07. 09. 30
07. 09. 29
狭き門より入れ
狭き門より入れ
滅にいたる門は大きく その路は廣く
之より入る者おほし -マタイによる福音書 7:13
大きな門は 滅びに至るそうだ
そして その数は 多いそうだ
なるほど 大きな門には 小さな門もある
だが 狭き門は 靴で だいぶ 削り取られている
救いへ向かう者たちは 少々 そそっかしいようでもある
(今日の学習)
聖書とは 66の書物が 編纂されたものであり
旧約聖書と 新約聖書から 成っている
この旧約とか 新約とは 翻訳のコトではなく
神との契約が 旧であり 新であることを意味している
で マタイなる弟子の 今日の言葉から 杣が学習したことと言えば
これが書かれた 2000年近く前も
救いに至る善人より 滅びに至る 悪い奴が 多かったんだなー てなコトで
なんだ 今も昔も 悪い奴の方が 多いんだなー てなコトで・・・
なんだ オレは 多数派なんだ ・・・よかった
07. 09. 28
心霊写真
都内各地で 成仏権を棄権した心霊達が 集会を開き
昨今の 心霊写真への危機をめぐり 様々な意見が交わされている
参加者によると どうやら 最近の デジタルカメラの普及により
自分達 心霊が 写真という媒体で 活躍できなくなったことを危惧し
早急なる対策と 打開策を講じる懸念が 高まっているという
というのも 心霊達の霊体振動数が
デジカメで捕捉できる 可視振動数を遥かに上回っており
心霊写真として 登場できなくなってしまったのである
分かりやすく言うと
CDという音盤が 高い周波数をカットしているように
デジカメでは 人間の視力に反応しない 高い振動数をカットしているらしい
かつて アナログの時代
レコードやカセットテープでは 実に豊富な倍音に恵まれており
フィルムの写真は 実に豊富な現象さえ 捕らえることができた
多磨霊園を徘徊する 心霊Hさん(享年76歳)は このように話す
「こんな時代が到来するのであれば もっと早く成仏しておくべきだった」
心霊写真になって 孫を驚かすのが夢で 未だに留まっていると結ぶ
谷中で屯している 心霊Gさん(享年98歳)は
「いっそ デジカメ普及率の低い 東南アジアにでも 移動しようかと思案中だ」
と言うものの 旅費が工面できず 仕方なく 三途の川へ旅立っていった
かつて 写真とは 我々を ワクワク ドキドキさせてくれるものだった
貴重なフィルムに残す たった1枚の写真に
多くの思惑を重ね シャッターを押す
そして現像を待ち ようやく写真を見ることのできるトキメキ
1枚の写真は シャッターが押された現場から
手元で 眺めるまで 実に多くの時間を要し
その 時間の連続が また 写真への価値と畏敬を 高めていた
しかし 時代は推移し デジタルな画面の中で
無意味に 切り取られた 多くの瞬間が
無残にも 捨てられていく
ベトナムから渡り歩いてきた 心霊R・キャパ(享年41歳)は こう語る
「我々の時代に比べると カメラの性能は 遥かに進歩している
だが 気軽に撮れるようになったものの 魂の宿った写真は 少なくなった」
07. 09. 27
07. 09. 26
07. 09. 25
07. 09. 24
最後のスパイス
杣 「オンタマ・レッドカレーを ひとつ 下さい!」
店 『激辛ですけど 大丈夫ですか?』
杣 「はい がんばります」
店 (ニヤリ)
ファミレスとか ファーストフードとか
店員の 対応マニュアルは よく教育できていると思う
でも マニュアルは あくまでも マニュアルであって
そこを超えられる キャラクターがあると もっと良いのに
などと考えるのは なにも 杣だけではあるまい
なもんで 杣は 時々
イジワルのつもりでは無いのだけれど
マニュアルの中には 答えようが無い発言で 店員をつついてみる
オンタマレッドカレーを出しながら 若い店員は のたまわった
店 『がんばって下さい!』
杣 (ニヤリ)
店 (ニヤリ)
店員の対応は 最後のスパイスだ
おかげで とてもオイシイ ランチになった
07. 09. 23
パシャパ
微妙な ゴミ箱に なりつつある アジトの工房だが
先日 こんなモノが 発掘された
若い人は 分からねーだろーなー
今や 電話もできる 携帯テレビだが・・・
じゃないか
テレビも見れる 携帯電話であるからにして・・・
ラジヲだって ナビゲーションだって ゲームだって
パソコンの画面すら 見ることのできる
携帯電話であるからにして・・・
カメラなんて あたり前の 携帯電話なワケなのだが
ちょっと前は
こんな「パシャバ」なる ヘンテコな機械を 携帯にひっつけて
写真をとって 「スゲー!」 と感動していたものなのだ!
