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06. 05. 31

丈夫な肝臓

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焼酎は 箱で買います


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06. 05. 30

おめでとう レオナルド!

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チェンバロ界の現人神 グスタフ・レオンハルトが
今日 68歳になった
おめでとう! (知り合いじゃ ないんだけどね)


レオ様には 恥ずかしい思い出がある
あれは たぶん 99年の秋だったと思う


荻窪のシェンシェイの家で 作業をしていた杣の携帯が鳴った

「今夜のレオンハルトのコンサート チケット買いました?」
『いや 高くて買えませんでした』
「それなら 鍋島先生の招待券があるので いらして下さい」


そんな訳で 急遽 カザルスホールのコンサートに行けることになった


しかし 作業が終わると 荻窪のシェンシェイが 急に
「悪いけど 今から横浜に送ってくれないかな・・・」
『・・・分かりました』


そんな訳で 荻窪から横浜に行き それからカザルスホールへ向かった


勿論 遅刻だ・・・

で 1曲目が終わったタイミングで 遅刻組のお客さんと共に
いそいそと 招待券の座席に向かった


家を出る時は コンサートに行く予定など無かったから
杣は 作務衣の上下を着て 雪駄を履いていた・・・
雪駄の底は 木なので 足音が やたら響く!


1曲目が終わって 聴衆の集中力が高まっている中への入場である
遅れて入るだけでも 胡散臭い視線を 浴びているのに
ホール中に響く 雪駄の音・・・


カツーン カツーン カツーン


で 座った席が ど真ん中の 特等席・・・
恥辱心の欠けた杣でも さすがに恥ずかしかった・・・


その後 バロックの仕事をする度に
そのコンサートに行っていた人から 非難ゴウゴウだった・・・
この場を借りて・・・ ヨロブン チェソンハムニダ!


という訳で レオ様の誕生日には
あの醜態を思い出すので
記憶を アルコール消毒して 意識の強制終了をしている


モチロン 今夜も  Ctrl+Alt+Del な夜さ!


(  나도 오늘은 생일야 !)


追記:
「ふいご屋」のコメントで 明らかになったのですが
レオ様は 78歳の誕生日でした・・・
すんまそん!

 

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06. 05. 29

モノコードの思い出

あれは 杣が20代後半の頃
母校の調律学校で
非常識講師非常勤講師をやっていた頃


クラヴィコードという楽器を見た学生が
「これなら造れそう」と ボソっとつぶやいた


そうだよな 自分でも作れるかも・・・


で 初めて作った楽器 というより教材が
1オクターブ 全音だけの 8個の鍵盤がついた
鍵盤モノコードだった


残念ながら その写真は無い
というか そのモノコードは
学生達によって 分解という名の 破壊にあって紛失した・・・


その後 2オクターブ 25個の鍵盤のついた
モノコードを造った↓


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モノコードとは 1本の弦 という意味で
1本の弦の長さを区切ることで
音階が出せるというもの


なので 鍵盤楽器のくせに
和音が出せない・・・


最初に造った楽器は 山形の後輩の結婚祝い・・・
2台目の楽器は 横浜のシェンシェイに貸したまま
戻ってこない・・・


その後も 何台か製作して
韓国のチェンバリストや 
演奏家の結婚祝いなどの 贈答品になっている


こんな感じで 杣の楽器製作は 何気なく始まったのだ・・・


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平成15年には 日本ピアノ調律師協会 関東支部4班の研究会で
モノコード製作会が開かれた
キットを たくさん造った記憶がある

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汚い工房で みんな文句も言わず
モクモクと 製作に励んでいた・・・


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音が出ると やっぱり嬉しい
みんな 楽器屋の魂が疼いてしまうようだ!


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まあ 今だから懺悔しよう


実は この時 沢山のキットを造ったのは 杣一人では無かった・・・
とても間に合わなくて 2回とも 後輩うららに 手伝ってもらった・・・
で うららには フランクフルトを 2本あげただけ・・・

ギャラは いまだに支払っていない・・・ すまぬ!

