の中を見た
空気の濃い密度と その中を 安っぽくないのだが
軽やかな響きが ゆっくりと減衰していく


クレーマー橋を渡り 駅に帰って
ワイマールで別れた


Photo


その後 ワイマールの 赤い城や
教会での オルガンコンサートを聞きながら
宿の近くで オムレツとビールを飲んだ


雨が降ってきたので 
部屋で 遠藤周作を読んだ
リアルだった


ワイマールの隣の エルフルトへ 先生と一緒に観光に行った
気丈はしっかりしているが 先生は病人である
ちょっと寒い雨の中 体調は大丈夫か 結構 心配だった
その為だろうか この街の記憶は ほとんど皆無である

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09. 08. 13

あの夏の415 ⑤ アチョー!

13.VIII .1999


目が覚めたのは6時
筋トレして シャワーを浴びて
朝の散歩


駅で電話 ・・・成らず
しかし 帰りに ユースホステル発見!
駅前だから無理だと思ったが 何と4泊OK


朝食は パン2つ ぶどう バナナ


朝 郵便局により メールは4マルクだそうだ
先生のペンシオンに着き
タクシーで 音楽学校へ


ボム氏のミートケを調律 これも ピンが硬い
調律している時は ウームという楽器だったが
弾いているのを聞くと パワーは無理がない感じ
ベースがしっかりしている


Photo


1階(日本では2階)の練習室を 
借りている学生が来て 先生と話し込む
6万円を預かり 銀行へ両替の お使いを頼まれる


その前に ノイペルトのフレンチを調律する
ノイペルトはモダンピンで 比較的 調律しやすい
高音まで無理なく発音して 悪くない感じ


11時頃 調律を終えて 街を抜け 
駅まで20-30分くらいの 道のりを行く
駅で 時刻表をもらう


先生の両替をしなければ ならないので
また 街に戻り 銀行を探す 
無い 開いてない 断られる・・・WHY?


途中 Tr Hr Tu Tb の ブラスバンドの演奏を聴く
生き生きして playしてる音楽だ


ドイツバンクを見つけ 両替
そして 1回 外へ出て
今度は 自分の両替 5万円がドイツマルクへ


ユースホステルは たぶん 相部屋なので
慎重さが 求められる


屋台の ソーセージパンを 2.5マルクで昼食をとり 
音楽学校へ
先生は留守


戻ってきたと思ったら 何故 電話を入れない?とか
探しに街に行ってきたとか 怒っている 
約束は3時だし こっちは2時に戻っているし
その間は 先生の用事のために 数時間も歩いているのにだ


今 思えば 
もしかしたら 先生は 薬の影響があったのかも知れない


感情の起伏が 激しく
イワレの無いことで 勝手に怒られることが 続いていた
約束した時間の記憶も 勝手に 変えられることが 多々あった


健康な時から 感情の起伏は 激しい方だったので
当時は 先生の性格だと思って この後も 衝突していくのだが
もしかしたら 薬の副作用が 感情と記憶に 
なにがしかの 影響を及ぼしていたのかも知れない


2:54の電車に乗り ミュールハウゼンへ 4:23到着
4時半に ミュージアムが閉まるそうなので
とにかく ベンツのタクシーに 飛ばしてもらって セーフ!


ミュージアムの 目の前には 
バッハが 初めて オルガニストとして働いた ブラジスト教会!
そして コンサートをするホールも 14世紀のもの


歴史が 威張らず ごく 当たり前のように 積み重なって
沈殿して ひっそりと 息をしている
街ごと ひっそりと 息をしている


その密度の濃い静寂の中で
とても 深い宇宙というか 自然というか 
営みを感じた


泊まるペンシオンに 案内してもらい
夕食を ごちそうになった
初めての 温かい料理だ!


ロールキャベツに ジャガイモ
ジャガイモが美味い!
そして 野菜の酢漬け


8時半に ワイマールに着くそうだが
ユースホステルは 大丈夫だろうか
不安の中で 列車に乗る


どうやら 旅 四日目にして
初めて 温かい料理を食べたそうだから
食生活が かなり 貧しかったようだ


分かりにくいのだが
この旅のコンサートは 18日の1回だけである
その為に 2週間をかける旅なのである


この日 一度 ワイマールから ミュールハウゼンに来ているが
もう一度 ワイマールに帰って 数日を過ごす
恐らく 会場の下見のために 来たのだろう


ユースホステルに着くと
なんと 一泊しか予約されていない
朝 4泊と言った! と言うと 4泊できた


部屋番号は 415


4階の一番奥のロフト
ベッド テーブル イス 小さなクローゼットと 水道のみ
マジ?と思ったが 結構 この狭さが 心地良い


トイレとシャワーは 1フロアーに1個だけ
とりあえず シャワーを浴びて トイレを済ませ
洗濯をして 日本から持ってきた 針金ハンガーで 乾かす
朝のプラムをかじり しばらくしてから 外へ出る


部屋には天窓がある!
天窓から 外をのぞくと 
もう ハイジとか そういう世界!
屋根のヘリから ヨーロッパの町並みが見える!


