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07. 11. 21

真相の陰と陽 ②

前略


フランクフルトの空港の テレビに映っていたのは
20世紀最後の日食に湧く ドイツ人の姿でした
僕たちは そこで1泊して ライプツッヒに飛び立ちました


僕の手元には 1冊の手帳が まだ残ってます
先生と行った ドイツでの日々を 鮮明に記した手帳です


先生は 僕が日記をつけていると知って 
「いつか 役に立つ日が来ることでしょう」と おっしゃりました
でも 残念ながら 僕には まだ その力は無いようです


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先生が ミュールハウゼンという ドイツの真ん中の街で
リサイタルがあるので 一緒に行って欲しいと おっしゃったのは
御茶ノ水にある病院でした


病室が 415と聞いていたので 開口一番に
「先生の病室は バロックピッチなんですね」などと
つとめて 陽気に振舞おうとしていた僕は 先生の冷笑で すぐに萎えたものです


8月に ドイツで リサイタルがある
でも 医者からは 誰か 付き添いがいなければ 許可がおりない
だから 一緒に 最後のリサイタルに 行って欲しい


数日後 僕は 「一緒に行きます」 と返事をしました
すぐに返事が出来なかったのは 同行することの不安が 大きかったからです
でも それ以上に 悔しさへのリベンジが 大きかったのです


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コンサートの途中 突然 譜面が落ちてきて
それを 拾い上げたのは 近くに座っていた 外国人のジェントルマンで
その後 2段鍵盤の 上鍵盤のひとつが 戻らなくなって・・・


あろうことか コンサート中断
調律師のくせに 譜面を拾うことも 出来なかったうえに
トラブルも 解消できずに あなたは一体 ナニをやっているのですか!


あれは 1999年の春の 東京でのコンサートでした


初めて 外に出して コンサートに使う楽器
そして 初めて モダンピッチにして使う楽器
リハーサルは 何故か 何もトラブルは 無かったんです


雨が 降ってました
会場の湿度も 上がって
一連の事故が起きて 僕にとって 悔しいコンサートでした


思えば あれが 先生の 国内最後のコンサートになってしまいました
本当に 御迷惑おかけして すいませんでした
でも あの時は あれが精一杯でした


それから ヒトツキくらいしてからでしょうか
僕は 電話で その事態を知りました
先生が 癌に犯されていることが発覚したということ


あと 半年ほどの 余命であること


Last


1999年の夏といえば ノストラダムスとか グランドクロスとか
この世の終わりが来ると 少年時代から 密かにビビッていました
でも 現実の99年の夏 僕は先生と ドイツにいました


そういうわけで 先生 ごめんなさい
僕は 先生の最後のリサイタルへの同行というより
春のコンサートの リベンジで ドイツ行きを決めたのです


あの時は まだ 先生が亡くなられることなど 実感が無く
ただ 調律師として もう一度 先生のコンサートで
今度こそ きっちり 仕事をしたい と そんなエゴだったのです


あの夏の 2週間の日々は 僕の日記を 読み直す限り
それぞれの そうした ベクトルの相違が 軋轢の要因になっていて
僕は 冷酷な人間でした


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先生の 最後のリサイタルは 
その後 古楽研究会の 愛弟子達によって CDになりました


実は 僕は あのCDを 1度しか聞いてません
それも じっくりでなく 録音状態を確認する程度の認識で
さらっと 聞き流した程度です


僕は あの夜 現場で先生の演奏を聴いてました
そして それが どのようなものだったか 鮮明に記憶しています
だから 録音が 少し 怖かったんです


でも 明日 8年ぶりに あのCDを聞きたいと思います


長くなりました

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