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06. 05. 28

韓国会話の真実

韓国の仕事で 一緒に行った演奏家は
杣が 韓国語を話せると 錯覚してしまうらしい・・・
しかし その実態は・・・


ちなみに 英語だと 日本人は 何となく知っている単語があるので
ちゃんと英語が しゃべれているかどうか
すぐに バレてしまう


しかし 韓国語は 知っている単語すら無いので
韓国人との会話が どのようなものか
バレずにすむ


杣は こんな感じで 韓国人と話している

韓 「○○○○?」
杣 『モラゴヨ?』

韓 「○○○ ○ ◎◎◎◎?」
杣 『タシハンボン マレジュセヨ!』

韓 「○○○ ○ ◎◎◎◎?」
杣 『ト チョンチョニ イエギヘジュセヨ!』

韓 「○ー○ー○ー ◎ー◎ー◎ー?」
杣 『チャル モラヨ ミアネヨ』

韓 「△△△ ◎◎◎ ×××?」
杣 『ハングンマル ノムノム オリョヲヨ!』


どうだ! 立派に会話をしているようだろ! ワッハッハ!
実に 会話の9割は 上記の内容を 繰り返しているに過ぎない!
これだって 正しいかどうか 怪しい韓国語なのだ!


で 上記の意味は、、、上から順に

『何て言ったの?』
『もう一回 言ってくれ!』
『もっと ゆっくり話してくれないかなー!』
『よく 分かんないよ ごめんね』
『韓国語って とっても 難しいんだよね!』


このように ほとんど内容は 理解していないし
会話は 進展していないのである

しかし 韓国語を知らない人にとっては
これでも 十分に会話をしていると 錯覚してしまうのである!ウッヒッヒ!


で もっと 高度なテクニックも 駆使している
会話の ところどころで

クー ・ クレ ・ クッセ ・ クロックナー ・・・

適当な相槌を それっぽく 散りばめているのだ!
日本語だと そのー ・ そうなんだ ・ どうかなー ・ なるほど 
みたいな言葉を 意味も理解していないのに 使っているのだ!


という訳で 杣の韓国語は 9割が インチキである!


ちなみに 韓国語で 悪口だけは 沢山言える!
恐らく すぐにケンカになるくらい 悪い言葉だけは 覚えてしまった!
子供が 悪い言葉を すぐに覚えてしまうメカニズムが 理解できる!


ちなみに このブログのタイトルは 「ケーセッキヤ!」と読む
直訳すると 「犬野郎」 だが・・・
シーパル! ヤインマー! と同じくらい 韓国では口にしてはいけない!


韓国映画や ドラマを見ない人の為に
下のアドレスを紹介しておこう!
テレビよりも ラジオの方が 耳の訓練になるじょ!

韓国テレビ

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06. 05. 27

ミッションC:パイプオルガンさん こんにちは

ミッションC:パイプオルガンさん こんにちは


印西市 東京キリスト教学園 チャペル


チェンバロの調律が終わり 
リハーサルが 始まる
チャペル全体が ひとつの楽器のように オルガンが響きわたる


聞こえてくるのは 音楽と
チャペルの周りで たわむれている 小鳥達の声
人工の喧騒からは まったく異次元のような 安寧な空間


厳粛な鐘の響きが 正午を伝える・・・


考えてみると 昔の音風景というのは
このようなものだったのかも 知れない
自然界に ノイズという言葉は 存在しないのでは・・・ 


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前半がオルガン 後半がチェンバロ というプログラムのコンサート
1995年の ガルニエ作のオルガンは 31のストップを有し
2006本ものパイプが 内在している


武久源造は 演奏する曲に合わせて 慎重にストップを選択していく
3段の それぞれの鍵盤には 様々な組み合わせが完成していく
リハーサルの 音楽を紡いでいく工程は 新しい命が誕生していくのに似ている


そうして 生まれたばかりの 新しい命は
コンサート本番で 瞬時にして 成長し 成熟し 
そして 消えていく ・・・聴衆の心に 生きた証を刻んだまま


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この学園の公開講座 「パイプオルガンさん こんにちは」は
無料で 地元の人も集える コンサート
小さな子供達も たくさん聞きに集まっていた


子供が こうしたコンサートを経験できる機会は 少ない
様々なリスクはあると思うが こうした企画は 大切だと思う
子供達が 騒ぎ出さない秘訣のようなものを 学んだ気がする


曲間の 武久源造のトークが 親達を和ませている
和んだ親の横で 子供達は 緊張の連続を 強いられなくてすむ
そして 集中力の高い演奏 ・・・この緩急の雰囲気は 音楽も堪能できる 


更に コンサート終了後には 
子供達も パイプオルガンに触れるコトが出来る!
必ず聞けるのが ネコ踏んじゃった と エリーゼの為に・・・ほほえましい!


