ウイスキーとベートーベン ③
浜松の修行を終えて 関東に戻る時 タイミングよく
調律学校時代の恩師が 一緒に働かないかと 声をかけてくれた
桐朋音楽大学 それが 新しい職場になった
当時 杣は 桐朋音大なるものを 全く知らなかった
だいたい 音楽とは別世界で生きていた人間である
大学と言えば 国士舘だとか 日体大という 体育系の名前しか知らなかった
音大の仕事は 楽器製作の現場と違って
いつでも 音楽に溢れていた
様々な楽器による 様々な年代の 様々な音楽
学内で行われる 校内演奏会には 出来るだけ足を運んだ
それまでの音楽の聞き方が 少しずつ変化していったのも この時代である
楽曲絶対 から 演奏の重要さを知ったのも この時代である
ある演奏会で 伴奏というものが 共演であることを知った
ソリストになれない人が 仕方なく伴奏をするのだろうという偏見が
見事に払拭され それまでの無知を恥じる機会に恵まれた
アンサンブル 室内楽 オーケストラ
様々な編成の演奏を聴きながら
信頼関係の上で 激しくぶつかり合う競演に 心が躍った
チェロ・ソナタ 第3番
そんな時代に 強く惹きつけられた曲
相変わらず ベートーベンが好きだったが
バッハや ラフマニノフなど その範囲は 大きく広がっていった
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大橋も 桐朋も 2年で辞めた
自分にとって ひとつの職場の期限は 2年と決めていた
最初の1年は とにかく学び 2年目は とにかく応用に徹した
仕事場と 女性は しょっちゅう取り替えてしまうようだ
ナンのアテもなく独立したものの 勿論 仕事など ほとんど無い
若い間は とにかく技術を磨いて それが信頼へ繋がれば
いつの日か 金はついてくるだろう ・・・そんな楽観主義だった
あれから 15年が過ぎた
相変わらず 夜な夜な アルコールとまぐわって
不眠症を 強制終了する日々が 細々と繋がっている
21世紀になって チェンバロを製作したり 韓国に出向いたりするようになった
そうした 新しい展開は 自然発生的に生じて 自然体で挑戦し続けている
こうしたベクトルが どこに辿りつくかは 未だ 分からない
リヒテルと ロストロポーヴィッチの バトルのようなチェロソナタ
信頼の上で成り立つ戦いは より高い次元へ 導いてくれる
ダルマやジンロを飲みながら そんな感慨にエネルギーをもらっている
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