06. 11. 30
06. 11. 29
ミッションC: 炸裂するバロック
代々木 ハクジュホール
パヴィメント ジャパン による演奏でした!
ヴィオラ協奏曲というものを
初めて 聞かせていただきやした!
以上 現場から 某閑人が お伝えしました!
06. 11. 28
北海道
たまには ブログらしい 記事を書こうと思う
それは つまり タイムリーな
日記のような シナモンのような・・・
函館の位置を 初めて知った・・・
北海道の どこに どんな都市があるか
この年まで 知らなかったのだが
どうやら 函館は 青森に やたら近い
新潟から フェリーに乗って
札幌までは 行ったことがあるのだが
サッポロと ニッポリの 区別も よく分からない時代の話だ
そうか 函館は 近いんだなー
というか 北海道は 広いんだなー
まあ これくらい 寒くて 広い領土なら
北方領土の ひとつくらい
ロシアに分けてやっても いいかも・・・
なんて 非国民な 発想をしたりする
スズキムネオが聞いたら
激怒しそうな 発言なんだろうな・・・
しかし 2月の函館か・・・
凍死しないように しなければ
クラーク博士の亡霊とか 見ちまいそうだ・・・
てな訳で 久しぶりの タイムリーな記事だが
この冬は 冬眠もせずに がんばりますぜ!
インベンション と シンフォニア
楽しみです!
夏の誤算
今更だが・・・
今年の夏も 一度も 冷房を入れるコトが無かった
冷房どころか 扇風機すら つけなかった つけられなかった
・・・アジトが 散らかり過ぎていて ホコリが舞うので つけられなかったのだ
その ハルマゲドン的な 散らかりようは
秋になっても そして ついに冬が到来した 現在でも
荒廃したままである・・・
(まだ 9月の韓国出張の スーツケースすら 放置されたままである・・・)
その結果 今だに 暖房を入れられない・・・
しかし 埼玉といえども 寒い・・・
こんな時 冬眠できる動物が ちと 羨ましい・・・
で 仕方なく アジトの中でも ダウンジャケットを着ている
気分は まるで ロボコンである
ロビンちゃんが いないのが 甚だ残念である
黒いロボコンになっても 頭だけは まだ夏である
正確に言えば 頭皮だけが インディアンサマーなのだ!
これは 大いなる誤算だった・・・
夏に買った 爽快なシャンプーが まだ残っているのだ!
確かに 夏は爽快で 秋も忍耐してきた
が もう冬なのに シーブリーズは きつい
ドライヤーの熱風すら シベリアを感じさせるではないか!
そんな訳で 室内でも 帽子をかぶっている・・・
06. 11. 27
06. 11. 26
ミッションC シャガールの苦笑
大船 玉縄和田ホール
オーボエ&リコーダー 江崎浩司
チェンバロ 長久真実子
ヴィオラ・ダ・ガンバ 頼田麗
曲間に 冴え渡る 江崎のギャグに
長久は ニヒルな冷笑を たたえる
その 温度差が また とても魅力的である
・・・・・・
ひとつ間違えば お祭り騒ぎになりそうなくらい
ユニークな コンサートを しっかり抑制していたのは
確かな演奏技術と 高い音楽力だったと思う
正統なバロック音楽から
江崎の編曲による ジャズまで
時代と ジャンルを 大きく堪能する演目だった
アンコールでは 3人がギャングに扮するため
サングラスをかける場面も あったが
聴衆の自然体な爆笑が もうひとつの拍手のようだった
しかし ウケた!