この パシャバで どんな写真を撮ったのか
ハッキリ言って 記憶も 記録も ひとつも残っていないのだが
まだ パソコンなど購入する前の時代だから・・・
たぶん 全ての携帯が テレビ電話になるのは
もう数年後のコトだろう
その頃になると
「昔の電話は 声しか聞けなかったらしいぜ!」 とか言っては
『えー うっそー 信じられなーい!』 と 驚く若者で 溢れるのだろう!
そういえば 行ったことは 一度も無いが (アタシと行ったじゃない!とか言うなよ!)
ラブホなんかには 駅やら 町の騒音が BGMとなる
アリバイつくりに便利な機能が あったらしい! (へぇー)
そのうち 携帯テレビ電話にも
背景を 事前に録画しておけば
そこで電話をしているような機能とか つくのかな・・・
07. 09. 22
ミッションC 師との邂逅
台東区 蔵前小学校
蔵前小学校の オーケストラの演奏と
小倉貴久子 若尾圭介 水谷上総の プロの演奏家が
コラボレーション!
蔵前小のオケは 朝連だけで ここまでの演奏を 練習してきたという!
管楽器 弦楽器 打楽器 その他諸々のメンバーだが
その 指揮棒に向かう求心力に ゲネプロ見学時から ちょっと感動!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在の 蔵前小の 馬場俊一校長は
実は ボストンフィルで活躍中のオーボエスト 若尾圭介の
かつての 先生だという
教え子が こうした 様々なジャンルで活躍してくれることを
「教師 冥利に尽きる」と 嬉しそうに 優しい笑顔で 話してくれた
そういえば 杣も かつての師匠と 偶然の邂逅をしたことがある
チェンバロの仕事で 千葉方面のコンサートに 調律に行った時
そこで リコーダーを吹いていたのは 高校時代の 音楽の教師だった
学生から見ると 先生とは あまり年をとったように見えないので
すぐに 「おー! 先生! オレです 杣ですよ!」と 話かけ
幸い 杣の苗字が 珍しかったのか 先方も すぐに思い出してくれた
で 高校卒業後 調律の専門学校に行き
本当に 調律師をやっていると知って 彼は驚いていたが
こうした邂逅は 多分に 嬉しいものだ
来年も 若尾は 来日してコンサートを開く予定だというが
また かつての師匠の下で 素晴らしい小学生のオケをバックに
たくさんの感動を 分かち合うのだろう!
07. 09. 21
ミッションC 木管とチェンバロの夕べ
代官山 ヒルサイドテラス プラザホール
チェンバロ 小倉貴久子
フルート 神田寛明
オーボエ 若尾圭介
クラリネット 三界秀実
ファゴット 水谷上総
ホルン 西条貴人
小倉貴久子の チェンバロソロ
そして オーボエ ファゴットとの アンサンブル
ピッチは ボストン交響楽団と 日本の間を取って 441ヘルツ!
木管五重奏では なかなか聴けないサウンドを堪能!
