1992年7月26日 オフィシャル
アジトに帰宅すると ポストには 厚めの封筒が入っていた
「来たー!」
夕立に濡れながらも そのまま パソコンを起動させる
京都の調律師 まーちゃんが 贈ってくださったDVDである
数日前 ミクシーの 大橋ピアノのコミュで
まーちゃんが 前から見たかった
NHK放送 大橋ピアノの番組のビデオをゲットした というレスがあった
そして その番組を DVDに焼いて わざわざ 贈ってくださったのである
実は 自分も この番組を リアルタイムで見てはいない
しかし 親に頼んで ビデオに録っておいてもらっていたので
テレビがあった はるか昔に 何度か見たことがあった
しかし 今は もう どこかに消えていて
まさか もう一度 映像で 大橋ピアノの工場が見れるとは 思ってなかったので
早速 ビショ濡れのまま パソコンの画面に 釘付けになった
そして 今 2.0の視力も ビショ濡れである
1992年7月26日 午前11時30分 NHK放送
新日本探訪 「音 いつまでも ~浜松・ピアノ町工場物語~」
この番組では 昭和33年に設立した 大橋ピアノ研究所の
2代目 大橋巌社長が 1991年10月30日に他界し
とし子夫人と 残された職人達が
ピアノ造りに捧げる 最後の日々の ドキュメンタリーである
自分は 1991年3月23日に 大橋ピアノを退社し
その 3ヶ月後の6月 巌社長が 倒れたという報せを 聞き
半年後の10月末 巌社長の訃報を知る
日本の 最後の手作りメーカーといわれた オーハシ
その最後の最後に オーハシ・ファミリーと
年配の職人達から しごかれた世代になる
大きなサボテン 昭和30年代のまんまの オオハシの工場
毅然とされている とし子未亡人の しゃべり
大正生まれの鈴木さんの ぎこちない しゃべり
よく 可愛がってもらった 鉄工の神門さんの 愛くるしい表情
泣きました
なもんで 今は まだ うまく説明できません
でも 決意しました
オオハシでの修行時代
自分は ピアノの製造過程を ほとんど写真に収めていました
時々 怒られながらも・・・
長くなるだろうけど やはり 当時の写真を
連載で掲載しなければ・・・
オオハシのピアノは 今も いろいろな家庭で
静かに 和らかく 歌っているハズです
その 生まれてゆく姿を 伝えていかなければ・・・
当時は ナンとも思ってませんでしたが
時間が経つと 本当に いい環境で 勉強させてもらっていたんだと
あらためて 感動し 感謝してます
そして この番組が 放送されていた日
偶然ですが 自分は 浜松にいたのです
明日へ 続きます
The comments to this entry are closed.
Comments
楽しみにしていますっ
Posted by: 笛吹きちゃん♪ | 08. 09. 04 PM 9:59
↑同じく、楽しみにしていますっ♪
Posted by: ichigokko | 08. 09. 05 AM 12:00
Dear 笛吹きちゃん ichigokko
楽しみにされました・・・
Posted by: 某閑人 | 08. 09. 05 AM 6:26
DIAPASONは、大橋ピアノさんですよね?
高校時代から弾いているGP・・・
30年来の我が友ですが、何人もの調律師さんが
「名器ですよね」とか
「懐かしい!」と
おっしゃっていました。
私も、某閑人さんのこの企画、楽しみです(^▽^)/
ルーツを辿る旅・・・・
Posted by: Peko | 08. 09. 05 PM 12:12
Dear Peko
ディアパソンは 大橋の先代が設計して 作っていて
そこを辞めてから 自社ブランド OHHASHI を設立したみたい
先代の設計は 基本的には ベヒシュタイン・ベースなんだけど
グランドでは ヤマハのNo20なんかが 凄く銘記!
これからも ピアノと仲良く 生きていってくださいね!
Posted by: 某閑人 | 08. 09. 08 AM 9:17