この旅では 先生の荷物があるので
私は リュックに 作務衣を2セット 下着も2セット
そして 最低限の調律道具と 薬と 針金ハンガーと
1冊の遠藤周作 そして この日記帳だけ 入れて来た


作務衣に 雪駄の姿で ワイマールを歩いていると
ドイツ人から 「お前は スペイン人か?」と 何度か声をかけられた
私が 『いや 日本人だ』というと 「それじゃ 空手を見せてくれ」と言う


私は 空手など 知らない
しかし せっかく ドイツ人とコミュニケーションなので
あいわかった と オモムロに瞳を閉じた


もちろん ジャッキー・チェーンの映画で見た
なんだか 怪しい 拳法の 空真似である
よく 小学生がやってる アレである


しかし 目をつむり 手を前で合わせ 
静かに深く呼吸をして 空気を変えると
ドイツ人たちも 笑顔が消え 真剣なマナザシになった


いつの間にか 人だかりが出来て
私は ハァーなどと 声を出しながら
似非ジャッキーを 数分 舞い続けた


終わって 手を合わせ 深く お辞儀をすると
盛大な拍手に包まれ 私は ようやく笑顔に戻った
恐らく 私の生涯の中で あれだけの拍手に包まれることは 2度と無いだろう


とはいいつつ 内心 ヒヤヒヤしていたことを 告白しよう
もし 本当に 空手をやっている人や 日本人がいようものなら
私の空手が 偽者だと すぐに見分けられただろうし
下手すれば 嘘つき日本人として そのまま ガス室に送られたかも知れないのである


まあ 作務衣という服装に 助けられたことは 間違いない

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09. 08. 12

あの夏の415 ④ 世紀最後の奇跡

12.VIII .1999


朝 起きて 9時まで 2時間も待ったのに
先生から電話 なし・・・
おかしいと思って 電話をしたら なんとまだ 7時だった・・・
日本時間にしてある時計を 読み間違えたらしい


朝食をとって ランチサンドウィッチを作っていたら
なんと 有料で 7.5マルク!
ちぇ これじゃ 現地で買った方がいいや と思った


その後 自由時間は無く
電話帳で Martin Schwabeさんを調べたのだが
載っていなかった


本番で弾く予定のチェンバロの 製作者に
連絡をとって 楽器を練習したがっていたが
肝心の連絡先が分からず 私は電話帳とにらめっこさせられた


練習楽器は とにかく 現地調達するしかないらしく
このあとも 楽器を借りる為に いろいろと起こる


その後 チェンバロを探させられる
メンデルスゾーンハウスへ行って 
親切なスタッフに案内され ボスと会見


チェンバロはあるが ミュージアムにあるので
リハーサルには 使えないとのこと


それで コンセルヴァトワールを紹介してもらい
部屋へ戻り 荷造りをして フロントへ行く
荷物をホテルへ預け タクシーで音楽学校へ


自慢ではないが 誤解されるのもナンなので 書いておくが
私は ドイツ語はおろか 英語も からきし話せない
ノバで2年間 7Cのクラスで 無駄な浪費をした過去がある


それなのに 館長に 身振り手振り落書きを添えて
こちらの意思を 伝えて (恐らく伝わった)
音楽学校を紹介してもらえたというのは 20世紀最後の 私の奇跡であろう


Photo_6


202室で バトルして  (先生と学校の係りの人が)
しばらくして 出てきた
待っている間 先生は すごい 憤慨!


この時 先生は 
自分が 日本の有名な コンセルヴァトワールの教授で
楽器を練習に貸してくれなかったら 日本に帰って
あなたの学校のことを 皆に言ってやると 脅したと 激しく話してくれた・・・


私は この辺りになって
既に 何度目の後悔なのか カウントする気力も失っていた


しかし OKが出ると ちゃんと 「ダンケシェーン!」
ウーム


443室には クリンクハマーの1段
GG-e3の 8’×8’のチェンバロがあった
プラスチック・ジャック


調律は すごく やりにくい
ということは すごく 狂い易い


練習が終わると 2時にベンツのタクシーで
ホテルに荷物を取り 駅へ
切符を買って ワイマールへ


Photo_7


ワイマールへ着くと タクシーでシューベルト・ペンシオンへ
まだ オイラの宿が決まってないのに
長電話が 始まる


もう 途中で出てきて
ペンシオン・サビナで 1泊だけOK


その後 街中へ呼び出され 見学
見学途中で 解散
その後 どこのホテルも ユースホステルも NG


明日からの宿の都合つかず
ピザとビールの4マルクの夕食


今思えば 不思議なのだが
この旅では フランクフルトと ライプツィヒ以外では
私の宿舎は 自分で探し 自腹を切る というものだった


食費を いちいち記載しているのは
とにかく 金が無く 
宿舎の金を 確保しながらの日々だったからだ


最悪 野宿も覚悟しながらの旅だった
でも なんで そんなことになっていたのだろう・・・

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09. 08. 11

あの夏の415 ③ 世紀最後の日食

11.VIII .1999


テレビでは 朝から日食のニュースばかりだ
今世紀最後の 「黒い太陽」を追いかけて
各地に中継所が 設けられる


朝食を 7:30頃からとり
計画通り ランチ用のサンドイッチを作成


ケシの実と ゴマのパンに
チーズと数種類のハムを挟み
結構 ゴージャス!


その他に タネ類とコーンフレークなどの 
ミルク和えが おいしくて これは日本でもやりたい!
おいしいし 体にもいいし アゴもよく鍛えられる


空港に行き また 港内自動車で スーっと手続き完了
待合室のテレビで 日食中継
フランクフルトも 少し暗くなり とても感動!