これには 壁にかかっていた
大きなシャガールの絵も
苦笑していたに違いない
気のせいか いつもより 青ざめて見えた
06. 11. 25
06. 11. 24
ミッションC ハーモニー誕生
目白 東京カテドラル聖マリア大聖堂
早稲田大学・日本女子大学室内合唱団
第47回 定期演奏会
ヨーロッパ音楽の ハーモニーへの固執
それは 石の文化による ・・・と よく言われている
「なるほど」 と思えたコンサートだった
大聖堂の残響時間は 5秒くらいある
その モアモアしてしまいそうな中で
幾つかの声部を 同時に出す時・・・
美しいハーモニーを 織り成した時
それは 長い残響によって より 効果的になる
クーナウの アカペラで 合唱団は それを教えてくれた
しかし 寒い会場だった
通常 コンサートホールの ステージでは
照明などによって 25度以上になってしまう
しかし 暖房をつけない大聖堂では 16度
ふと 10年くらい前に行った ヨーロッパを思い出した
あの時も 寒い11月だったと思う
ドイツのライプチッヒでは プロテスタントの教会で
そして 南下して イタリアのミラノでは カトリックの聖堂で
コンサートや ミサを聴いていた
会場の響き 言葉の響き ステンドグラスからの光
そして あのヒンヤリとした空気の中で
人々の背中や 横顔に現れた 敬虔な信仰心・・・
宗教というのは 個の集合 というより
集団によって 維持されている個 なのでは・・・
なーんてコトを 考えたりしたっけ・・・
06. 11. 23
ラッキーヱビス
浜松で ピアノを作っていた頃
杣は 市営の 浜松勤労青少年寮
という 規律の厳しい寮に ぶち込まれていた
まあ 当時の寮の話は
それだけで ひとつのカテゴリーができるくらい
豊富なネタがあるので・・・
ま その寮での 酒の話である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時 スーパードライなる ビールが
一世を風靡し始めていた
当然 寮内の 馬鹿者 若者達の食指も 動かされた
杣も 馳走に与った・・・
「ウーム こりゃ ビールの水割りズラ」 (←覚えたての遠州弁)
『何言うてげすか 杣さん これが これからのビールのスタンダードだら!』
「いや ビールとは こういう味ズラ!」
そうして 自室から オモムロに取り出したのが
ヱビスビールだった
寮生達は 一瞬 沈黙し 次の瞬間 大爆笑しやがった
『ヱビスって・・・ それ オヤジビールだよ! ガッハッハッ!』
あの時の 屈辱感は いまだに忘れていない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて あれから 数年を経て
モルツだの 麦芽100%だの ヱビス系のビールが発売された!
やっと この国民も ビールの味が分かってきたかと 安堵したものだ
で ここまでが 前置きである
十代から ヱビス真理教信者として
熱心に 高い お布施を 献納してきたのに
ヱビス総本山が オチャメなことを しやがった!
ゼリーだそうです・・・
このショックは 教祖が 地下鉄にサソリを撒いたり
今平党という 政党を立ち上げるくらいの 背信行為である!
おまけに 製造は たらみ である・・・
( くったトンム ヱビスって サッポロビールなんですか? )
( 余談ですが 1887年創業って・・・
ヤマハトラクスが 初めてオルガンに出会った年だ・・・ )
あ そうそう ラッキーヱビスって知ってる?
左の エビスさんが 鯛を 2匹持ってるやつ
(上の画像は どこぞのHPから パクりました)
こういう 粋な教団だったのに・・・
せめて ヱビスビール・プリンにして欲しかったじょ・・・
06. 11. 22
あれから 7年
ノストラダムスの大予言 やら グランドクロスやら
あの夏に添えられた 形容なんて
今や もう 死語になってしまったかも知れない
・・・・・・・・・・・
1999年 11月22日
杣は 代々木の小さなホールで
コンサートの仕事をしていた
自衛隊の飛行機が 所沢で墜落し
広範囲で停電がおきて
そんな中 チェンバロの調律を チョロチョロやっていた・・・
当時 杣は作務衣を着て 雪駄を履いていた
その 雪駄の鼻緒が 突然 切れた
ウーム なにやら不吉だ・・・ と思った瞬間 杣の携帯が鳴った
「鍋島先生が 亡くなりました」
この 極東の 日本という小国で
チェンバロや 古楽というジャンルのパイオニアであった
鍋島元子が 永眠された・・・
その わずか3ヶ月前
鍋島元子は ドイツのミュールハウゼンという 小さな街で
癌を患いながらも 最後のリサイタルを 完遂した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1999年の8月
杣は 鍋島先生と共に ドイツにいた
鍋島先生は 生涯最後となるリサイタルを 自覚しての旅だった
いずれ その2週間の日々を
当時の日記帳と共に このブログで紹介したいと思っている
ただ 今でも 鮮明に覚えていることがある
鍋島先生が 亡くなった
その訃報を聞いた時 驚きや 悲しみより
「先生 本当に お疲れ様でした どうぞ安らかにお休み下さい」
心から そんな和らかな気持ちで 先生を 偲んだ記憶だ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鼻緒が切れた 杣の雪駄は
鍋島先生の 最後のリサイタルで 調律をしていた時
ミュールハウゼンで 履いていたものだった・・・
あれから 7年が経つ
鍋島先生
たくさんのコト ありがとうございました
そして たくさんのコト すいませんでした
自分は 相変わらずであります
恥ずかしいくらい 相変わらずで
ありがたいくらい 相変わらずであります
今日は 大聖堂で リハーサルをしています
先生なら 苦笑されるような
拙い楽器ですが・・・ 聴いていただけますか!
