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07. 08. 21

ネクタイをしめて ②

10年前の 6月のことだった 
杣は 川越のオーディオショップの ショールムで
チンチロ チンチロ チンチロリンと チェンバロの調律をしていた


それが リハーサル前だったのか 本番前だったのか
正確に 記憶していないのだが
ショールームの電話が鳴り 受話器は店主から チェンバリストへ手渡された


チンチロ チンチロ チンチロリン


杣は 調律をしながら 電話をしているチェンバリストを 眺めていた
会話の内容までは 分かるはずもないのだが
チェンバリストの表情の変化から 重たい予感を受け取った


それでも 彼は 何事もなかったかのように コンサートを成功させ
彼のファンが 楽しみにしていた 終演後の打ち上げにも参加し
周囲を楽しませ ひとときの空間を 充実させてみせた


全てが終わり 楽器を積んで 杣は 彼を自宅まで送った
そして その時 初めて 電話の真相を知った
彼の 幼い 最愛の息子が 夭折した


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


彼の通う教会で 御子息の お別れの儀が 行われることになった


杣は 慌てて 紳士服の専門店に駆け込み
当時の体型に合わせて 喪服をあつらえた
正装というのが こんなに重量があるのかと 驚いたことを記憶している


6月の 台風だったか 嵐だったか ドシャ降りだった空が
前夜式の時間が 近づくにつれ 雨がやみ
オレンジ色の黄昏に 変化していったのが とてつもなく劇的だった


翌日は 快晴の中 告別式が行われた


献花する人々 そして 彼の妻の 涙が 教会に響いていた
彼の友人の チェンバロ製作家が 献花の際 彼の手をとり
何事かささやいた 


そして それまで 耐えていた彼も 泣き崩れた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


コンサートの仕事で 彼の家に 製作家と共に
チェンバロを 取りに行くとき 
彼の息子は あどけなく 笑っていた


しかし 彼が いよいよ 家を出る時になると
彼の息子は 突然 大声で泣き出し 彼を引き止めた
いつだって 出がけに 泣き出し 彼は苦笑していた


その幼子は パパを愛していた 


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


告別式の最後に 彼は 教会のオルガンを弾いた


それが 誰かの作品だったのか
それとも 彼の即興だったのか
記憶は 定かではない が


その演奏に 杣も ついに 嗚咽をもらした


神は 愛する ひとり子 キリストを
人類の贖罪のために 地上に 遣わされたという
それなのに キリストは ゴルゴタの丘で 人類によって 命を奪われる


神は その悲しみを知っている 知っているのに何故
彼から これ以上 何を奪おうと考えているのか
やりばの無い悲しみを 怒りに転嫁しかけた矢先のことだった


その オルガンの響きは
それ以上 悲しみの崖を 墜ちていきそうな 幾つもの魂を
力強く 救って 「しっかりしろ!」 と 叱咤してくれた


誰よりも 辛く 苦しいはずの 彼なのに
その彼の演奏が 
誰よりも 勇敢に 力を与えてくれた


だからこそ だからこそ 杣は 嗚咽してしまった


あの日の 演奏以上の 音楽を 杣は まだ知らない


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ゴルゴタの丘の上で キリストが 息を引き取った時
空は 闇に包まれ 地震が起こり 
天幕が 真っ二つに 裂かれたという


そうした記述を 信じたことは無い


だが あの演奏に宿っていた エネルギーは
人間を 超越していて
陳腐な表現しかできないが 「神」を感じるものだった


あれから 十年が過ぎた
あの頃 重たかった喪服は 今でも 重たい


自分の顔が映るほど 暗くなった 電車の窓を
ボンヤリと眺めながら あの日の奇跡を 思い出していた
イヤホンから流れてきたのは 計らずも
ジャーニーの セパレート・ウェーズ

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Comments

まるでドラマのようなお話しですね。
プロフェッショナルって、そういうことなのでしょうか。
「セパレート・ウェーズ」のせつないメロディーラインが浮かんできました。

Posted by: ichigokko | 07. 08. 22 at 오전 3:48

To ichigokko
おぉぉ ジャーニーを御存知なのですな?
杣の聞く音楽は バッハから 銀色夏生まで
雑食過ぎて・・・
この話の中の チェンバリストは
今でも 大活躍している方なんです
杣なんかが 想像できないくらい 静かに努力されていて
困難を 乗り越える度に 深くなっていく人です 

Posted by: 某閑人 | 07. 08. 22 at 오전 5:38

昨夜ココに偵察にきたときには
なにやら言葉にできない
衝撃をうけたです。。。

とても澄んでいるけれど
どこまでも深くて 底がまったく見えない
秘境の地にひっそりとある湖のような。

そんな心の情景を思いうかべたです。


Posted by: fuefuki_rose | 07. 08. 22 at 오후 8:26

「もうあんなことは経験したくないけど、しかし、過酷な人生は始まったばかりという気がするねえ」
「でも、君は、ある時期までは確かに深くなってたけど、今は違うんじゃないの?」
「うん、海底まで行っちゃったから、今は空に上がって…」
「でも、どっちにしても、たいした距離じゃないんじゃないの?」
「うん、地球は小さいからねえ」
「地球が小さいというよりも、…」
「心が小さい」
「心が小さいというよりも」
「窓が小さい」
「でも、小さい窓から大きな景色?」
「4畳半で望遠鏡」
「風呂場の宇宙観測」
「でも、あの音は忘れられない」
「何だって忘れられるよ」
「思い出そうとしても忘れられない物はあるよ」
「うん、
忘れようとしても思い出せない物もあるからなあ」

Posted by: あらあー! | 07. 08. 25 at 오전 8:04

To fuefuki_rose
偵察 御苦労様であります!
というか プレッシャーかけられて
本来の ドアホなネタが 書けない・・・
いやいや ここはやっぱり
批難ゴウゴウでも やっちゃおっかなー!
このオルガン演奏の記憶は
たぶん 一生忘れられなくて
でも いつまでたっても うまく表現できないんです・・・


To あらあー!
先日 ふいご屋こと Mr石井から
この時の 曲目を 教えてもらいました
ベームの 「いかに はかなき いかに 虚しき」
だったそうですね
そっかー そうだったんだ・・・
海の底でも 空の奥でも よいので
いつまでも 天才でありますように!
「忘れようとしても 思い出せない物」
自分は 血液型が それに相当しております・・・

Posted by: 某閑人 | 07. 08. 25 at 오전 8:22

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