いたるところで この日食を見ようと
何万もの人々が 日食の軌道の下で
メガネをつけて感動している姿に また感動!


先生 曰く
「人は ホント 死も生も 自然の一部なのね」


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ライプツィヒへは 1時間足らずで到着
航内から 先生のオナカが痛み出し
バスと タクシーで ホテルへ到着 336と335室


30分の休みの間に
サンドイッチを持って 
飲み物を買いに街へ


トーマス教会の前の広場で
ビールとサンドイッチを食べる
気温は 20℃くらいで けっこう涼しい


打ち合わせに戻り
先生はピアノを見つけ
すぐに フロントと話をつけ 練習開始


ホテルのロビーの隣の部屋には
地元 ライプツィヒの名器 
ブリュートナーの セミコンが置いてあった


7月に 癌の告知から 入院していた先生は
鍵盤に接する機会に とても飢えていた
ここまで来る間も 練習楽器に出会えるかを 懸念していた


私が先生と出会って 7年ほど経っていたのだが
先生が モダンピアノを弾く姿を見たのは
私にとって これが最初で最後になった


モダンピアノで 奏でられる 初期バロックの音楽は
とても 不思議な新鮮さがあった
そして 工具鞄を持っていれば もう少し
きちんと調律をしたいと思って 歯がゆく聞いていた記憶がある


Photo_5


オイラは ニコライ教会で 
オルガンコンサートを聞いてから
ハレへ 電車で出発


持っているのは お金と 吸入だけ
言葉の不安を あえて抱えてハレへ


田舎の街を過ぎて 30分で到着
結構でかい!


駅前で ネーチャンに 「ザール川はどっちか?」と聞いたら
『あっちだ!』と言われて
信じて歩いていたら 全くの逆・・・


2時間近く 大きく迂回り 
ヘンデルの像や 古い街と
教会を見ながら 駅へ戻る


まだ壊れたままの アパートメントが多く
戦争の 静かな息づかいが 感じられる


9時前に ハレ駅へ戻り
ザワークラウトと ハムと ビールで夕食
全部あわせても 500円かかってないくらい


9時半に ライプツィヒに着き
ミネラルウォーターを買って 寝る


木管のソナタなどで 結構 ヘンデルが好きだった
なので 自由時間があれば 是非 行きたかったハレ


私は 言葉が通じない旅先で
鉄道に乗るのが 好きである
スリルが スパイスとなっているのだろう


旧東ドイツの領域では
この時点でも 結構 戦争のキズ跡があって
夜 その一角を通ると ちょっとしたゴーストタウン
ネオナチでも 出てくるのではと ちょっとビビっていた

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09. 08. 10

あの夏の415 ② 教会街の散策

10.VIII .1999


少し 先生の部屋で 打ち合わせてから 街へ出る
郵便物を預かり まず空港へ行く
両替で 5万円をマルクへ替える 


札をコインに替えてもらう
200マルクをコインに替えたから さぁ大変!
5M-10枚 2M-50枚 1M-50枚 小銭持ち


そして鉄道へ


地下へ降りて ガイドブック通りに 券売機の前に立って
余裕を見せたかったが・・・ 駅名が無い
仕方なく 駅員に聞くと フランクフルト圏内のキップを買うのだと 教わった


ナルホド
5.9マルク けっこう高い 
だって わずか2駅なのだ


Photo


結局 4駅先のハウプトバーンで降りて
オニギリとパンを食べながら ブラブラ


あー 久しぶりのヨーロッパという実感
一人で歩くことの楽しさ
誰とも 言葉が通じない 心地よい孤独
力んで 仏頂面の東洋人に酔いしれて ドームへ辿りつく


ドームは 6時に閉まってしまったので
残念ながら 中には入れない
しかし まぁ 外から見るだけでも たまげたものだ


上へ 上へ
それが キリスト教文化なのだろうか


と ここで カワイイ少年に両替を 迫られた
40マルク札を くれ と言う
あいにく 無かった ・・・逆なら考えられるが


財布の中身を 見たかったのだろうか
さて 物騒なところは おさらばして


10


その後 ポーロ教会で オルガンを聴き
ニコライ レオンハルト と 教会を巡った
途中で 雨に降られ 雨宿りをする


フランクフルト中央駅で サッカーの中継を見る
ヘニンガーの 苦さと甘さと ほろ酔いと
サッカー観戦者の中で 盛り上がる


S8に乗り 空港へ着く
空港から シャトルバスで ホテルへ
ホテルで 丁度 先生と会う


夜9時 日本は朝4時
眠いわけだ


駅の店で買った ビールと水と ヨーグルトで
すぐ 眠りにつく
朝2時に目が覚め その後 ちょくちょく 目が覚める


ウーム 時差ボケ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回 この日記を読み返して 苦笑した
10年前の私は 今と ほとんど変わっていないのである
つまり 成長していないのである


文体も 今のブログと変わらないし
隙あらば 酒を飲むし 既に不眠症に悩んでいる
おまけに 当時から サッカー好きだったようである


一人 気ままに徘徊することが 嬉しいのも
なにも 最近 始まったことでは なかったようだ


しかし 駅で食べた オニギリというのは
どこで 入手したのだろうか・・・


店に売ってるとは思えないし 
まさか・・・ 日本から持参したのか? 
8月なのに20時間以上経ったオニギリか?