「あの夏の415」
あまりに高すぎる融点が
いまだに 記憶の中で 結晶にならない追憶
そして 1秒1秒 生き続けるということで
確実に近づいていく それぞれの終焉
「神が与えし 唯一の平等 それは 死」
06. 11. 21
06. 11. 20
06. 11. 19
ミッションC 雨でもハレルヤ!
三島 三島市民文化会館
東駿河混声合唱団による メサイヤ
小泉ひろし がタクトを振り
東駿河ハレルヤコンソート が演奏した
合唱団が オーケストラや指揮者を招聘し
大きな曲のコンサートを 催すスタイル
しばしば こうしたスタイルのコンサートに 遭遇することがある
普段 合唱団には 専属の指導者がいて
その指揮者の下で 練習を 積み重ねている
そして コンサートのゲネプロや 本番で
招聘した 総合指揮者に タクトを委ねることになる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東駿河混声合唱団の 専属指揮者は 芹澤卓弥
小泉に指揮を委ねて リハーサルが開始されると
芹澤は 客席の中央で 合唱団のサウンドを
一音たりとも 聴き漏らすまいと 熱心に耳を傾け 集中している
やがて リハが終了すると
「とても よく出来てました! 明日の本番は その調子で!」
と 合唱団の不安や緊張をほぐし 戦意を高めるべく 励ます!
そう とても 一体感のある合唱団であった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本番当日 午前中のゲネ
芹澤は また 客席で 熱心に 耳を傾けている
長い年月をかけて 育て上げ
この大きな舞台で
芹澤は 歌うことこそないが 共に音楽に加わっている
そして 本番
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3時間近くの メサイヤ全曲コンサートの
最後のアーメンが 歌い上げられた後
舞台袖で 杣は 思わずウルウルしてしまった・・・
技術だけでは 人を感心させることはできても
感動させるには 人間の魂が 不可欠のような気がする
75名の合唱団 そして オケや指揮者
更に 陰ながら 共演していた スタッフ達や 芹澤などの
たくさんの魂が ひとつになっていた!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
演奏を終えて 舞台から戻ってくる 合唱団の面々
そして 感謝と労いを伝えた時の 芹澤の笑顔は
とても すがすがしかった!
あいにくの雨であったが
集った人々の心は 晴れるや!
そんな気分で 東名高速道路を 東へ向かった
06. 11. 18
06. 11. 17
FF23 ギャップスペーサー取付
ベリーレールと ピン板の間のギャップ(隙間)に
つっかえ棒のような スペーサーを 取り付ける
このスペーサーは
張力による 楽器の変形を とどめる役割と
ジャックガイドレールを乗せる 役割がある
現代のピアノでは 20トン前後の
張力(弦が引っ張る力)が 内在しているが
チェンバロは 多くても1トンくらいの力が かかる
今回の楽器は 4フィートが無く
2列の レジスターなので
恐らく 推定700キロくらいの力に 耐えなければいけない
仮想弦を張り ジャックに ぶつからない位置を
正確に出して 取り付けていく
いつもは 鉄のスペーサーを 製作して 取り付けるのだが
今回は アルミの素材で製作し 6箇所も 取り付けた
理由は・・・ レジスター加工の時に 説明できると思う
↑ 上から見た ギャップスペーサー
高さと 角度 左右の位置は 何度も調整する
やがて 弦を張ると その張力で より強固に固定される
しかーし 油断は禁物である!
たまに手伝いに来てくれる後輩は
見えないところに 落書きをしやがる・・・
ナンなんだ この幼児のような絵は・・・
06. 11. 16
06. 11. 15
06. 11. 14
本日ハ整体ナリ (アフター)
今 もの凄く 後悔している・・・
いや ナニ 整体に行ったコトでなく
もっと 早く 整体に行かなかったコトを である!
この 自然良能社では
ギックリ腰になったら
「赤飯を炊いて お祝いしなさい!」と のたまう!