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長くなったが 最後に 面白いエピソードをひとつ

このオルガンのメンテナンスをした時に
パイプの中で 小鳥が成仏していたり 愛の巣を作っていたそうだ
窓を開けている季節に 起こった珍事らしい


で その様子を想像していたら ・・・なんだか 新しい童話ができた
森の中に ひっそりと佇む 小さな礼拝堂 その中のオルガンを弾く少女・・・
そのうち このブログで 書いてみたいと思う

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06. 05. 26

究極の御土産

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究極の エコライフ!

究極の リサイクル!

究極の ローコスト!


さあ あなたも 上野に行ったら 是非!

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06. 05. 25

虫の暦 (五月蝿い変奏曲)

先日 お客さんからのメールに
「五月蝿い」という文字があり
・・・読めなかった


うるさい  と読むらしい


で うるさいのは 5月のハエより
8月の蚊だろう・・・と思って
その勢いで 虫を使って新語の暦を作ってみた


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一月蠢い (めんどくさい) :新年早々のんびりしたいからね

二月蛎い (おいしい) :冬のカキは最高!

三月蛙い (ねむたい) :冬眠から覚める頃のカエルの気持ち

四月蝶く (ときめく) :羽化したチョウがヒラヒラ 出会いの季節!

五月蝿い (うるさい) :アリア (嗚呼 漢字って難しい!)

六月蝸い (のろい) :紫陽花にカタツムリ・・・

七月蝉い (あつくるしい) :セミが鳴き始めると ・・・夏!

八月蚊い (うざったい) :睡眠妨害罪で訴えたくなる日々!

九月蜩い (せつない) :たそがれ ヒグラシ 秋の気配

十月楓い (うつくしい) :木々が燃えるように紅葉する季節!

霜月蛍い (ありえない) :映画「ホタル」では 冬に飛んでいた・・・

師走騒い (せわしい) :商店街は クリスマスから正月へと オオワラワ!

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06. 05. 24

ピーちゃん ごめんね

あれは 中学校の頃


ある冬の日 隣街に 買い物に行った
帰り道 駅のロータリーで ピーピーと声がする
出店のようなトコで 見慣れない小鳥を売っていた


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看板には「シマドリ」と書いてあった
杣「これって ヒナじゃないんですか?」
店「これは沖縄の鳥で これが大人なんだよ これ以上大きくならないよ!」


・・・かわいい むちゃくちゃ 可愛い!


これ以上 大きくならないのも 気に入った
で オスとメスを つがいで一匹づつ買ってしまった
すると・・・ 何故か オマケだ!と言い 合計4羽も箱に入れてくれた


・・・親に叱られた!


前科があるのだ!
最初だけ 可愛くて すぐに飽きて 育てるのは いつも親
でも 買ってきちゃったから 飼うコトになった (ウヒヒ)


名前は ラッシー ネッシー クッシー マッシー
すぐに 2羽が死んでしまい その後 1羽が死んで
ラッシーだけ生き残った


生き残ってくれたのだが・・・日々 大きくなっていくではないか!
あの店のオヤジの話とは 違うではないか!
図鑑で「シマドリ」を調べたが ・・・そんな鳥 載っていなかった!


半年も経つと これは どうやらウズラだということが判明した
杣家の伝統通り いつの間にか 名前はピーちゃんになっていた
そして ナ ナント! 卵を産むようになった! 


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ピーちゃんは 毎朝 杣少年のフトンの上に来て
杣の顔を眺め それから フトンの横の ピアノの下で
卵を産んでから 自分の巣へ帰っていった