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あの夏の415 ① 旅立ち

ここに 一冊の小さな 白いノートがある
A6のサイズなので ノートというよりは
手帳や メモ帳といったほうが ふさわしいかも知れない


この手帳には 10年前の 8月10日から23日にわたる
2週間の日々が 汚い字で 詰め込まれている
それは 故・鍋島元子先生に同行した ドイツの旅の日々である


この旅に同行することになった いきさつなどは
おいおい 連載の中で 挿入していきたい


ひとつだけ 前提として記述しておかなければいけないだろう


それは 先生にとって 文字通り 
生涯最後のリサイタルになることを 覚悟しての旅だったということ
癌を告知され 抗癌剤の治療の合間の 旅だったということ


そして 前もって 断っておかなければいけないが
関係者の方々には この日記が あまりに赤裸々で
気分を害する表現が 多々 出てくると思われる


しかし あえて あの旅の 等身大の時間の連続を
そのまま解凍して ここに記しておきたい
どうか 御理解していただきたい


以下 斜体字は 日記の文章であり
それ以外は 現在の私による注釈である
では 長い長い2週間を 振り返ってみたいと思う


P


10.VIII..1999


7時過ぎに 成田空港駅に 京成で到着
幸い 雨も上がり 
眠い頭と だるい体で階段を昇る


レストハウスには どう行けば良いかと思いながらも
作務衣に雪駄のイデタチでは 質問もしにくい


1階まで上がると 出口があるらしく エスカレーターを上がっていく
B1階で 保険がかけられるということで 2週間の保険に入る
9千円は 大きかった


1階に出ると 車整理のガードマンらしき人に
レストハウスの場所を尋ね 歩いていく
レストハウスには5分くらいで着き 
フロントで 先生に到着を伝える電話をしてもらう


7:25から40分までロビーで待ち
213号室へ迎えに行く


荷物は二つ どちらもキャスターがついているそうだ
7:40のバスを落とし 8:00のバスに乗り込む
最後部座席で 買い物などの打ち合わせをする


第2ターミナルビルへ到着する
バスを降り 荷物を転がしながら
3階のチェックインカウンターへ行き Aテーブルへ行く


野中さんの案内により 9時まで 車椅子を待つ
その間に 買い物をして 遠藤周作の「父」と 仁丹を買う


特殊な車で 飛行機ギリギリまで運んでもらい
9:40には 機内に到着 イロイロとあり・・・
10:55 テイクオフ 浮いた・・・


8月のルフトハンザは 満席だった
しかし 先生は 私は病人だから
3人分のシートを使って 横になりたいと スチュワーデスに申し出る


ドイツ人のスチュワーデスには ドイツ語で
日本人には 日本語で 豪快に抗議をしている
ルフトハンザの医師の診断書もあると抗議するのだが
満席だから どうしようもなく・・・


私は この旅の最初の後悔は この時だった
なんだか 先が思いやられる気分だった


病人ではあるのだが 先生は 機内で一番 激昂していた 
もちろん 機内アナウンスより 大きく高いボリュームで
萎縮したスチュワーデスに向かって ルフトハンザを罵っていた・・・


ランチは サラダ ババロア ターキーとチャーハン M・ウォーター
映画を3本見る 1本目はSFもの 2本目はラテンダンサーもの
3本目は えでぃ・マーフィーの ちょっぴり いい話


赤ワインに ビール2本 かぜ薬を1回投与
眠りたいが いまいち 眠れず


夕食を食べ まもなく予定通り フランクフルトへ着く
黄色い リリーフカーのようなもので 
空港内の渋滞を スルスルと抜けていく


恥ずかしい・・・ なんせオイラは 健康だもんね
そして ホテルのシャトルバスに乗り ホテルへ着く


フランクフルト空港で乗った リリーフカーのようなものには
私と先生だけでなく 他にも数人の
病人と 障害を持った方々が 同乗していた


しかし 先生は2回ほど 車を止めさせ
自分の買い物の為に スタスタと歩きだし
待たせていた同乗者に 笑顔で挨拶をしながら 帰ってきた・・・


私は 先生が勝手に買い物に行ってる間
同乗者に 言葉も分からないが ペコペコと謝っていた
私が この旅で2度目の後悔をしたのは この時だった


さて フランクフルトには 15時に到着したのだが
まだ 日付は8月10日
フランクフルトでの記録は ②へ続く

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09. 08. 09

I..D.K

オバマが 形容詞になったらしい
うん どうりで 私も
「君 オバマだね」と よく言われると思った ガハハ


よく聞くと マがカに 聞こえなくも無いのだが・・・


では 日本だったら どうなるのだろうか?
「君って アソウだね!」
これは きっと 「君って 情緒不安定だね」 という意味だろう


アソウさんは 会見や国会で 一人称が コロコロ変わる


機嫌がいいと 「僕は-」 と始まり
苦しい局面では 「私は-」 と渋い顔になり
キレると 「オレは-」 と子供のように 怒っている


ん? 
これって そのまんま 私に当てはまるんだが・・・
どうしよう・・・


フォーマルな場所では 「自分が-」
油断した無防備な人々の前では 「オイラは-」
威張ってる時は 「オレは-」
実家では 「僕は-」
そして 最近のブログでは 「私は-」