当たり前なんだけれど 弦とか 鍵盤には
とうてい マネ出来ない 独特の響きに しばしワクワク!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日のステージマネージャーは 梅津知美
元 チェリストということもあって
演奏家の視点で 各項目をチェックしてゆく
ステマネの仕事は コンサートで大きな役割を担っている
目立ちすぎるということは あまり 良い仕事ではない
さりげなく 確実に 速やかに 梅津の仕事は 美しかった
時々 杣も コンサートでステマネを やることがあるが
こうした ベテランの 音楽の為のスマートで 配慮の行き届いた仕事を
きっちり見習っていきたいと 思うのだが・・・
また どこかのステージで 再会したいステマネぶりだった!
07. 09. 20
絶大なる人気スポット!
秋の 行楽シーズンが 近づきましたが
皆様は すでに 御旅行の計画は 立ててしまわれましたか?
え? まだ? そんな方に オススメのプチ旅行を 御案内!
この秋 眉唾商事が お贈りする イチオシのスポットは
日帰りも良し ゆっくりと温泉につかるもよし
それぞれの 御予算と 御時間に合わせられる 麗しの関東圏内!
当地は 近い将来
どこの旅行雑誌にも 取り上げられること ウケアイ
今は未だ 隠れた名所 知る人ぞ知る 日本最後の秘境!
その証拠に 今現在 関東を網羅する 幾つものバス会社が
バス停を設置し その数 50社を超えており
これからも まだまだ 増加するという情報も 入ってきております
ただ 残念なことに それぞれのバス会社が
このバス停に 勝手な名称を付けてしまっているので
いささか 戸惑われるお客様が いらっしゃるかも知れません・・・
まあ そういった企業戦略に 翻弄されることなく
どうぞ つかの間の 日常からのエスケープを
御ゆるりと 堪能してきて下さいませ!
07. 09. 19
幼い鏡
とても 優しそうで 知的で 自己をしっかりもっていて
うーん 素敵なマダムだなー などと感心し
その家族は 幸せなんだろーなー などと 微笑ましくなって
そういった マダムに 時々 出会うことがある
しかし 子供は正直である
ピアノを調律している 部屋の隅で
素敵なマダムの まだ 幼い御令嬢が
ぬいぐるみ やら 人形を相手に ママゴトを始める
「あら アナタ また遅かったのねー どこでナニをしてることやら」
「アナタ ケータイ 出してちょうだい ホラ 早く!」
「○○ちゃん ママとパパ どっちが好きでしゅか?」
こ 怖えー
知的で 美人で 素敵なワイフより
やっぱ 一人暮らしの方が・・・
嗚呼 オレって 幸せ!
07. 09. 18
ヌラー コトノチル ・・・タマコサ
あさ あさ あかるいあさ
やねがひかる そらがひかる とうちょうぶもひかる・・・
なんて マダラな記憶を じっくりと 手繰り寄せてみる
ヒタイには ちょっと 汗 ウーン ムムム
まあ 毎朝 繰り返される ハバカリでの 儀式の途中・・・
居間にある テレビが鳴った!
いや 正確には 電話の機能も果たす テレビが鳴った!
だから まあ 電話が鳴ったらしい・・・
しかし 慌てない!
最近のテレビは 優秀で ちゃんと 誰からかかってきたか 分かるのだ!
んなもんで 丁重にチリシでぬぐい 小さなナイアガラを ジョビジョバ!
で 面倒臭そうに テレビを開いてみると 見慣れない番号
そして 留守伝・・・ 聞いてみると オーマイガー! 英語である!
しかし 82で始まる番号は 恐らく韓国だろうと思い直し かけなおす!
携帯で 国際電話 えらいなー オレ ・・・などと テメーを励ましながら
? 「ξΨ-¨ο#"ヾШ!」
杣 『ハッ ハロー アイム ソマ イン ジャパン』
? 「オー ミスター ソマ? Юи£$☆!・・・」
キレイなソプラノなのだが 英語で話されると 何語か分からなくなる・・・(ん?)