杣少年は 薄目を開けて その様子を 毎朝楽しんでいた


卵は なんだか可哀想で 食べることが出来なかったが
十個くらい冷蔵庫に 並んで 溜まっていった
捨てるのも偲びないし・・・


ある朝 母親が 弁当にピーちゃんの卵を 入れてくれた
ドキドキして 弁当を空けると 小さな ゆで卵があった
不思議な気持ちで 食べた ・・・味は 覚えていない


帰宅すると 母親が泣いていた
ちょっと窓を開けている間に ピーちゃんが逃げてしまったらしい
暗くなるまで 近所を捜索したが ピーちゃんは いなかった


卵を食べたから 怒ったのかな・・・
それとも 裏切られたと 思ったのかな・・・
ノラ猫や ノラ犬に いじめられてなければいいけど・・・


ごめんね ピーちゃん


杣少年は カラッポの巣に
泣きながら 謝った


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先日 ウズラの卵のピータンを見つけて
ついつい 思い出してしまいました・・・

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06. 05. 23

ドロ様

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ドロ様・・・


ヨン様の 友達ではありません

ましてや

ドグチ と読んでみたり

泥棒に敬意を払ってる訳でも

殿様や マグロのトロの 誤植でもありません


神父の名前です

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06. 05. 22

ヤンキースからの伝言

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左手首を 骨折しているので
気が立っているようです・・・

そっとしておいて あげませう

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06. 05. 21

ふたつの行方

靴が落ちていたので
落とし主を 探しに行きました

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すると そこには少女が いました

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でも 靴の色が 違っていました

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あの靴は どうなったのかな・・・

落とした人は どうしたのかな・・・

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06. 05. 20

晴耕雨読

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メモリをつけることで
時間を 掌握したはずなのに

いつのまにか

メモリだけの時間に 
翻弄されてしまったようだ・・・

存在しているのは 
「瞬間」だけ

瞬間の連続によって 
「記憶」は 過去という概念を刻み 

記憶の構築によって
「想像」は 未来という概念を育む 

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06. 05. 19

爆発音!

突然 大きな爆発音がした!
場所は 県庁の前
すわっ テロか!


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人が馬になって 群れはじめた!
(通行人⇒野次馬)
・・・なんだ パンクじゃん


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バスの中から 乗務員らしき人が降り
すばやい対応で 交通規制をはじめ
パンクの処理にあたる  ・・・ずいぶん 手際が良いな・・・


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なんと 機動隊のバスだった!


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06. 05. 18

銀河鉄道の予備

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天に向かう線路

小学生の時代に
きちんと昇天する術を学ばなかった輩ほど
晩年になると 天下りに 執着するようだ

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06. 05. 17

購買意欲

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この看板を見て
「おー オードムーゲがあるぞ!ラッキー!」
と喜ぶ客もいるのだろう・・・


でもって おまけに
「免疫ミルクまであるじゃん! サイコー!」
なんてコトに なるのだろうか


がしかし この商品が 何か分からない者にとっては
ブログネタにしか できないんだなー  ・・・残念!

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06. 05. 16

エネルギーの推移

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半世紀前は もしかしたら
「農家の石炭」 
だったかも知れない


半世紀後は もしかしたら
「農家のウラン」
・・・んな訳ないか

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06. 05. 15

魅力の停滞

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昔の車のデザインは
なんとなく 魅力がある


いろいろなモノは
進歩しているのだろうけれど


機能と 魅力は
比例できないものなのかな・・・

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06. 05. 14

終: 全ての始まり

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2001年 5月 17日 ソウル⇒成田
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杣は 前日の夕食で シシトウと思って食べた 青唐辛子に
肛門黄門が 華氏911度くらい 熱痛かった・・・ 


結局 韓国まで来たのに 焼肉を 食べることができなかった
それは ただ 金が無かったせいである
庶民がカジュアルに食べている 食文化を 体験したかったからだ


飛行機で 隣に座った人と 会話をした
日本に出張に行く 韓国人の男性だった
兵役のこと 政治のこと 家族のこと・・・


彼は 名前を ハングルで「イ」と書くのだが
英語では 「Lee」と書いていて ・・・不思議だった
が そうした理由が分かるようになるのは ・・・数年後


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この 初めての旅では ここに書ききれないくらい 沢山の経験をした
それは 初めて韓国映画を見て 感じた「何か」よりも
更に 韓国へのベクトルを 大きくしてしまった


その帰りの飛行機で 杣は 心の中で誓っていた
「いつか 韓国で調律をしてやる!」


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杣の好物は 野菜 唐辛子 ニンニク
杣の性格は 両極端 熱しやすく冷めやすい
杣の苗字は かつて朝鮮にあった地名と同じ


これでは DNAが反応する訳だ


あれから5年経つ 
その間に 旅行で4回 仕事で10回も 訪韓することができた
そして来年 ・・・ある計画の準備を始めている!