ハハハハハ
うん 情緒不安定 
認めるさ


韓国語でも 一人称は変える
仕事では 「チェガ-」
親しい人とは 「ネガ-」


うん 
国際的に情緒不安定なワケだ


そう考えると 欧米では
こんなに たくさん 一人称が存在するのだろうか・・・
I しか知らないぞ I しか


いいな 英語って


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09. 08. 08

Kリーグ

今日は 携帯のワンセグで
韓国は仁川のスタジアムで
Kリーグ代表と Jリーグ代表の試合


見事に Jリーグが勝利!
というか 私は どちらが勝っても 嬉しいし
どちらが負けても 悔しい 微妙なカード


Photo


この 仁川スタジアムには 昨年の11月の
コンサートツアーの際に
仁川-水原の Kリーグ最終戦を 見に行った


普段 赤の聖地 さいたまスタジアムに行く者にしてみれば
リーグ最終戦なのに ガラガラのスタジアムが
なんだか とても 淋しく思えたものだ


所変われば いろいろ 変わる
スタジアムの売店には カップラーメンの人気が高く
寒い 11月の韓国の応援も ホットな食べ物で凌げるようになっていた


イカや タラの 干物は
購入した人が セルフで コンロのホムラの上で
焼くというシステムで これまた なんだか 笑えた!


Img_0525


6月に行った ソウルW杯競技場は もっと たまげた!
前半が終了して 休憩時間
聖地 さいたまスタジアムでは 芝生のメンテにスタッフが徘徊する


がしかし ソウルでは お客さんのファミリー運動会が開催され
雨の芝生は ますます 荒れ放題になっていく・・・
まるで アメリカのバスケか アメフトのような光景が広がっていた


・・・・・・・・・・・・・・・・・


話は前後するが
去年の仁川で見た 最終戦


仁川の監督は 今年 大宮アルディージャの監督になっているし
水原の長身ディフェンダーも 大宮アルディージャに移籍してきた


大宮にある ナックファイブスタジアムに観戦に行った時
半年前 韓国で見た 二人が 日本にいることが
なんだか 不思議で 両国の近さを感じたものだ


今宵のジョモカップ
Jリーグ代表の中で 韓国人の選手がゴールを決めていたし
両国は アジアという枠の中で いいライバルで いい仲間なんだと思う


私も 韓国に行くと
現地の調律師の先輩のチームに混ざって
サッカーを楽しむ機会を得てる


次の訪韓では 是非 韓国で初ゴールを決めたいものだ!
音楽は国境が無いというが
調律も スポーツも 国境は無いことを 実感している!

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09. 08. 07

アナログ

国際電話は スカイプに限る


しかしながら パソコンの機能の
9割以上を 理解していないので
アナログな発想を 駆使せざるを得ない


昔 カセットテープをダビングした時も
ふたつの ラジカセを 向き合わせて
家族中を黙らせて 夜な夜な 励んだものだ


Img_1153


スカイプで ユーチューブ対決をやった


きっと 海の向こうの あの人は
今度 会った時
パーセルの グラウンド c-mollを 弾いてくれることだろう


(skype=anonymouskkk)

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09. 08. 06

涼≫冷

ここでは 何度も書いているし
実際に お会いした方々は 目撃していると思うが
私は 夏でも ピチピチの長袖を 着ている


この服は 野球のアンダーシャツである!
8月の高校球児だって 甲子園で着ている
あの 野球のユニフォームの下に着ている シャツである


つまり とにかく 快適なのである!


しかし 人によっては 
「早く泳げそうな服ですね」 などと のたまわったり
「見てる方が暑くなる服ですね」 などと ケンカを売ってくる


快適さの秘密は 幾つもあるのだが
そのひとつに 汗疹が出来ない ということが 挙げられる
とくに 関節の内側は 汗を吸う長袖によって 痒くも 痛くもならない


更に 急に冷房のある場所に行っても
薄着に比べて 体温変化は 緩やかになるので
まあ とにかく 自分には 羽衣といえるのである


ちなみに この服は 冬にも着用しており
その理由は とても暖かく 体温を保持してくれ・・・
まあ 2枚目の厚い皮膚のようなものである


・・・・・・・・・・・・・・・・・


前置きが長くなった


私の最寄駅には 二つの路線がある
ひとつは JR武蔵野線で
もうひとつは 東武東上線である


この 東上線が 夏地獄なのである!
正確に言えば 冷房がきついのである!
タンクトップや 半袖で 池袋まで行こうものなら
きっと 風邪どころか 仮死してしまうくらいである!


いや これは 大げさな表現ではない
何人かに 同じ感想を述べたら
皆 東上線は 寒すぎると回答してくれた


私は ピッチリ長袖だけだと チクビが公共的に公害になるので
その上に 更にシャツを着て 街へ出るようにしている
つまり 見てる人は ますます暑苦しい格好で 電車に乗る


それでも 東上線は 寒いのである!
車窓から 暑苦しい 8月の景色が流れていく
その中で ふと冷蔵庫を 思い出した


確か 冷蔵でも 冷凍でもない
チルド という名の 一角があったっけ
そう この電車は 走るチルドである!