そのまま 携帯をパッチンと 切ってやろうと思ったが
考え直してやった! えらいなー オレ ・・・などと テメーを励ましながら
杣 『ホクシ ハングクサラム アニエヨ? (もしや 韓国人じゃねーでげすか?)』
? 「ア イェー マッスムニダ (ハイ その通りでごわす)」
杣 『アニョハセヨ! アッカ チョハンテ チョナヘッソヨ? (電話したずら?)』
まあ そんなワケで 数ヶ月ぶりの 突然の韓国語だったのだが
何故か いまだかつてないほど 流暢に会話ができ
ありえねーほど 意味が理解できてしまい テメーでも 驚いた!
きっと 電話の向こうのソプラノは 美人に違いない! うん 間違いない! ムフフ
杣 『で 朝っぱらから オレサマに何の用だい?』
? 「ソ会長が 日本に行くので 杣さんの工房にお邪魔したいと 申してげす」
杣 『えええっ? いつ来るんだぎゃあ?』
? 「20日から23日でごわす」
ソ会長とは 韓国調律師協会の元会長で
2004年の夏に ソウルのピアノフェアで 初めて会い
その後 何度か お会いして いろいろ世話になっている 偉い人である!
がしかし 杣のアジトは レンタル用のチェンバロ 製作中のチェンバロ
そして 夏のオーバーホールをやったまま 散らかり放題な状態で・・・
とてもじゃないが このタイミングで 国賓を招くことは 不可能なのである!
と ここまでが 前置きである
(書き出してみると あっという間に 長文になってしまって ミアネヨ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんでも 杣に 何度かメールをくれたそうだ
がしかし 杣のPCは 英語だけのメールを 極力排除してくれるので
詳細を 韓国語で 送りなおしてくれるよう 進言した
そして 昼過ぎ テレビが鳴った!
いや 正確には メールの機能も果たす テレビが鳴った!
だから まあ メールが来たらしい・・・
何故に こんな化けかたをするのか!
半角のカタカナも おかしいが 漢字だって難しい!
なおかつ 文中に散在する 絵が 何故か 動くのである!
ちびっこい悪魔の絵が あっち向いて こっち向いて ニヤと笑って・・・
もちろん パソコンでは きちんと ハングルになっていた
これから 返事を書くところだ
まあ 工房見学は スケジュール的に 無理っぽいが
お土産を 渡したいなーと思い
フットサルも諦めて 夜な夜な モノコードを作りたいと思っている・・・
間に合うのかなー
07. 09. 17
ガリレオの死角
暮れなずむ 西の空
のんびりと デクレッシェンドしていく 夕日を見ている限り
ガリレオには悪いが 地動説を 信じたくなってしまうからして
人間とは 小さく 儚く 愚かで 愛おしい
地球温暖化とやらが 騒がれているらしい
この問題は 地球上の 一生物でしかない 人間が
今のテメーの快適な生活を犠牲にできるか
将来の人類が存続できるかの 二者択一に過ぎない
そして 人間とやらは
小さく 儚く 愚かだから
今 我慢しながら生きていくことなど できっこない からして 愛おしい
それよりも もっと阿呆なコトに 妄想が炸裂
温暖化になった 地球で 最も 得をする国家は どこなのだろうか・・・
間違いなく それは ロシアだろう
不凍港に満ち溢れ シベリアまでもが 快適なリゾート地と化し
かつての宿敵 アメリカは 水没と砂漠化で 崩壊する・・・
なもんで
今現在 密かに どこかで 元KGBの残党達は 懸命に ゼーゼーとCo2を吐き出し
ベーリング海の中で おしくらマンジュウをしながら 海温を上昇させ
その甲斐あって 22世紀は ロシアが 世界の覇権を手に入れた!
