古典音律を扱った 書物の多くは
たいてい 平均律を 悪の枢軸 呼ばわりして
純正な音程を 美化するニュアンスが 含まれています
これには いろいろな意見があって 当然と思います
しかし 数学上の音律は
実際の 現場の音楽では 別のモノになってしまいます
タルトタタンは リンゴを使いますが
同じレシピで 同じ調理法をしても
紅玉と ジョナゴールドでは 違うモノになってしまいます
肉じゃがでも 同様で
男爵を使うか メークイーンを使うかで 結果は異なり
どちらが オイシイか 見極めて使用されていると思います
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音律というのは あくまで 設計図に過ぎません
実際には 「調律」という作業によって
音楽の中で 使用されていきます
ドイツでも アメリカでも
同じ図面で スタインウェイピアノは 作られていますが
両者は 全く別の個性をもっています
同じ楽譜を見て ゴールドベルク変奏曲を弾いても
グールドと 鈴木では
全く違う 音楽が紡がれます
音律は こうした 楽譜と同じように
あくまでも 設計図でしかないのです
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実際に 様々な楽器を
いろいろな音律で 調律してみますと
既成の古典音律賛美論の 大きな欠落部分を 発見できます
それは 楽器の音色です
結論から 言ってしまえば
チェンバロには 平均律が 全く似合わないし
ピアノに 純正音程のある 古典音律は 似合わないのです
音律は 楽器の持っている可能性を
一番引き出すものが 選択されるとき
最も 自然体で 美しく 鳴ってくれます
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もうひとつ
実際の調律において
チェンバロ オルガン ピアノでは
オクターブの幅が 異なってます
現代のピアノですら
家庭用の 背の低い アップライトと
コンサート用のグランドでは 平均律の うなりからして 異なってます
そして 同じピアノであっても
調律屋が 異なれば
調律の結果は 異なってしまうものなのです
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更に もうひとつ
アメリカ人に 日本の代表的な料理を 聞くと
スシ だの テンプラ だの スキヤキ
と 答えるかも知れません
しかし 実際 我々が 毎日の食卓で口にしているのは
納豆やら 味噌汁やら 漬物 そして ゴハン であって
日本でありながら パスタも ラーメンも 食べています
そう 代表的な イメージと
日々の カジュアルなものとでは
少なからず ギャップがあるものです
18世紀の 西洋音楽というと
コンサートで聴ける 教会音楽や 宮廷音楽だけでなく
庶民の 楽譜に残っていない 無数の音楽が あったのです
同じコトが 音律にも あてはまり
現在 残されている 名前のついた音律だけでなく
カジュアルな 無名の音律の上で 音楽が響いていたと思われます
そして そうした カジュアルな音律は
昔の調律の手順や 傾向を 実際に調律していく時
おぼろげながら 見えてくるような気がしています
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一般的には 純正の ウナラない音程は 「キレイ」で
ウナる音程は 「キタナイ」と 語られています
そうすると ビブラートは 汚いのでしょうか?
鍵盤楽器は 音の自由を 剥奪することによって
逆に ウナリ という 新しい個性を 手に入れたように思います
その ウナリを 排除するだけの考え方でなく
逆に そのペナルティを 生かすことが
調律屋の 大きな課題であり 可能性の領域だと思えてなりません
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なーんて 熱く語っちゃうと
自分の仕事に 余計なプレッシャーを かけちゃうので
まあ こんなトコに しておきましょう!
調律って 楽器のために
そして 最後は 音楽のために あるので
その為に これからも精進して参りまする!
で ちょっと長すぎる 連載の最後に
古典音律を 耳で試したい人のために
音符で 調律できるようにした表を 掲載しておきます!
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ミーントーン

ヴェルクマイスター

キルンベルガー

ヤング