乗るのは 急行なので
扉が開かない分 ますます チルドは加速して
池袋に着く頃は 私の脳は ゼラチンのように 固まっている


Sをつければ 何でも 複数になると信じていたのに
何故か チャイルドの複数は チルドレンで
なんだか 英語って やなやつだなーと感じた昔まで 思い出してしまった


・・・・・・・・・・・・・・・・


汗だくで 見上げる 満月
近くの 城山公園の 蝉時雨
私は 夏が嫌いじゃない


でも 人工の対夏工作は
夏の姿を 否定するようで
なんだか 好きになれない


風鈴の音に 涼を感じる粋
そんな 素敵な国に生まれたのだから
チルドは 冷蔵庫だけで いいような気がしてならない

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09. 08. 05

漏水

最近の私は いろいろな方々から
いろいろなモノを いただいて
プチ非日常な日々を おくらせていただいている


CCレモンから始まり 煎餅や 野菜やら・・・!


Img_1145


昨日は 総理を彷彿とさせる 太郎ちゃん饅頭


「お! よく手に入れたな! これ 賞味期限 大丈夫か?」
『たぶん 麻生政権よりは 長持ちしますから 大丈夫です!』
うーん 実に 上手いコトを言う! 感心しきりで 馳走になった! パク!


Img_1146


今日は お元気な紳士と いろいろ お話をさせていただき
手をつけなかった 最中を 持って帰るよう 薦められた


「それでは 1個だけ いただいて 帰ります!」
『そう おっしゃらず ふたつ お持ち下さい』
よく見たら 二つは 胡麻味と 大納言味 別々の味だった!


「あ それでは お言葉に甘えて ふたつ いただきます!」 パクパク!


Img_1147


チェンバロを設置した お嬢さんからは ドイツワイン!
フランケンワインだけは この独特のボトルに入っている
かつて ドイツ白ワインにはまっていたころ 憧れのワインでもあった


帰宅して 早速 乾杯しようかとも思ったが
近いうちに ケンタを含めて オセロ大会を催すので (勿論 私が全勝するのだが)
その時に 開封することにして 冷蔵庫でシエスタさせることにした


Img_1151


しかし もらいものは ありがたいもの ばかりとは限らない


昨日 仕事で どうやら アレル源を 吸い込んだらしい
ホコリなのか よく分からないのだが 昨日から 鼻水 ズルズル
一夜明けた今日も アレルギーは加速して 両穴はナイアガラ!


もう こうなると 山本リンダよろしく 「どうにもとまらない!」
いちいち ティッシュでディフェンスしていても 埒が明かないので
ええい! ままよ! と ティッシュを鼻につめこんだまま 作業に没頭!


しかし 楽器の横には うら若き乙女が 作業を見学している・・・
私は 通常 クールで ダンディで ニヒルな調律屋を 演じてきたのに
鼻血ブーの如く ナイアガラを死守する ティッシュが満開!


ああ無情・・・


もらえるものは 何でも もらってきたバチが あたったようだ・・・
この世に生を受けてから 一度も 遠慮をしたことがなかったが
これからは アレル源だけは 遠慮しようと 心に深く刻み込んだ


でないと ゴルゴ13そっくりなハズな私が
まことちゃん そっくりなイメージになってしまう・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんなワケで ようやく 工房が広くなった
さ 強弱チェンバロ 頑張らなければ!


夏の宿題! と 名づけようとも思ったが
私は 6・3・3と 夏の宿題を 自力で 夏休み中に 終わらせたことが
一度もなかったことを 思い出してしまった・・・


うーむ まことちゃん以下である

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09. 08. 04

ミッションC 浦和 デッド どんなもんズ!

浦和コミュニティセンター コムナーレ10F


Img_1100


ピアノ 小倉貴久子
チェロ 花崎薫


804


時々 素晴らしく デッド(響かない 残響がない)な 会場に出くわす
音楽専用に 作ったわけではないので 仕方のないことだし
ホールスタッフも 反響板を最大限に活用して 準備してくださった


一言で 「デッド」と言っても 様々な性格がある
ただ残響が無いだけで 楽器の音は 生き生きとしてる場合
残響が無いのだけど 直接音まで 散り散りになってしまう場合


今日の会場は 痛いデッドだった
音が とんがって 飛んでくるのだ
つまり 音が飛んでくるのは ありがたいのだが
痛すぎる とんがり感が ちょっと残念だった


リハーサル中 後輩が たまりかねて 近づいてきて言った
「先輩 これは ユニゾンで 少し やわらかくした方が いいですよ」
そう 調律屋は こういう環境でも 我々にできる領域で 
最善を尽くす方法を 模索している


「あ 先輩なら とっくに そういうこと 考えてますよね
 アタシなら そうするだろうな って思っただけですから
 生意気言って すいません」


恐らく 私が 黙っていたので 気を使わせてしまったようだ
『いや ありがと そうだね 頑張ってみるよ』


我々には 恐らく 相手は 分かっているだろうけど
それでも 気付いたことは 率直に進言する 暗黙のルールが存在する
それは 勇気もいるが 敬意でもあり いい仕事をする為には 重要なことだ