となると 真冬でも20度を 下回らない東京では
もはや ロシアの統治下で ピロシキやら ボルシチを 喰らい
灼熱の真夏でも ビールの代わりに ぬるいウォッカをあおることになる
調律師は ピアノの代わりに バラライカなんぞを チマチマ合わせ
体育の成績がいい小僧は ボリショイサーカスに 売り飛ばされ
路上でタムロする愚連隊は ヒップホップの代わりに コサックダンスを舞い・・・
それでも 地球は 回っていく
07. 09. 16
ボクはギリギリ
ちょっとした 失言でも
今や 「キャー セクハラ!」という 御時世であるのに
一方では どうどうと そのー なんというか・・・ 人気者なのである
男女平等というのは そもそも 不可能だろう
男女どころか 一人一人 個性やら能力は 違っているのに
その中で それに見合った平等とは 果たして・・・
女性専用車両はあっても 男性専用は無い
てなコトを グダグダ言おうものなら
それこそ 婦人会のオバサマが ヒステリックに・・・
そもそも ヒステリーの語源は・・・
やめとこ
はぁ ギリギリっす
07. 09. 15
07. 09. 14
孤独な散歩者の夢想
ハイヴィジョンな 2.6インチのテレビCMを見ていて
ハタと 否 ハテと 否 ナニヲー! と憤った!
それは マンナンライフの蒟蒻畑のCMである!
むすんでひらいて のメロディーにのせ
オミナ達が かろやかに歌う その歌詞は・・・
「つまんで 押し出して よく噛んで 食べましょう・・・ また つまんで・・・」
別に 「股を抓まれる」 想像をしたワケではない
それなら 憤りよりも 恐怖を抱くハズである
・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は 杣は こう見えても
隠れ ルソーファンである
ルソーといっても アンリでなく ジャン・ジャックのほうである
来年 没後230年になる ルソーだが
かつて 現代のピアノ調律に採用されている 「平均律」を研究している時
彼の 「真の自由は 平等の上に成立する」 とかいう言葉に 閃いた
19世紀の平等を宿した 「平均律」という 調性感を失くした音律によって
ドビュッシー の全音音階やら シェーンベルクの12音音階やら
新たな自由を 音楽は手に入れることができた・・・
そう 18世紀の 啓蒙思想家達によって 耕された「平等」という価値は
そのまま 音楽の基礎である 音組織にまで採用され
現代への道を 歩んでいるのでは ないだろうか・・・
なーんていう 強引な 論理をつなぎ合わせて
セミナーのテキストを 書き上げたわけだが
その時 初めて知ったことが 多々あった
ルソーは 作曲家でもあり
フランス・バロックを代表する かのラモーなどとも喧嘩をし
オペラまでも 書き上げた音楽家だったのだ!
別に だから ラモーや クープランが嫌いなワケではない・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その ルソーが作曲した曲に
いわゆる ひとつの 「むすんでひらいて」がある
この曲 日本では 何度か 詞が変わっている
現代の 戦後版 「むすんでひらいて」の 作詞家は 不明だそうだ
しかし 「社会契約論」から始まって 「エミール」まで 没頭した
隠れルソーファンにとっては
この 「むすんでひらいて」という詞だけでも 不愉快極まりないのである!
それが 今や
「つまんで 押し出して・・・」なもんだから 憤るのも当然である!
ちなみに ルソーは 新しい記譜法や
新しい 音律も 開発している!
そんなルソー様の音楽を 「つまんで 押し出して・・・」だと!
あ
付け加えておくが
杣が ダイエット中 蒟蒻畑で 食生活を営んでみたが
ぜんぜん 体重が減らなかった過去の怨恨は この件には 関係ない
07. 09. 13
07. 09. 12
そんな大人の肝試し ③
ビルの高さでいえば たかだか 18階くらいのものだろう
しかし なかなか どうして ・・・高い!