なんでも 腰の 仙腸間接なるものが
通常の生活の中で 少しずつ ズレてきていて
そのバランスをとるべく 骨格が歪んでしまうのだという
んなモンで 腰痛や 肩こりは あたりまえ
頭痛やら 耳鳴り 視力低下まで
この仙腸骨のズレを治すことで 回復するという
でも 大きな痛みなどが 出ない限り
整体なんぞに 行かないものだから
ギックリ腰なんぞすれば それが ズレを治す 良い機会になるというのだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
まあ ノウガキは どうでもよい
でもって 早速 その骨盤矯正やらをして
指圧をしてもらったら・・・
ハッキリ言って
腰痛の カケラも 残ってません
痛みをこらえていた この2週間が アホのようです
ま しばらくは ゴムバンドを腰に巻き
グルン グルンと 腰を回す リハビリをしながら
通院するつもりですが・・・
でも これなら
今週から フットサルにも 復帰できます
筋トレ再開も 可能です!
あらためて 「早く整体に行け!」と
御見舞いをくださった
大塚直哉 桐山建志 両氏に 激感謝です!
06. 11. 13
本日ハ整体ナリ (ビフォアー)
ナントいう 晴天!
まるで 世界中の青空を 集めたかのような (←古い)
たおやかな 日本晴れ!
そして 今日は 完全に オフ!
こんな日は 丸一日 工房にこもって
チマチマした作業に 精を出そうかと 思っていたんですが・・・
しかーし
先日の 大塚・桐山 両氏との契りを 果たすべく
ナント 整体が為に 上京しなければ いけないのであります・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杣は 病院が 大嫌いである!
それは 生まれた瞬間から 大泣きしていたというから
よっぽど 先天的に 病院が大嫌いであることは 間違いない!
それでも 年に数度は
持病の ゼンソクの薬を もらいに
病院に 行かなければいけない・・・
病院の待合室となると 爺と婆が 溢れかえっている!
まるで 老人ホームか 養老会合かと 錯覚するくらい
爺婆が 和気藹々と 盛り上がっている
これらの 老人達は 毎日 仲良く通院しているらしい・・・
ボケてるハズなのに お互いの名前と病名だけは しっかり覚えていやがる!
爺 「おや 今日はオトメさんが おらんが どこぞ具合でも悪くなったのかのう?」
杣 (・・・あのなぁ ここは病院なんだぜ じいさん!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先天的嫌病院症候群の 杣であるが
後天的要因も 数えれば キリがないほど はびこっている!
まず 血が ダメなのである
草食動物は 基本的に 白黒にしか見えないというので
あの 鮮血の色が 分からなくなるために
必死に ベジタリアンを志したコトもあった・・・ が いまだに天然色である
そして 注射が ダメなのである
アルコールを含めた 各種薬物依存症の 心のモロイ杣が
いまだに 覚醒剤に 手を染めあぐねているのは
ただ 注射が 苦手というだけの 簡単な理由なのである
更に あの病院内の 響が ダメなのである
病院は どこでも 同じ反射音がする
足音 アナウンス 人々の声
それらが 高い倍音を伴った 独特の音質と残響が耳に飛び込む
もっと言えば 配色 ニオイ 待機時間 人々の表情・・・
五感全てに 耐え難い不快感を つきつけてくる!
これでは 病気になりたきゃ 病院に行け ってなくらいの拷問である!
病院では 最後の最後まで すごいオチがついてくる
会計の時 アナウンスで 名前を 呼ばれる
それも 御丁寧に フルネームを 繰り返して下さるのである!
杣の名前が 呼ばれた瞬間 待合室の顔は 一斉に上がる
その中を おもむろに 立ち上がらなければいけない あの屈辱感・・・
ハッキリ言っておくが 本名は 「ナニガシ・カンジン」より タチが悪い・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おおお だんだん 憂鬱になってきた
整体は 注射も 血も ニオイも 平気だろうが
痛いんだろーなー きっと・・・
ギックリ腰になったコトを 後悔するより
ギックリ腰になったコトを公表してしまったコトを
今は すこぶる 後悔しているのである・・・
世界中の 嘲笑を集めたかのような 青空に見えてきた・・・
06. 11. 12
06. 11. 11
06. 11. 10
06. 11. 09
06. 11. 08
06. 11. 07
ミッションC バッハの耳を探る二人
上野 東京文化会館
桐山建志 と 大塚直哉 による
バッハの ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 全曲 コンサート
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「12年ほど前 大学内の小さな部屋で
このバッハの ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 全6曲を演奏したのが
われわれ二人の 最初の演奏会でした」
という出だしで 桐山は プログラムノートに
現在までの 二人の軌跡と バッハの作品について 回想する
そして この秋 5年の歳月をかけて
二人が完遂した 大きなプロジェクトが
カタチとなって 我々の前に 登場した
5回シリーズ 合計6枚の
「バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのための作品集」の
最後の 2枚組のアルバムが リリースされた!