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06. 05. 13

⑦ 太極旗の陰陽

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2001年 5月 16日 板門店⇒ソウル
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バスを降り 韓国側の敷地内の
自由の家 展望台 と見学を終えたとこで
・・・ちょっとした 足止めをくらう


北朝鮮サイドの観光客が まだ 国境のある会議場の中にいる・・・
彼等が退出するまで 韓国サイドのゲストは入室できないのだ
会議場には 北朝鮮 韓国 双方の専用の出入り口がある

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北朝鮮サイドのゲストが ゆっくりと退出していった・・・
そして いよいよ 我々も 軍事停戦委員会本会議場の建物に入る
なんてコトない どこにでもある 平凡な小屋・・・ この中に 国境がある


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長いテーブルの中央にある マイクの位置が 国境
写真の右が 朝鮮民主主義人民共和国
左が 大韓民国  ・・・建物内では 国境を越えることが出来る


杣は いつもの足取りで 国境をまたぐ


こんな線によって 奪われていった いくつもの魂
こんな線によって 守られている いくつもの魂

こんな線を設けることによって 殺戮を終わらせる 人間の賢愚
こんな線を設けなければ 殺戮を終わらせられない 人間の賢愚


ふと 窓の外の 北朝鮮の兵士と 目が合う
ズキン という動揺を隠そうと 視線を空に向けると

そこには ぬけるような 青空が広がっていた・・・


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見学の最後に 国連キャンプに戻り 食べ放題の昼食
金髪美人のポスター  激しいビートのBGM
溢れる料理 賑やかな軍人達の喧騒  
・・・それは まるで 安っぽいハリウッド映画のワンシーン


ソウルに戻ると 若者で賑わう明洞に繰り出した
飢餓の同胞から わずか50キロほどの距離で
ソウルは 飽食の日々を 謳歌していた・・・


生への活力 死との対峙 
この両極が 太極旗の陰陽のように 綿密にリアルに内在している


そんなギャップに苛まれながら 最後の夕食の店を探していた
何気なく入った食堂で キムチやナムルと一緒に 並べられた
ししとう らしきものを ポリポリ むさぼった・・・


が それは 青唐辛子だった!
慌てて飲んだ水までも 痛点だけを刺激するほどの 辛さ というか 痛さ!
目から鼻から涙を流した顔で 笑顔をつくり 勘定を済ませ 宿へ逃げ帰った・・・

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06. 05. 12

⑥ 板門店へ

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2001年 5月 16日 ソウル⇒板門店
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朝8時に ロッテホテルへ行き
板門店(パンムンジョム)ツアーに参加する(\6500)
(これは 事前に予約が必要!)


板門店 ・・・韓国と北朝鮮の国境上に位置する街
北朝鮮軍と 国連軍によって 警備されている共同警備区域


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杣は朝鮮半島の国境が 北緯38度線だと思っていた
だが それは 1945年ヤルタ会談から 1950年朝鮮戦争勃発までの国境であって
現在では 東高西低の 新たな国境が 1953年に板門店で制定されている


ツアーバスに乗り込み ガイドの流暢な日本語で 韓国の歴史の説明を受ける
日本による植民地の時代  大戦後のアメリカとソ連による南北分断
そして 朝鮮半島における 南北の戦争と 現代の分断


陽気だった 日本人ツアー客も 静まりかえる
バスの中に 重たい沈黙が 充満する


イムジン川の橋を渡る時 韓国の若い兵士が バスに乗り込んでくる
乗客一人一人の パスポートと顔を 入念にチェックする
背を向けた兵士の 肩から提げられた 大きな銃が目に入り ・・・びびる 


国連軍のキャンプ地で 板門店に関する スライドを見せられた
スライドの説明の中で 何度も「敵」という言葉が 耳に飛び込んでくる
そう ここは 今でも休戦中なのだ  ・・・終戦ではないのだ


韓国側の板門店の観光は 国連軍のゲストという扱い
なので ラフな服装や 軽装では 共同警備区域に入れない
この日も 数人の女性が 準備されたスカートに 着替えさせられていた