それまで ハシャいでいたが この瞬間だけは やや失禁・・・
ま 介護用 大人のオムツもしていたので
周囲には 芳香を撒き散らさずに 済んだようだ
高齢化社会も マンザラではない!
かつて 赤い鳥が歌っていた 「翼をください」
翼を背中に宿したら それを はためかせるためには
どれくらいの 筋力が 必要になるのだろう・・・
そんな思惑とは 別に
体は 確実に 加速していく
引力とは こんなに 強い力だったのか・・・
幽体離脱という 超常現象があるというが
成仏できない魂には 怨恨や 未練があるのではなく
ただ わずかな体重が 残ってしまっただけなのでは ないだろうか・・・
まあ どうやら肝は 正常に作用しているらしい・・・ メデタシ メデタシ!
07. 09. 11
そんな大人の肝試し ②
ここには レントゲンも MRIも 無い
が 記録は鮮明に 撮られてしまう
撮影は キュートでラブリーな メアリー(仮称)
白衣の天使では無いのだが
キケンを省みない ワイルドなガール!
うーん アマゾネスから スカウトされそうだ!
しかし 撮影するのは 肝臓ではないらしい
手にした 写真機の やたら望遠なレンズが
いささか 気にならなくもない・・・
ハッキリ言って 大仰で 重装な装備であるが
大人の肝試しは こうでなくてはならない!
この時点で オショウスイをチビったりしたら
疑われるは 切迫性尿失禁ではなく
「肝」 つまり 肝臓なのであり ついでながら 「度胸」である
見下ろせば 川面まで 距離にして 40メートル
地球によって なんの努力も無しに 等加速度運動を経て
最高 100キロ近くなるという・・・ マジかよ?
ちなみに ケムリとバカは 高いトコが好きだ
(つづく)
07. 09. 10
そんな大人の肝試し ①
日々 尋常でない量の アルコール摂取に 余念の無い杣だが
それでも 時々 テメーの肝臓は 大丈夫なのかと
少々 不安になることも なくもない
なんせ 相手は 沈黙の臓器なワケだから
気づいた時には 手遅れ・・・ なんてことも
十分に ありえないこともない
なもんで 肝臓のチェック
すなわち 肝試しに 行ってきた
肝試しと言っても オバケ屋敷やら
心霊スポットで 行うのではない
もちろん 大嫌いな病院など 行く気もしない
それでも 体重だけは 測量される
体重における 肝臓の大きさやらを 測定しなければいけないのか・・・
だが 不可解なコトに 服と装備をしたまま 体重計に乗せられた
こんなんで テメーの 肝臓の状態が 分かるのだろうか・・・
少々 不安になってきた
挙句の果てに 責任追及を 一切しない 誓約書まで 書かされる
かくして 肝試しの準備は チャクチャクとすすんでいく
(つづく)
07. 09. 09
07. 09. 08
ミッションC ヨハネへの道
厚木市文化会館 小ホール
2月に行われる ヨハネ受難曲に向けて
3回のレクチャーコンサートの 第一回目
ナビゲーターは 田崎瑞博
前半は いわゆる「G線上のアリア」は 何故 美しいのか
楽曲の断面などを 分解しながら解説し
バッハの才能とセンス 更に その努力を紹介
後半は ヴァイオリン協奏曲2番と
川原千真(ヴァイオリン) 中村忠(フルート) 加久間朋子(チェンバロ)らを
ソリストに迎えて ブランデンブルク協奏曲5番の コンサート
このブラコン5は その1楽章で 壮大なチェンバロのソロがある
時々 このソロの部分で チェンバリストはハリキリ過ぎて
空中分解することがあるが 今回は ジックリと楽しめた
チェンバリスト 加久間は 自身のブログで
「やわらかい 大人っぽい演奏法を 試してみたい」 と宣言していたが
なるほど たっぷりと 余裕のあるソロからは 本人が楽しんでいる様子が 届いてきた
響きの良いホールではなかったのだが
音楽というのは やはり 音という空間より
時間という演奏で 我々の心を グイグイ魅きつけてくれるものだ!
