たそがれ
白み始めた 朝
車は 東京インターを過ぎ
長かった 徹夜のドライブが ようやく終わろうとしていた
ハンドルを握っていた杣は
この 明るさと 暗さが 混然としている時間帯の 照度に
ムチャクチャ 弱い
車の ヘッドライトは 点けたままなのだが
空だけは ぼんやりと 明るくなりはじめて
瞳孔が 空と 道と どちらにも 合わなくなってくる
そんなコトを ブツブツと 一人ごちていると
同乗していた 演奏家が ポソっと 教えてくれた
「この 白み始めた時間を カハタレ時 といい
夕方の 暗くなり始める時間を タソガレ時 といい
どちらも 彼は誰(カハタレ) 誰そ彼(タソガレ) 同じ字なんだよ 」
そう 誰かいることは 分かっているのだけれど
微妙な暗さで そいつが 誰だかは 分からない照度の 時間帯
昔の人は 素敵な日本語を 使っていたと思う
そして それを教えてくれた 演奏家は 盲目だった
車を運転していなければ 照度のグラデーションが
最も 鮮やかに変化していく 美しい時間帯
ネコの黒目も まんまるに 変化していく時間帯
生きていると 時々 こんな時間帯のような時期を 通過する
彼は誰? 誰そ彼?
夢や 恋や 目標に向かって 進行している日々の中で
なんだか 見えているのに 鮮明には 把握できない実態
それが 人だったり 事象だったり タイミングであったり・・・
思わず 心の瞳を 細めてみたり 広げてみたりするのだけれど
自分の能力と 状況の照度との ギャップによって
しばらく ボンヤリとしか 把握できない ジレったい時期
でも やっぱり そんな時期は 美しいと思う
車の速度で 安全のタメに 最大限に視力を駆使する時には
辛いだけの照度なのだけれど ・・・歩いていれば
そう 歩く ・・・自分の等身大の速度で 生きていれば
彼は誰か 太陽の昇降に合わせて 分かってくる
そして その緩慢で 曖昧で 幻想的な空と大地は 美しい
最近は というか 現代は みんな 高速道路を走っているみたい
周りの速度に 合わせなければいけないコトも あるけれど
たそがれ時には 自分の歩く速度で 眺めていたい
生きていく中で 時々 訪れる たそがれ時には
サービスエリアにでも 立ち寄って
背伸びして 深呼吸して 彼が誰なのか のんびりと眺めてやろう
どうせ 朝は来て 夜もくる
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Comments
”たそがれ”の漢字を生まれて初めて
知りました・・・”かはたれ”に関しては
言葉すら知らなかったです(^^;)
”彼は誰? 誰そ彼?” 素敵な日本語、
教えてくださってありがとうゴザイマス♪
(@@)の笛吹きでした
Posted by: fuefuki_rose | 07. 08. 13 PM 10:29
To fuefuki_rose
自分も この日本語の由来と 漢字を知った時
同じように 感動しました
なので 長時間の疲れもふっとんで
最後まで集中して 運転できたことを 覚えてます
さりげなくて なにげない 粋と美を持った言語
たくさん 使っていきたいですよね
Posted by: 某閑人 | 07. 08. 15 AM 9:59