このシリーズは 二人のアンサンブルは当然
それぞれの 独奏曲も 録音されている
シリーズ最後の 収録曲は シャコンヌ!
今も それを聞きながら この記事を書いている
ハッキリ言おう! ヘンボカダー! (幸せだ!)
二人は こうした ひとつの大きな仕事を 成し遂げた
・・・ と過去形ではなく
さらに また 新しい一歩を 再び踏み出した という印象の コンサートだった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて このシリーズの コンサートツアーは
以下の通り 各地でも開催する予定だそうだ
近隣の方々は 是非 参考にしてもらいたい!
12月6日 日本キリスト教団 草津教会 12:15開演
12月7日 日本キリスト教団 宇部緑橋教会 18:30開演
12月9日 長野県県民文化会館 中ホール 18:00開演
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「今日のカタジケナイ」
なんと 桐山 大塚 両氏から
ぎっくり腰の 御見舞いを ちょうだいしてしまった・・・
実は 腰を痛めて早々に
オススメの整体師を 紹介してもらっていたのだが
なんだ かんだで 病院にも 行っていなかったのだ
まさか 病院が ボンテギくらい嫌い などとは 口が裂けても言えない
で 相変わらず 類人猿のような 不器用な歩行で
大仰な コルセットをしている杣を みかねて 気遣ってくださり
「整体に行け!」と 背中を押してくれたのだ・・・
杣 了解致しました! 整体に 行かせていただきます!
長野コンサートまでには 完治することを ここに誓います!
ウルウル・・・ カタジケナイ! 感謝です!
・・・・・・・・・
でもって 終演後に ルリエと遭遇!
「杣さん 調律 お疲れさまでした!」
『あ いらしてたんですか・・・ 調律 お恥ずかしい・・・』
「そうね 4フィートが ちょっと 狂い過ぎてたわね!」
そうなのだ 調律の狂いが ひどかった!
こうして 面とむかって ダメ出しをしてくれることは
実は 調律屋にとって 感謝なのである!
トホホ・・・ カタジケナイ ますます 精進させていただきやす!
06. 11. 06
失楽園 ④
らくえんで 注文すると
てっちゃんが 「レバ刺し ワン 月見 ワン」と
厨房に向かって 叫ぶ
数だけ 何故か 英語になる
しかし 団体などが入って
いっぺんに たくさんの注文になると
「コブクロ ツー チーチク ツー 中生 ゴ」 となる
ワン と ツー は英語なのだが
5は ゴ となる
ファイブ とは 決して言わない
今となっては 3 と 4 が
英語だったのか 日本語だったのか
確認できないのが すごく 悔やまれる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「らくえん」に まつわるエピソードは
まだまだ たくさん ある
イヤな思いも たくさんしたし
充実した時間を 堪能することもできた
そうした 全てのコトが 楽園だった
でも 「らくえん」は 失くなった
杣にとって 最後の昭和が 失くなってしまった
(失楽園 完)
06. 11. 05
業務連絡 : 掲示板停止中!
どーでも いいことで 恐縮なのですが・・・
最近 掲示板に エッチな投稿が 激増しており
ちょっとだけ そっと こぅ なんていうか
そのリンク先に 行ってみようかなー とか 思っていたら・・・
指が 勝手に クリックしやがって・・・
パソコンが クラッシュしかけております・・・
自業自得なのですが・・・
せめて 素敵な画像の 1枚でも 見せてくれ
てな訳で 掲示板を とりあえず ぶっつぶし
フットサル記録の 蹴球日記を 疎開させました
疎開先は 体育の時間という ブログです
まあ 自分の記録みたいなもんなので
面白くもナンとも ありませんが 掲示板関係者には ミアネヨー!