07. 09. 07
07. 09. 06
美しい国
かつて これほどまでに 素晴らしい元首を
迎えたことはない 大日本帝国
阿部のシンちゃんは 本当に 美しい国を 築こうとしている!
低能で 国民総白痴化を謀る マスコミは
この元首を 無能扱いして はばからないが
どうして どうして これほどまでに 自虐的なキャラは 史上初であろう!
シンちゃんの 選択した閣僚が
何故に ここまで 糾弾されるのか・・・
それは 美しい国のためなのである!
「政治と金」
実際は ここまで ドロドロなんだぜ! と言わんばかりに
あえて クロばかりを 閣僚に据えて 国民に曝してくれる!
自身の 国民からの 表面的な人気を 捨ててまでも
現実の 政治屋の 現状を暴き
本当の 美しい国へ ゆるやかに 誘おうとしている元首なのである!
なので いくら 閣僚を変えても
まだまだ これからも 出るわ出るわ・・・
これは シンちゃんの 憎い演出の なせる業なのである!
がしかし シンちゃんの英断に
水をさすようで 申し訳ないのだが
あえて言っておこう
美しい国では 人間は苦しいだけなのだよ と
「水至清即無魚」
叩いても 叩いても ホコリのヒトツも出ない人が
まるで 素晴らしい人格者のように 勘違いされやすいが・・・
芸術家でも 運動選手でも 政治屋でも
大切なのは 「清廉潔白」などという 化粧などではなく
その実力や 能力なのである
なもんで 「英雄 色を好む」ではないが
多少 胡散臭くても
政治屋としての 本当の実力者が 望まれるべきなのである
「美しさ=クリーン」ではない
まあ 宇野元総理みたいのも カッチョ悪いが
ヤンチャでも 実力者に実行力を与えなければ 本当の美しさはありえない
って 酔っ払ってると こうも支離滅裂になるとは・・・
まあ いいか
阿部内閣の 清浄作用を ワクワクしながら 台風をやり過ごそう
07. 09. 05
ギリギリっす!
アイソーポスの創った物語 「アリとキリギリス」
しかし その原作は 「アリとセミ」だったそうなんですが
いつしか 登場人物が 改ざんされてしまった・・・
夏に歌っていて 働きずくめのアリを 嘲笑していたんだから
キリギリスより セミの方が しっくりきそうなものだが
まあ セミはというと 冬が来る前に ポックリ逝っちまうからな・・・
おかげで 今となっては
「遊び人」の代名詞となってしまった キリギリス
この場を借りて この公文書改ざん問題に 一言どうぞ!