そして 「命の保障は無い」という書類に サインをする
もっとも 命の保障なんてものは いついかなる時も 無いものだが・・・
再びバスに乗り いよいよ 共同警備区域へ・・・


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↑図の黄色い部分が 軍事停戦委員会の建物
この中に 国境がある・・・ (赤い線が国境)


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06. 05. 11

⑤ ユリサンジャ

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2001年 5月 15日 春川⇒ソウル
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パトカーに乗せてもらい 春川駅に 無事到着!
そして 山間の路線を 2時間弱 列車に揺られながら
昼過ぎに ソウルに到着した


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地下鉄に乗って 東大門に立ち寄る
駅前の雑貨屋のようなトコで
ユリサンジャのCDを買った


前述した「G戦場のコリア」という物語は
あるピアノを追って 調律屋が旅をする というストーリー
そのピアノのブランドが 「ユリサンジャ」なのだが・・・


実は ユリサンジャとは 「ガラスの箱」という意味で
男性2名の 韓国の 歌手のユニットである
透明感のある声 哀愁のあるメロディー ・・・嗚呼

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ソウルでも 楽器屋を探し
クラシック音楽の雑誌を 2冊ほど購入
勿論 ハングルなので チンプンカンプン・・・


宿は 初日と同じ YMCAホテル 
そして 翌日は・・・
いよいよ JSA 板門店だ!


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06. 05. 10

④ パトカー!!!

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2001年 5月 15日 春川⇒ソウル
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杣は 海外で 楽器屋に立ち寄る習慣がある
その国の ピアノを弾いて カタログをもらう為だ
春川の朝も 例のごとく 2件の楽器屋を見つけた ラッキー!


ソウルまでは 鉄道で行こうと考えていた
外国で 様々な交通手段を試みるのも
旅の楽しみの ひとつである


で 春川市内の地図を広げたが・・・
駅と市内の間には 巨大な軍の施設があるではないか!
これは 突っ切ることが出来ないのか? ウーム・・・


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そうこうしていると 目の前に交番があった
すかさず入り 「駅まで行きたいのだが
軍の施設を 迂回しないで行く方法が無いか」 尋ねた


返事は 「ノー」だった
・・・仕方ない 歩くことは得意なのさ・・・
交番を出て ショボショボと 歩き始めた


すると 後ろから 警察官が追いかけて来るではないか!
たっ 逮捕されるのか? スパイだとバレたかと間違われたか?
森の熊さんか?


そして 交番の前に駐車してあったパトカーの ドアを開け
「乗れ!」という!
れっ 連行か? どうする! 逃げるか?


まあ 逃げ切れるモノではないから・・・
観念して乗ってやったよ
言われるままに 後部座席に乗りましたよ・・・ハイ


すると どうしたことだろう!
パトカーは 軍の施設をグルーンと 廻って
杣を 駅まで送り届けてくれたのである!


ハッキリ言おう ・・・嬉しかった!


送ってもらったコトは 勿論だが
パトカーに乗れたコトが
暖かい優しさが 嬉しかった!


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いやはや 春川のおまわりさん
あの時は 本当に カムサハムニダ!
このブログが 当局に見つかって
叱られたりしないことを 祈ってやみません!


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06. 05. 09

③ 温泉マーク

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2001年 5月 14日 統一展望台⇒草束⇒春川
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国境見学を終え 一旦 草束まで戻ってきたのだが
このまま 飛行機でソウルに戻るのは なんだか詰まらない・・・


それならば・・・ 
ということで 丁度 中間に位置する 春川(チュンチョン)で一泊して
それから ソウルに戻ろうと考え 長距離バスに乗った(\1180)


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バスは 途中で2回ほど 10分程度の休憩をした(黄色いチェックの場所)
立ち寄った街で 本屋に入り 韓国の地図を買った (チンプンカンプン)
4時間ほどかけて バスは春川に到着した


時刻は既に21時近い ・・・とにかく まず 安そうな宿を探す
日本では いかがわしいイメージの 温泉マークだが
韓国では 健全な普通の旅館の目印! (と ガイドブックに書いてあった)


で 見つけたのが ホテル「グリーン荘」 (\2500)
外観も 部屋の様子も どう見てもラブホだが・・・
フロントには ズラっとエロビデオが並んでいて・・・ラブホだった!