そんでもって 腰が完治するまでは
フットサルにも いけないので
更新は 未定なんですわ ハイ
失楽園 ③
そんな中で いつの日か 一人の悪友が 誕生した
常連Tは 韓国に興味があって 「それなら キヤマさんに聞いてみなよ」と
マスターに 話題をふられてしまったのである
Tは 韓国スナックに通うことで 韓国人に目覚めた輩だった
「キヤマさん よかったら今から 一緒に行きませんか? 韓国スナックへ!」
ある夏の夜 唐突に そんなコトを のたまわったコトがある
『いやー もうジンロ1本飲んで ベロンベロンだし 金ないし・・・』
「そんなの大丈夫ですって! タクシー呼びますから!」
言うが早いか Tは 自宅に着替えに帰り タクシーを引き連れて 再登場した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
工房の作業のあと らくえんに来た 杣のカッコは
サンダル 短パン そして 汗臭ーい Tシャツのままである
Tは ビシっとした格好をし タクシーの中で ウキウキしていた
杣は スナックと キャバレーと バブ の区別もつかないくらい
そっちの世界は 疎い ・・・生まれて初めて スナックに行く
そんな胸の内を Tにボソリボソリと 打ち明けた
で 連れて行かれたスナックは カラオケがガンガンなり
キワドイ服を着た おねーちゃん達がいる 店だった
Tは 常連らしく 「シャチョーサン コンバンワ!」と 国賓級の歓迎を受けていた
杣は オドオドと 店内を見回し 圧倒されつつも
シートに身を沈め 成り行きを見守った
Tは 「こちらキヤマさん オレの友達 韓国語 しゃべれるんだぜー!」
オネーチャン達は 一斉にキャーだか 歓声を挙げてくれ
両隣に座ってくるのだが・・・ 韓国人の前で 話せるほどの 語学力など無い・・・
で なんとか 『ぁ ぁ アニョハセヨー』 と とりつくろってみた
と そのヘンまでの記憶は あるのだが
例の如く 泥酔状態でも 見た目は普通の杣は
意識のとんだ状態で チャミッスルを 数本飲み干したコトを 後日知ることになる
そんな 悪い友人は その後 夏になると
数回 韓国スナックへ 連れて行ってくれた・・・
でも もう「らくえん」は 無くなった
彼と会うことも 無いだろう・・・
(つづく)
06. 11. 04
ミッションC 優しい調べ
松戸 栗ヶ沢バプテスト教会
ソプラノの小林木綿 と チェンバロの鴨川華子 による コンサート
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鴨川は 曲と曲の間に 簡単なトークを挟み
聴衆の 音楽への食指を 刺激させてくれた
「外へ外へ と向かう音楽と 内へ内へ 向かう音楽」について言及し
クープランの パヴァーヌを 求心力豊かに 演奏していた
いろいろな バランスは 静と動に 分けられるような気がする
静のバランスというのは ヤジロベエのように
バランスが とれるコトによって 静止する
しかし 生けるモノは 動のバランスによって
運動し続けることで 生きていられると 思えるコトがある
それは 円運動のように 外へ向かう 「遠心力」と
中心へ向かう 「求心力」のようなモノかも 知れない
摂取と 排泄という 体の新陳代謝があるように
ココロには 感動と 表現という 新陳代謝があり
この 相対したベクトルが 運動し続けることにより 健やかでいられる・・・
二人の コンサートは そうした想像を 髣髴とさせる
ココロの運動を 加速させてくれる バランスの ひとときだった
鴨川は 「音楽は 喜びの友 悲しみの薬」と
チェンバロの屋根に書かれた 格言を 引用するが
訪れた聴衆は まさに それぞれの心の中で 薬か 友を 得たのではないだろうか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閑静な 住宅街の中に ひっそりと建つ この教会も
響といい 雰囲気といい 素晴らしかった
白樺と ケヤキが 見下ろす 中庭で
礼拝堂から もれる リハの 音楽を聴いていたら
ふと 遠い異国の 遠い時代に トリップした錯覚に 陥ってしまった・・・
失楽園 ②
杣は らくえんで 「キヤマさん」と 呼ばれていた
キープされるボトルに 初めて 「木山」 と書いて以来
らくえんファミリーが 勘違いして そう呼び始めたのだ
杣は らくえんで いつも カウンターの隅に座り
レバ刺し 月見 ナンコツ焼き をオーダーし