コンサートでは 少しでも
演奏者も 聴衆も 良いコンディンションで過ごせるために
いろいろな気配りと 準備と 実施が大切だと思っている


私は 同時に 別の可能性も考えていた
モダンピアノの弦を解放させて
少しでも 残響を利用しようというものだ


つまり 右のペダルを 踏みっぱなしにした状態の
ピアノを 近くに置いておくことによって
ぼんやりと 残響を 得ようという作戦である


なので 本番では リハよりも ピアノを近づけて
ふたを大きく 開けっ放しにして
棚板の下の ペダルのレバーにクサビを入れて ダンパーを解放した


Img_1141


本番前の調律
ユニゾンは 潤った傾向のズラしかたを選択した


フォルテピアノは 3分の2が 二本弦
だから モダンピアノのように 三本弦のようなズラしかたは
次高音から上にしか 通用しない


どれだけの差が あるのか 分からないのだが


ピッタリ合ったユニゾンは 輪郭だけは 鮮明になる
しかし 奥行きや 伸びは 極端に少なくなるし
ダイナミックレンジの変化が つけにくい


では 少しズラした場合だが・・・


1本を高く もう1本を低く ズラすと
音は やわらかめになって ラウドにも感じる
大味ではあるが 音も伸びてくる


2本とも高くズラすと
音は やわらかさより 潤いが出てくる
でも ハーモニーを簡単に破綻させる危険もある


私は いくつかある こうした方法の中で
今夜は 潤いを優先してみた
第5倍音がからむ和音に ちょっとだけ ヒヤヒヤしながら


舞台裏で 様々な音を聞いていた
楽器の音 音楽の音 調律の音 拍手の音


私の こんな姑息な作戦の はるか上を
二人の演奏家は 悠々と 音楽で飛んでいった
なんだか 悔しいくらい 嬉しかった


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09. 08. 03

ケンタが街にやってきた

昨夜 ケンタがやってきた


おかげで 私の家の 煎餅各種
乾き物のタグイ 全ては
貴重なCCレモンと共に 彼の胃袋へ殉職していった


ケンタと サンタは
僅か 一字違いなのに
役割は まったく逆である


「モクサングムさま コムジャンオ いつ 食べに行くんですか?」
『ん? ああ 新大久保のクィクィだな?』
「そうですよ 早く行かないと ウナギが全部 食べられちゃいますよ!」


もっと マシな脅迫が 出来ないものだろうか・・・


『それじゃ ノルェーから おっかないのが帰ってきたら 皆で行こう』
「あ いいですね! 慰労会ですね!」
『ふん どうせ お前ら二人 つるんで オレを苛めるだけなんだろ?』


そんな話題から 次々と 脈略なく 話は続く
こう見えて 私は 人と会話をするのが不得意である
できれば 一人でヒッソリとしてる方が楽なのである


しかしながら ケンタと 後輩ウララだけは 例外で
仕事などで 長時間 一緒にいても
まったく 苦痛を感じない 不思議な存在であり 貴重な人材である


夏の夜 扇風機もなく 野郎が二人 阿呆な話に興じる


韓国の航空券を予約しようとした話題になった
『でさ エバー航空ってのが安いから そのチケットがあるか 聞いてみたんだよ』
「フンフン それで?」
『ところがだ ソウルに行くのに タイペイ経由ですが いいですかって言うんだよ!』


ケンタ 大爆笑!
しかし こいつの爆笑は いつ見ても 気持ちいい!
これだけ 素で笑える大人というのも 珍しい!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『ところで 君は何年生まれなんだ?』
恐らく 逢うたびに 同じ質問を 繰り返している
いつまで経っても ケンタの年齢を 覚えられないでいる


何故か 誕生日だけは 正確に 下一桁まで 記憶しているのだが・・・


うんざりした調子で ケンタは 西暦で産まれた年を教えてくれた
『よし それじゃ忘れないように その年に起こったことを 見てみよう!』


調べてみると その年の 大河ドラマは 「風と雲と虹と」
『あ おれ このテーマソング 歌えるぜ!』
そして カルピス劇場は 「母をたずねて三千里」


『不思議だよな 8歳の頃に覚えた曲なのに 今でも 歌えるんだよ・・・』
「そうですよね 今じゃ 8分前の記憶すら 残らないっていうのに!」
『なんだと! 貴様! それで何年生まれなんだ? え?』


どうやら 3分前の記憶すら 残らないようになっているようだ


・・・・・・・・・・・・・・・・


やがて パソコンをピコピコ いじりだして
いつもの ユーチューブ対決になった!


私は だいたい 音楽関係の動画しか ノミネートしないのだが
ケンタは やっぱり変人らしく おかしな動画ばかり 知っている
前回は トラに襲われる人間で 今回は ライオンに食われる人間の映像だった・・・


『おまえさ 夜 一人で こんな映像見てて 楽しいのか?』
「凄いじゃないですか! この射殺された ライオンの無念さ 感じません?」
私には 食われた人間の 呻きと流血の方が よほど 心に痛いのだが・・・ 



そして 今回 探り当てた番組!
我々は こうした映像では ホームズと ポワロに なりきって
オチを推理し 途中で 大声で言い当てている


これは 私が 「名古屋・・・」のくだり辺りで オチを推理した!
推理通りの結末に ケンタは ちょっと 歪んだ表情で悔しがってくれた!
おかげで ライオンに食われた人間の映像を すっかり忘れることができた!


しかし 実に いい役者だなー

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09. 08. 02

雨と ブルーと ウォーターズ

私が所属している サッカーチーム 
FCウォーターズ


1995年 埼玉県庁のメンバー
特に 浄水系の人々が 発足して
この ウォーターズという名称になったらしい


私は 2年前から このチームに お世話になっている
そして 今日は 雨の中 公式戦が行われた
さいたま市民浦和サッカーリーグ 3部リーグの Dブロック5戦目である


Rig


現時点で ブロック5位
しかし1位から 5位まで 勝点3以内なので
まだまだ 順位争いは 予断を許さない状況!


そして 今日
現在 1位 無敗の FCフルゴンとの
ガチンコ対決となった!