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宿の近くの食堂に飛び込む ・・・腹が減っていた
しかし メニューが解からないし 言葉も通じない
で オバチャンが メモに8000と書いて こちらの反応を伺った


恐らく 8000ウォン(\800)のことだと思い それを注文した
が 鉄板の上に広げられた材料は どう見ても二人分・・・(んなに食えるか!)
鶏肉やら 野菜やらを 炒めてくれて・・・意地で完食した!


・・・・・

帰国してから知ったのだが 
この時食べた おいしい料理は
春川名物の 「タッカルビ」というものだった


以来 この辛い鶏肉料理は 杣の大好物である!

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06. 05. 08

② 統一展望台

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2001年 5月 14日 ソウル⇒草束⇒統一展望台
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「8月のクリスマス」で主演している俳優 ハン・ソッキュは 
「シュリ」という映画の主役でもある
杣は その映画で 南北が分断されている事実を 初めて知った


となると やはり国境というものを 体験したくなる・・・
そうして 始めに向かったのは
韓国 東海岸の国境にある 「統一展望台」


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まず キンポ空港から 草束(ソクチョ)まで 飛行機で飛ぶ(\4650)
そこから バスで50kmほど北上し 統一展望台へ
と 簡単に書いているが とにかく言葉の壁は 厚かった・・・


バスの乗り継ぎ・・・どれに乗っていいのか さっぱり解からない
食堂・・・何がどんな料理か さっぱり解からない
でも そうこうしながら 統一展望台に 辿りつく


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展望台から 北を見る・・・
中央の丘の上にあるのが 北朝鮮の軍事施設 (注:撮影禁止!)
左の山が 朝鮮では富士山的存在の 金剛山


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展望台から 南を見る・・・
山の斜面に 「統一」という文字が 描き出されている


実は ここに辿りつく間に バスから 様々なモノを目撃してきた
海岸線には 上陸を阻止する バリケードと監視所があり
道路には 有事の際に道を塞ぐ防護壁が 幾つも設けてある


それは まるで 映画の中の 戦場のようだった・・・


 

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06. 05. 07

① 韓国初上陸

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2001年 5月 13日 成田⇒仁川⇒ソウル
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そのコトを知ったのは ナント 韓国に到着してからだった!


杣は その時まで
到着する空港は ソウルのキンポ空港だと思っていた
何故なら ガイドブックに そう書いてあったからだ


韓国往復のチケットを 購入したのだから
当然 国際空港の キンポに到着するものと信じていた
飛行機を降りると キムチの匂いがするというので有名な あのキンポ空港・・・


機内では ガイドブックを広げ 地下鉄の乗り方などを勉強していた
とにかく 空港から市内まで 辿りつきさえすれば 何とかなる
フムフム ・・・ニャルホド  ・・・チョロイ チョロイ! 


だが 飛行機が着陸したのは ・・・仁川国際空港だった!


あの・・・ 仁川(インチョン)って どこ?
一応 韓国らしいんですけど・・・
地下鉄なんて ・・・どこにも無いじゃん!


このハプニングの原因は 単純明快!
新しい空港が出来たのは 二ヶ月前の 3月
つまり ガイドブックが古すぎた というか 空港が新しすぎたのだ!


ちなみに この空港は 翌年開催される
サッカーWカップの為に 新設されたそうだ
そんなことも 帰国した後に 初めて知るのだが・・・


空港の案内所で ソウル市内までの交通手段を 教えてもらい
それらしきバスに乗った  ・・・心拍数はプレストのクレッシェンド!


ロッテホテル前で下車し さんざん迷子になりながら
YMCAホテル(\4000)に チェックインした
やれやれ ・・・初日から こんなんで平気なのか?


で 初めての買い物が コンビニで テレフォンカード
・・・ここでも 大恥さらしたんだよな
全ての日本人に ・・・ゴメンナサイ という気分だった

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韓国の第一印象は ・・・騒々しかった 
街に溢れている ハングル看板が ・・・目にも騒々しかった
でも 「生きている!」 という活気が ・・・DNAを騒々しくさせるくらい 嬉しかった!