『ギ ギリギリっす!』
ちなみに 「伊曾保」 こと 「イソップ」って
紀元前6世紀頃の 人物なんだそうです・・・
てっきり 中世時代あたりの人だと 勝手に信じてましたわ・・・ トホホ
07. 09. 04
狂おしく美しく ③
ソウルで 日本人のフォルテピアノと
韓国のヴァイオリニストが
コンサートをやった時のことだ
ピアノと ヴァイオリンの 音量のバランスがとれなかった
ピアノの音が 大きすぎるので
短い突上げ棒で フタを小さく 開けてみたが 響きが美しくなく
結局 フタを 外してしまった
が 今度は 音が散り過ぎて ピアノの音量が 小さくなってしまう
で 試しに 調律を変えてみた
オクターブを かなり広めにし ユニゾンを かなり膨らませる
そして これだけなのだが 響きのバランスが 見事に整った
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代のピアノは 弦の特性と 平均律という音律によって
オクターブを広げることによって より美しく響く
しかし チェンバロや フォルテピアノでは
このデフォルメされた調律は 美しくならない
なもんで フォルテピアノへの この調律変更の作戦は
結構 勇気がいる
が ホールの響きなどを考慮した時 なんとかなる と想定できた
ハッキリ言えば このデフォルメ調律は 狂わせているのだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
重ねた年月に 比例して 技術が向上すればいいのだけれど
なかなか どうして 今でも 大失態を曝している
悔しくて 恥ずかしくて だからこそ この仕事は 楽しい
武久源造の言葉を 拝借すると
演奏という動詞は 英語では 「PLAY」
スポーツや ゲームと同じ 動詞
プレイ というと 「楽しむ」 というイメージが強いが
その楽しさには 愉快さだけでなく 苦しみも 辛さも含まれている
だからこそ 楽しめる領域がある
多くの調律屋にとって 調律するという動詞は 「TUNE」ではなく
プレイ チューニング だと思う
それぞれ 悪戦苦闘して そうやって 音楽へ貢献しようと努めている
いつの日か 演奏中に狂ってきても
美しい響きの調律が できるようになりたい
そのためにも キッチリ 調律していきたい
さ 明日も がんばりますか
(完)
07. 09. 03
狂おしく美しく ②
調律師の 研修会で こんな場面を経験したことがある
2台のピアノが 準備されており
1台は 地元の有志が 前日から調律してあり
もう1台は その日の講師が 本番前に 慌しく 調律させられる
同業者に さらされながら 調律をするというのは
別に ナニが違う訳でもなく ナニか特別なことをするのでも無いけれど
いつもと違う 不思議な緊張感に包まれる
その講師も 汗をかきかき 短い時間の中で
ざざーっと 調律を終わらせ コンサートが始まった
ピアニスト というよりは フォルティストと呼びたくなる 演奏者は
ちょっと 下品なタッチで 自分の音楽をピアノに要求している
ピアノの音を出すのでなく 自分の音を 無理やり 叩き出そうと奮闘する
しばらくすると 可哀想な 2台のピアノは
調律が ヘロヘロとしてきて やがて ウワンウワンになる
そして その時 二人の調律師の違いが 如実に現れた
地元の有志が 調律したピアノは ただ 狂っていき
講師の調律したピアノは 狂ってなお 美しいのである
もっと 正確に表現するなら 調律したての時より
美しく感じてしまう 響きに 変化していて
これが 実に音楽的で 目から でなく 耳からウロコが ポロリ
(続く)
07. 09. 02
狂おしく美しく ①
初めて 調律するピアノ
それは メーカーでも 機種でもなく
ただ 初めて出会うピアノ
遠方から 引っ越してきて 依頼されるピアノだったり
長年 調律をしていなくて 依頼されるピアノだったり
それまでの 調律師が 亡くなられて 依頼されるピアノだったり
初めてのピアノは たいてい 初めて会う お客さん
ぎこちない 緊張感を 短時間で暖めて
挨拶が終わったら ピアノと御対面
鍵盤蓋を開けて まず 音を出す
立ったまま ペダルや タッチのレスポンスも 確認する
最初に弾くのは たいてい Gの分散和音
時々 ごく稀に この狂った状態の ピアノの響きに感動することがある
ピアノという 楽器にではなく
最後にやった 調律師の 技術に感嘆する
天屋根を開けて パネルの内側にある
調律作業カードを取り出してみれば 知らない名前の技術者
最後に調律をやった日から これだけの時間が流れているのに・・・
いい仕事をしている 調律師の後を任されるのは
最初 こんな仕事 自分には出来ない と ややプレッシャーを感じて
でも やがて よっしゃ 頑張らせてもらいます と やや張り切る
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世の中には たくさんの 調律師がいて
有名な人もいれば そうでない人もいて
でも こうして ひっそりと 黙々と 良い仕事を重ねている
調律が狂ってる時 調律師の もうひとつの技術が 露呈される
それは 狂っても 美しい響きがする
それは そのピアノと 十分な信頼関係を築けている証
(続く)