ジンロを グラスに ナミナミとついで 小説を読んでいた
いったい らくえんで 何百冊の本を 読んできただろう
周りの客からは 露骨に 「居酒屋で読書って クライ奴だねー」と 嫌味も言われたが
その都度 ゆっくりと顔を上げ 『チェーソンハムニダ ニホンゴ ムツカシイネ』と
カタコトの日本語と 韓国語で応え ニヤリとしてみせた
「なんだ 韓国人か」と 孤独な客への好奇心を 一瞬は失うのだが
杣の読んでいる本が 日本語であるのに気づき
いっそう 怪訝そうな 懐疑的な視線を向けてくる・・・
そんな 杣の無言のバリアにも 負けずに話しかけてくる 常連もいる
仕事や 年齢を ネホリハホリ詮索され
杣は 煩わしそうに 鷹揚に返答するのだが すぐに読書に戻る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
らくえんは 週末をのぞくと
いつも閑散としており
カウンターに 知った顔が チラホラという程度だった
「いいねー キヤマさんトコは 特殊職業だから もうかってしょうがないでしょ?」
マスターは 唐突に そんな話題を ふってきやがって
杣本人も 周りの 不景気そうな常連も 驚いていた
「キヤマさんとこはね 月収が150万もあるんだよ!ねっ そうでしょ?」
周りの ねたみのこもった視線に 耐えられなくなり
『150万ですが 円ではなくって ウォンなので・・・』
しかし そんな冗談が通じる 相手ではない
シカトして シカトして 時々 マスターの愚痴の相手になって
なんで 金払って 人の愚痴 聞かなきゃいけないんだ? と思うことも しばしばだった
(つづく)
06. 11. 03
失楽園 ①
杣のアジトから 歩いて1分
匍匐前進なら 8分23秒のトコロに
「らくえん」 という居酒屋が ある
らくえん には 3人の従業員がいる
マスターと オカミさんと その息子のテッチャン という
家族で経営している 居酒屋だった
マスターは 小柄で 笑顔が可愛く
高校まで野球を やっていた 野球キチガイで
店内のテレビでは 野球ばかり 放映されていた
オカミさんは マスターより ちょっと年上らしく
わがまま坊主のような マスターを 適度にあしらい
時々 ケンカをしながら まあ 仲良く やっていた
テッチャンは 学生時代 相撲をやっていたらしく
もう太ってはいないのだが 長身の
ちょっと 知的障害を患っているような 不思議な30代の男だった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
杣は フットサルや コンサートの仕事が無い時
足繁く らくえんに通い 立派な常連となっていた
らくえんでは 焼き鳥と 内臓の刺身が 自慢メニューで
ジンロも 置いてある
杣にとっては これ以上無い ありがたい店だったのである
行く度に ジンロを ストレートでグビグビ飲み
だいたい 1回で 1本を空にしてしまい
会計の際には 次回の 新しいジンロを ボトルキープしていた
どんなに 酔いつぶれてても 歩いて1分
這いつくばっても 8分23秒で 帰宅できるので
杣にとっては 文字通り 地上のらくえん だった
「だった」 と 過去形で 書かかなければいけないのは・・・
「らくえん」が つぶれてしまっていたのだ・・・
(つづく)
06. 11. 02
06. 11. 01
甘い拷問
杣ぐらいになると
バレンタインデーは もう 恐怖以外の
ナニモノでも無い!
恐らく キムタクの3倍
大塩平八郎の 247倍もの チョコレートが
アジトに 送りつけられる
そのうち 半分くらいが
男性からだったりするから・・・
嬉しいやら 哀しいやら・・・
4トントラック 数台が 運びこむ
天文学的なチョコレートを
全て食べることは 不可能である!
しかし そういう 杣のモテモテ事情を知っている輩は
写真のような 動くチョコレートを 贈ってくる
そう チョコが 勝手にチョコチョコ歩き出し 「アタシを タ・ベ・テ!」と囁く
だが これは 苦しい!
杣は ゾウと カメが 大好きなのだ!
いつか 宝くじが あたったら
ゾウを飼って チェンバロを運搬させよう とか
カメに乗って 竹島まで行こう とか 真剣に考えるくらい 好きなのだ!
だから・・・
こういうチョコは どこから 喰っていいのか・・・
つらい つらすぎる・・・
(余談)
そんな杣ですが 英語に めっぽう弱いので
ユニクロなんぞで 買い物をする時
「トータルネック ありますか?」 なーんて ホザイて 失笑されている・・・