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06. 05. 06

序: 韓国の響き

2000年 秋 

杣は東海道を歩き終え 次の作戦を計画していた
京都の鴨川から 東京湾まで ゴムボートで帰ってくる!
という アホらしい計画を 本気で考えていたから ・・・笑える


そんな時 偶然見た映画が 「8月のクリスマス」
たった それだけで 全てのベクトルが 韓国へ向いてしまった・・・


当時 杣は 韓国が何処にあるかすら 把握していなかった
「民主主義」という言葉が 入っているだけで
朝鮮民主主義人民共和国を 韓国だと思っていたくらい 無知だった


それなのに 韓国映画の中で 初めて聞いた 「韓国語の響き」
これに 何故か DNAが反応してしまったらしい
意味など解からないが その響きに 「何か」を感じた


こうなると もう イテもタッテもいられない!
ゴムボートなんて・・・ どうでもよくなってしまった・・・ 


そんな訳で 2001年5月に 初めて韓国へ行った
リュックひとつの4泊5日
宿は予約なしの 現地調達という 無謀な計画だ


この時 杣の知っている韓国語は
「アンニョンハセヨ」と 「カムサハムニダ」のみ
英語も話せない ・・・まっ どうにかなるだろう・・・


さて 今回は その旅を回想してみたい



ちなみに 日本ピアノ調律師協会の会報 No115
2001年7月号に寄稿した 「G戦場のコリア」は
この時の体験を元にして 書いたフィクションである


  

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06. 05. 05

甘すぎた クリスマス・イヴ

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どう見ても 柏餅の中身だ


昨年のクリスマス・イヴ
ソウルで クリスマス・オラトリオのコンサートがあり
その 調律をしていた


チェンバリストから 
「調律が終わったら 食事が用意してあるから
食堂まで来てください」 と言われていた


しかし 行ってみると
合唱団の関係者という連中が 予想以上に集まり
杣の弁当は 無惨にも 食べられてしまった後だった・・・


で 会場のスタッフが急遽 準備してくれた晩御飯が 写真の餅山
ゴハンというより ・・・おやつ なんですけど
がしかし 出されたモノは 完食するポリシーの杣


・・・甘かった


・・・お茶は一杯しか 無かった


ようやく 食べ終わって
皿を返しに行ったら
「足りなかったか? もっと食べなさい!」 と おかわりをくれた


・・・甘かった


・・・お茶は くれなかった


ポリシーなんて こういう時にこそ 貫くものだ
これは 天罰だ ・・・なんてったって 聖なる夜なんだから
サンタクロースが与えたもう試練に 耐えてみせませう・・・


翌日 帰国すると
体脂肪が 跳ね上がっていた・・・  アーメン

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06. 05. 04

激写!平成の浦島太郎をスクープ!

玉手箱 開けてしまった ジュンイチロー


ビフォアー

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アフター

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[参考]
使用された玉手箱製番 K-332  通称「構造改革」


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06. 05. 03

落雷事情

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世界の雷様が集まって
シンポジウムが開かれた
お題は 「世界に愛される雷」


新たな議定書には
昨今の健康ブームに便乗した
画期的な案件が 盛り込まれた


今まで 落雷時に 雷様が奪取していたのは
「オヘソ」のみに限られていたが
これからは ヘソの周りの皮下脂肪まで 請け負うというもの


会長のエレキサンダーは
「希望者には 内臓脂肪まで除去することも やぶさかではない」
と発表したから 世界中で物議をかもしている!


飽食の北半球では 雷雨時のヘソ出しルックが 流行りそうだ!


一方 疲弊しきった南半球では 反雷デモが起こっている模様
「No more Luck Lie!」

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06. 05. 02

南北対決!

終戦後 もしも日本が
アメリカと ソ連に引き裂かれて
南北に 分断させられていたら・・・


北海道と沖縄の 豆腐対決は
社会主義と 民主主義の対決でもあっただろう・・・ 


北海道代表:ブレジネフの憂鬱 「喧嘩上等 やっこ野郎」
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沖縄代表:ケネディの遺恨 「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」 
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あ・・・ 良く見てみたら
沖縄の豆腐も 北海道の大豆 使ってた・・・


そういえば 少年時代に
「ルーズベルトのベルトが切れて
チャーチル散る散る 国が散る」 と唄いながら
竹槍訓練していたっけなー  ・・・懐かしい

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06. 05. 01

ねぎらわれながらの放出


イヤ 別に 苦労なんて してないんだけどね・・・


大した用じゃ ないんだから・・・


してるのは 小用なんだし・・・

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