朝から 雨が降り続いて
重いコンディションの ピッチ
ウォーターズの ベストイレブンが スターティングメンバーとなり
フルゴンへ ノロシを揚げた!


Photo


ぬかるんだグランド
それでも ウォーターズ 前半から
勢いよく シュートを 放っていく!


ハスミンと交代した ヤマちゃんが
ファールをくらい 脳震盪!
後から聞いたのだが 前半の記憶が まったく無い状態で オンプレー


Img_1020


両者 無得点のまま ハーフタイム
ウォーターズは ここで 二人選手交代
フジワラに変えてフルカワ 
アライに変えて リュウ


後半10分過ぎ


ウォーターズの放ったシュートは
キーパーを超えて 完全に ゴール!
なハズが ディフェンダーが 両手でキャッチ!


一発 レッドカード!
そして PK!
ウォーターズ 最大のチャンス!


Img_1038


しかし ここまで 1位のフルゴン
PKは キーパーが 見事にはじく!
それでも キャプテン エメ はじいたボールを ゴールに沈める!


FCウォーターズ 1-0 FCフルゴン


チームも ベンチも 大いに沸きあがった!
実は 手続き上 出場できなかった
ウッチー イイノ ヒヤマ 各選手も ベンチで狂喜乱舞!


現在 ブロック1位を相手に
ウオーターズ まったく 臆することなく
攻めて 攻めて 守って 攻めて!


そして 後半15分過ぎ
前半に 脳震盪で記憶が ぶっとんでいた ヤマチャン
決定的な 2点目を ゴールに突き刺す!


FCウォーターズ 2-0 FCフルゴン


Photo_2


試合に出てる人も
出てない人も
全員サッカーの ウォーターズ!


本当に カッチョ良かった!
雨の中 ブルーのユニフォームは
本当に サッカーをむさぼっていた!


こんなチームに出会えて
本当に 本当に 嬉しい!
シュート 外しちゃったけど・・・ すんまそん


今日の結果をもって 
恐らく 成績表は 以下の通りである!


Fcw1


もう 感無量である!
暫定ながらも ブロック1位!


去年 4部リーグから昇格したばかりだけど
このままだと 2部リーグへ またまた昇格か!


結果も凄いけど
このチームは 
本当に 人がいい


仕事は離れて
それぞれの立場で 集まった チーム
それらが ひとつになる瞬間 人間って素敵だと思う


さ あと2試合
心から 応援してる!
勝っても 負けても
Be Waters!


 

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09. 08. 01

390円的裸体慟哭

人前で 裸になるコトが 多い
それも パブリックな場所で
どどーん スッポンポンになる機会に恵まれている


思えば 実家を離れてから
何故か 裸をさらしながら
生きてこざるを得なかった


浜松では 市営の勤労青少年寮なるトコに入って
まるで 軍隊のような規律の中で 共同生活をし
大浴場で 大騒ぎしながら 風呂に入っていた日々


立川では 風呂無しアパートだったから
神田川なぞ 口笛で吹きながら
近くの銭湯に 通っていた日々


そして 今では 念願の個人風呂のある家だが
ジムにいけば それは それは 様々な年齢層なオノコと
天然温泉の風呂で いい汗を 流すことができる


ま だからだろうか
人前で スッポンポンになることに
ナンの抵抗もない


正確には 無かった と 過去形で著すべきだろう


Ship2


しかし 今 
とても はずかしい 裸体なのである
あまりに トホホな 裸体なのである


「ご使用になる前に 必ず お読みください」
などと 書かれているものを
使用前に 読んだことなど あるわけが無い


とある 腰痛患者から だまし取ったシップである
シップなど 使い方に関して 分からないことなど無い
だから 肋骨にヒビが入った時には アバラへペタ!
脚が 異常に疲労した時には フクラハギへペタ!


それから数週間後 
自慢の裸体に ありえねーことが発症した!


両足のフクラハギに メロンパンの皮みたいな腫れが生じ
その形が 綺麗な葉書大の つまり シップのかたちになっており
色は 真っ赤なのである! 


つまり 四角い 夕張メロンパンが
両足の裏側に クッキリ 鮮やか コダカラー になってしまったのだ!


そして 痒い
激しく 痒い
そこで ようやく シップの説明書を 読んで アングリ


まず 「この薬を他の人に譲ってはいけません・・・」
あ 善意の腰痛患者から 騙し取ったんだっけ・・・
つまり バチが当たったようだ


そして 「紫外線をあてると 光線過敏症を おこすことがあります」
サッカーの時 オバマに憧れて 短い靴下を履き
わざわざ 全身を 太陽にさらしていた・・・


さらに ぜんそく患者は 使用を中止し 
医師に相談しなければいけないらしい・・・


夕張メロンパンは その厚みが軽減するほど
どうにか 時間は経ってくれたのだが
まだ フクラハギには のり弁のゴハンのような 赤いシップ跡がクッキリ!
そして アバラにも やや クッキリ!


ジムの風呂に入るたびに
この トホホな のり弁跡が気になって
かと言って 内股でも ガニ股でも 隠せないので
なんとも ハジカシー思いで すぐに 湯船に飛び込むことにしている


もうちょっと マシなカタチなら
「ああ これ? 若い頃のタトゥーを 消した跡さ」
などと すごんで言えたのに・・・ のり弁だもんな・・・ 


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